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西洋近代と日本語人 第1期 その17(4.暴力をめぐる点景、2000年代の日本)

Ⅲ 村上隆「スーパーフラット」と「リトルボーイ」

Ⅲ-5 スーパーフラット概念の拡張(つづき)

三つの問いと追加の問い
4.204. 前回(その16)、最後に三つの問いを提出しました。簡単にその内容を確認します。そのあとで、今回あらたに問いをひとつ追加します。
 第一の問いは、現代芸術において西洋の美術の世界のルール、ないし、世界共通のルールに従うことは、明治期の日本の画家が遠近法を学び、油絵具を使って一生懸命に「洋画」を描いたことと、どこがどう違うのか、という問いでした。なお現代芸術の世界共通のルールとは、表現者の為すべきことは「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」である、というものです(その16:4.201-202)。

4.205. この第一の問いは、文明開化以来、日本語人のやることなすことにつきまとうある疑わしさを問題にしています。西欧や北米のやり方を取り入れるとき、それはうわべだけのモノマネではないのか、それとも、自分たちがほんとうに求めているものなのか。夏目漱石は、「現代日本の開化」と題した講演でこれを問い、当時の文明開化が内発的なものではなく、一種のモノマネであることを遠慮なく指摘しました。

注: 注*: 夏目漱石「現代日本の開化」、三好行雄編『漱石文明論集』(岩波文庫1986)所収。

4.206. この問題は、自分とは何かという厄介な問題を含むので、問いの概念的な構造に十分注意して回答する必要があります。以下では、問いを適切に分析すれば、漱石の懸念はあっけないくらい簡単に解消できることを明らかにします。この議論にけっこう手間取ってしまったので、今回は、この第一の問いしか論ずることができなかった。以下、第二、第三、追加の第四の問いは、問いの紹介だけにとどめ、分析と回答は、次回以降に行います。

4.207. 第二の問いは、自由神話を脱することと、スーパーフラットという概念を提唱することは、どのようにして結びついたのか、です(その16:4.203)。

4.208. この問いは、村上隆の芸術的活動の根幹を問うものです。日本式の自由神話を脱するとは、まず、歴史のなかにあって新しい始まりを作り出すことが「自由」の実質であることを理解した上で、さらに、自分の歴史的位置を自覚し、既存の表現様式を破って行く試みをすることです(その15:4.188)。では、スーパーフラットの提唱は、どういう点で自由神話の脱却になっているのか。端的に言えば、スーパーフラットは既存の何を打破しているのか。この点はまだ明瞭でありません。

4.209. 第三の問いは、村上隆は、スーパーフラットを旗印にした作品群を制作し、その概念をうちだす作品展を計画・実行することを通じて、どういう歴史をどのように始めることができたのか、です(その16:4.203)。

4.210. この第三の問いは、第二の問いを受けて、具体的にどういうやり方で既存の芸術を打破し、そこで何が開始されたのかを問うものです。この問いには、現代美術に造詣の深い専門家でないと的確な回答は難しい。私は専門家ではないので、言えることはほとんどない。ただし、思いつきがないではないので、次回以降にそれを少し述べるつもりです。

4.211. ここでもう一つ、第四の問いを追加します。まず、村上隆のエッセイ「窓に地球(Earth in My Window)」の末尾を引用します。私の問いは、この締めくくりの一段落の趣旨にかかわります。このエッセイは、リトルボーイ展(2005)の基調報告というべき位置を占めている。なお、対応する内容が同一ページに英語と日本語で記されているので、その両方を掲げます。

 「進化発展ばかりが夢じゃない。ミューテーションを繰り返した果てに、奇形化した醜態をぶらさげて、顔に醜い傷があっても、それらは生きる意味を持つ。醜い文化であっても生きて来た意味を、未来に伝えたい。」(『リトルボーイ』p.149)

 “Evolution and progress are not our only dreams. After interminable mutation, a deformed abomination, a face hideous with scars, there is still meaning in life. Our culture may be repulsive, but I want the futre to know the meaning of our lives.”(同上)

注: 村上隆(編著)『リトルボーイ 爆発する日本のサブカルチャー・アート』(発行:ジャパンソサエティー、イェール大学出版 2005)所収。

4.212. 私が追加したい問いは、以下です。

 ここで村上隆は、なぜ自分たちの文化(our culture)を「醜い文化であっても(may be repulsive, but . . .)」というように、劣位にあるものとして提出したのか?

「奇形化した醜態 a deformed abomination」、「顔に醜い傷a face hideous with scars」といった形容は、いずれも醜さを強調しています。なぜ、このように、自分たちの表現は醜悪かもしれないけれど、という譲歩をともなって、作品展を開催したのだろう。これが私の疑問です。

4.213. この問いは、第二と第三の問いにかかわっています。スーパーフラットという概念を提唱し、それによって既存の美意識を打破して(第二の問い)、新たな始まりを画した(第三の問い)のにもかかわらず、なぜ、そうやって提出する新たな表現の様態を、「醜い文化であっても(our culture may be repulsive, but . . .)」と卑下したのか。

4.214. この追加した第四の問いは、実のところ、私が村上隆という芸術家に関心をもつ入り口になった問いです。奇想の画家たちの画業と現代のアニメーションを結びつけてスーパーフラットという概念を見出し、それをうち出して表現活動を展開した果てに、どうして「醜い文化であっても」と腰くだけになったのだろう。これは考えてみるに値する不思議なことだと感じました。

4.215. というのも、たとえば印象派の画家たちが、先行する技法や様式を否定し、自分の知覚印象そのものを描こうとしたとき、自分たちの作品について「たとえそれが醜くても……」と言っただろうか。ピカソやブラックがキュビスムをうち出すとき、「それが醜悪でも……」と言っただろうか。言わなかっただろう。――と書いて、歴史的な経緯をほとんど知らないことに気づいた。だから印象派やキュビスムの画家たちにみずからを卑下するような姿勢が〝無かった〟とは言い切れない。手紙その他の断簡零墨、また聞き、噂、その他あらゆるエピソードを調べあげないと〝無かった〟とは言えません。でも、卑下する姿勢があったと聞いたこともないので、そんな姿勢は無かったんじゃないかと思います。――では、村上隆は、なぜ、スーパーフラットを打ち出すとき、それが「醜い文化であっても」と言ったのか。ここには、考えてみるべき何かがあります。

4.216. この追加の問いに回答するのはおそらくなかなか難しい。私がいま漠然と想い描いている回答は、相当の回り道を行くものになりそうな予感がする。それは宿題ということにして、ここでは、ありがちな誤解をまず解いておきます。みずからを卑下するような姿勢が出て来るのは、村上隆が欧米の美術界に気おくれしたからだ、というのは見当はずれでしょう。スーパーフラットという概念が理解されるかどうか不安はあったかもしれない。しかし、それをうち出すことを自分の表現活動の中心に置いた以上、腹をくくってやるしかないし、現にやったわけだ。気おくれしたり臆したりする段階は、「日本の美術界へのあてこすり」しか自分にはできないのか、と自問自答していたころ(その15:4.144)に通り過ぎていたはずです。それなのに、みずから企画した作品展の基調報告に相当する大事なエッセイの最後に「醜い文化であっても(our culture may be repulsive, but . . .)」という言葉が記されたのはどうしてだろう。とても不思議です。

Ⅲ-6 スーパーフラット概念の諸問題

Ⅲ-6.1 モノマネと自己実現 ―― 第一の問題

漱石の問題提起
4.217. 第一の問いは、「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」という世界共通の、ないし西洋の美術の世界のルールに従うのは、結局のところ、うわべのモノマネではないのか、というものでした。これは、夏目漱石以来の宿題といえます。問題の核心は、日本の文明開化が「内発的に進んでいるか」(夏目漱石「現代日本の開化」p.32)という問いです。漱石はこの問いについて、以下のように言っています。

「西洋人と日本人の社交を見てもちょっと気が付くでしょう。西洋人と交際する以上、日本本位ではどうしても旨く行きません。……〔中略〕……ただ器械的に西洋の礼式などを覚える外に仕方がない。……〔中略〕……これは開化じゃない、開化の一端ともいえないほどの些細な事であるが、そういう些細な事に至るまで、我々のやっている事は内発的でない、外発的である。これを一言にしていえば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であるという事に帰着するのである。」(同上p.34)

漱石は、ここではナイフとフォークの持ち方といったとりわけ些細な例を挙げている。だが、もちろんことは西洋の礼式にとどまらない。近代化は、政治、経済、宗教、軍事、教育、家族、性愛、その他、人間生活の全領域にかかわっている。およそ生活のすべての領域で同じ問題が生じ得る。私たちは、テーブルマナーから芸術まで、西洋からやって来る新しい波を、わけもわからず真似し続けているだけではないのか。

4.218. この問題に対して、漱石は、皮相上滑りの開化が「悪いからお止しなさいというのではない。事実やむをえない。涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならない」(夏目漱石「現代日本の開化」p.34)と言いました。西洋の文物の受容は止められないのだから、上滑りであっても受容しつづけるほかない。モノマネであることは認めたうえで、それでもそれを続けるしかない、そういう判断です。

うがった批判
4.219. 同じ問題について、よりうがった批判として、内発的であることに拘泥することそのものが西洋からの影響にすぎない、という指摘がある。これをもっとも明快に指摘しているのは、私の知るかぎり、小谷野敦の『夏目漱石を江戸から読む』(中公新書1995)です。

「近代日本は西洋の「模倣」だという意識に捕らえられ、近代以前の伝統を持ち出してここにアイデンティティーを求めようとするのも、やはり「国家的文化アイデンティティー」という発想を西洋に仰いでいるのにすぎない。内発的でない開化が悲惨だからといって内発的になろうとすることもまた、「外発的 ― 内発的」という二項対立に捕らえられているという意味で内発的なものではありえない。」(小谷野1995, p.222)

自分が何者であるかに目覚めて(「アイデンティティーを求め」)、そこに根ざした仕方でものごとを行おうとする(「内発的になろうとする」)という姿勢そのものが、自分の外の概念枠(外と内の二項対立)に由来するのだから、純粋に内発的なものではない。こう指摘されています。

4.220. この批判に答えるのはなかなか難しい。これは、単純化すれば次のような批判です。すなわち、自分自身の本来のあり方(「アイデンティティー」)にこだわる姿勢自体が、西洋からやってきたものなのだから、自分自身であろうとする努力そのものが西洋かぶれなのだ。

4.221. ただし、この言い換えは話を簡単にするための便法です。厳密にいうと、自分本来のあり方を求めることは必ずしも西洋かぶれの結果とは限らないので、上の単純化は正確ではありません。たとえば、当り前ですが、本居宣長は西洋かぶれではなかった。宣長は中国かぶれ(「漢意カラゴコロ」)を嫌悪した。そして、自分本来のあり方、即ちやまとごころを求めた。とはいえ、中国かぶれを避けたいという気持ちは、中国の影響下にあるのでない限り生じるはずがない。だから、宣長の立場は中国かぶれの変種なのです。というわけで、上の批判の核心は、単純化しないで正確に言えば、次のようになります。

 外からの影響を排して自分自身の内に根ざそうとすることは、外からの影響が及んでいる状態を思考においても事実においても前提する。それゆえ、自分自身の内に根ざそうとする気持ちそのものが、外からの影響の概念的・因果的な帰結にすぎない。

4.222. さて、こう批判されると、(わかりやすいので便法の方で考えるとして)西洋かぶれをやめるためには、自分自身であろうとすること自体をやめるしかない。自分自身であろうとするのをやめるとは、本来の自分ではないものになってしまっても意に介さないということだ。すると、西洋かぶれであっても特段これを意に介さないことになる。それならば、自分自身であろうとしても一向にかまわないわけだ。ん?えーっと、西洋かぶれをやめるためには、自分自身であろうとすること自体をやめるしかなくて、それなら自分でないものになってもかまわなくて、それなら西洋かぶれでよくて、それなら自分自身であろうとしてもかまわない。話が堂々巡りになりながら、矛盾をきたしている。何かがおかしい。

4.223. こういう循環や矛盾が生じると俄然やる気が出てくるというのが、英語圏の分析哲学を勉強した人間の性癖ですが、この循環は、「自分」とか「内発性」という概念をどう解するか、という問題を提起していると考えられます。

4.224. 西洋の文物を取り入れるときには、西洋に対して自分が何者であるかを考えることになる。中国の文物を取り入れるときには、中国に対して自分が何者であるかを考えることになる。こうして、西洋であれ、中国であれ、外からの文化的影響を受けながら、内からの文化的な自己認識と表現が生まれる。これは、日本だけでなく、どのような社会でもあることです。つまり、人々がさまざまな言語で「自分」とか「内からの」などと呼んでいるあり方は、外部の影響が絶無の状態を言うわけではない。「自分自身の内に根ざそうとする気持ちそのものが、外からの影響の概念的・因果的な帰結にすぎない」(4.220)という批判に対しては、そのとおり、人間は元々そういうふうにして自分自身を把握するのだ、と答えれば済むわけです。

4.225. 別の言い方をすると、外がなければ内もない、他なる存在がなければ自分という存在もない。すなわち、外と内、他と自というのは、一対として考えなければ論理的に意味をなさない。外部を完全に排除した純粋な内部、他なるものとまったくかかわらない純粋な自分、というものを求めることはそれ自体成り立たない要求なのだ。こういうことです。

4.226. というわけで、4.218のうがった批判は、純粋な内部や純粋な自分という論理的に意味をなさない(nonsenseナンセンスな、バカげた)概念を棄てることによって無力化できます。私たちはもともと、外からの影響をこうむりながら内に根ざすにはどうしたらよいのか、他なるものに浸されながら自分でありつづけるにはどうしたらよいのか、と考えていたはずなのです。純粋な自分を求めるという論理的に意味をなさない問題に囚われる必要はありません。

自己実現の条件
4.227. こうして、やっと元々の問いに取り組むことができます。「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」という世界共通の、ないし西洋の美術の世界のルールに従うことは、どういう条件の下で、うわべのモノマネではない自分本来の振る舞いになるのか。

4.228. 私は二つの条件があると思います。第一は、自分がそうしたいという条件、第二は、そうすることが理にかなっているという条件、この二つです。前者は主観的な条件、後者は客観的な条件、というように対比できるでしょう。欲求の条件と合理性の条件といってもいい。

4.229. この二つの条件は、およそ人間の行為がつじつまの合ったものとなることの条件です。ある人が、壁のスイッチを押して部屋の電灯を点けたとします。このとき、壁のスイッチを押すというその人の行為は、部屋を明るくしたいという欲求をその人がもっており、かつ、壁のスイッチを押せば電灯が点くとその人が信じている、ということによって理解可能になる。つまり、その人の行為はつじつまの合ったものになる。その人が、部屋を明るくしたいと思っていない(欲求がない)とか、あるいは、壁のスイッチを押すと電灯がつくと信じていない(理にかなった事実認識がない)場合、その人の行動はわけが分からないものになります*。

注*: 読者諸賢は、なんて間延びした話をしているんだろう、と呆れるかもしれませんが、これは20世紀半ば以降の英語圏の行為の哲学(philosophy of action)の基本的な論法のひとつです。この議論の眼目は、物体とは違って、人間の行為は欲求や信念といった心的なものによって説明される、という点にある。だから、この議論は、人間の行為は自然の諸原因によって説明されはしないというソクラテスやカントの主張(その16:4.192、4.197)を受け継ぐものなのです。人間的世界は、物理学とは別立ての概念装置に拠らないと解明できない、ということになる。これに対し、そんなことはない、心的なものは神経生理学で説明できるはずだから、人間的世界の説明も全体として物理学に還元できる、という反論も提出されています。ここでは、このどちらが正しいのかについては態度を決めずに、欲求と信念で行為を分析する手法のみを利用しています。

4.230. 第一の主観的な条件は、自分の欲求を確かめて、自分がほんとうにそうしたいと思っているときにのみそうする、ということです。具体的に言うと、「世界で唯一の自分を発見したい」と思っていて、「その自分の核心を歴史と関係づけたい」と思っていて、「その結果得られたものを発表したい」と思っている、という三つの欲求をもっていることが条件になる。この三つの欲求のどの一つが欠けても、芸術家が自分の作品を上記のルールにしたがって発表することは、自他を欺くうわべだけの振る舞いになる。たとえば、自分を発見したいと思ってなくて、したがって自分を発見することなんてどうでもよくて、にもかかわらず、これが自分だと主張する作品を発表するのは、自分も他人も欺く(どうでもよいと思っていることをさも重要であるかのようにうち出す)振る舞いです。歴史との関わりについても、発表の欲求についても、それを本気では欲していない場合、同様のことが言えるでしょう。

4.231. なお、自分の欲求を確かめるとき、それらが純粋に内発的なものであるかどうかについて思い悩む必要は、もはやありません。外からの影響でそうしたいと欲するようになったのだとしても、それを自分が自分の欲求として承認し、保証するのなら、それでかまわない。一見すると寄り道して屁理屈こねただけみたいに見える 4.218 から 4.225 の議論のありがたみは、この点を明らかにしたことにあります。

4.232. 第二の客観的な条件は、具体的には、「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」というルールが客観的に理にかなっているかどうかを吟味することを求めています。この吟味は、それぞれの芸術家が行なうものです。たとえば、世界で唯一の自分などというものはない、自分は無数の他の人々まったく同じであって特別の価値などない、と思っている人は、上のルールは理にかなっていない(ありもしないものを前提しているから)と判断するでしょう。それなのに、その人がこのルールに従って振る舞うとしたら、それは自他を欺くうわべだけの振る舞いになる。歴史など無価値だ、作品を発表することに意義はない、などと考える場合にも同様のことが言えます。

4.233. まとめておくと、こういうことになります。外からやってきた規範的な要請(こうするのがよいという促し)を受け入れるとき、

① 自分がそうすることを欲しており、
かつ、
② そうすることが理にかなっていると考えられるならば、

その要請に合う行動をすることは、うわべだけのモノマネとはならない。あるいは、そうすることは、自分を裏切ったり他人を欺いたりする行ないには当たらない*。

注*: そうしたいという自分の欲求を確認し、そうすることが理にかなっていると考えてそうするという態度は、インテグリティ(integrity)とコミットメント(commitment)の大事な部分を構成する要素になると考えられます。

4.234. あっけないくらい単純な話です。漱石の悩んだ問題は、結局これだけのことだったのか、という印象がある。だが、私が思い違いをしているのでないかぎり、これだけのことです。自分の欲求を確かめ、行動の合理性を吟味して、自分が欲しており、かつ、そうするのが合理的であるのならそれを行なう。欲していないか、合理的でない場合は、行なわない。これだけです。

4.235. 明治人は、西洋文明が押し寄せてきたとき、たったこれだけの確認や吟味を行なう余裕すらなかった。いかに当時の人々が浮足立っていたのかが分かります。幕末期の攘夷運動は、この確認と吟味を行なう余裕がなかったことの現れだった。多くの人がやみくもに外部を打ち払うことで内部を維持しようとした。これはまた、「外部を完全に排除した純粋な内部、他なるものとまったくかかわらない純粋な自分」(4.224)という論理的に意味をなさない概念に、幕末期の日本語の思想が取り憑かれていたことを示していると言えるでしょう*。

注*: ちなみに、この〝他なるものを排した純粋な自分〟という発想は、自由を〝なんの拘束もない空白の状態〟とする考え方(その16:4.183)と繋がっているでしょう。

4.236. また、これは自分用に書きとめるのですが、竹内好が西洋近代文明に対する「東洋の抵抗」と呼んだものの内実は、おそらく、この確認と吟味を遂行し、それにもとづいて行動することなのだろうと思います。「東洋の抵抗」が日本にはないか、少ない、というのが竹内好の判定でした。

注: 竹内好「中国の近代と日本の近代」p.28、竹内好『日本とアジア』(筑摩学芸文庫1993、p.11-57)。

4.237. さて、外から来る規範的な要請に対処するために必要なのは、たったこれだけの確認や吟味を遂行することです。とはいえ、実践上の課題は残ります。「自分がそうすることを欲している」というのはどうやったら分かるのか。また、「そうすることが理にかなっている」というのはどうやったら分かるのか。現実の場面では、この二つが大きな難問として出現する。

4.238. 西洋の美術の世界のルールという問題にもどって考えると、村上隆は、世界共通のルールに従うことが理にかなっているということを後進の若者に向けて説得的に示すために、『芸術起業論』と『芸術闘争論』という二つの書物を著している。もちろん、本にする前に、体験と思考を積み重ねている。このルールに従うことの合理性を自他に対して明瞭に提示するために、たいへんな手間がかかっています。また、自分自身が「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」を欲していることを見出すまでにも、さまざまな試行錯誤があった。自分の欲求を見出すまでの過程は平坦なものではなかったようだ(その15:4.137~4.148)。だから、ここでもたいへんな手間がかかっています。第一の主観的な欲求の条件と第二の客観的な合理性の条件は、これらをきちんと満たすために相応の時間も手間もかかる重い条件です。これについては、それぞれの領域で各人が自分でなんとか考え抜くしかない。

4.239. 活動領域によって、外からの規範的な要請がどのような中味を備えているかは、異なります。芸術、科学、経済、政治、その他あらゆる領域で、さまざまの促しが外から私たちのもとへやって来る。それぞれに即して、自分の欲求を把握したうえで、その促しに応ずるのが理にかなっているかどうか考え抜く必要がある。この局面で、活動の領域にかかわりなく一般的に指摘できることが、ひとつだけあります。それは、模範例という問題です。この問題を通じて、真似をすることのもつ意義を考えなおしておきます。

真似することの意義
4.240. こうするのがよいという外からの規範的な促しは、複数の実例をともなうことが多い。たとえば、村上隆は、現代美術の最先端を示す例として、ルドルフ・スティンゲル(Rudolf Stingel 1956 - )という人物を挙げています(『芸術闘争論』pp.87-92、pp.104-110)。同時にマーク・グロッチャン(Mark Grotjahn 1968 - )という人も挙げているのですが、今はスティンゲルだけを紹介するとして、スティンゲルは、大きな発泡スチロールの板の上を靴にシンナーをつけて歩いて一つの〝絵画〟を作るとか(同上p.90)、銀紙スポンジの断熱材を壁に貼って、展覧会を見に来た人に、落書きをしたり、銀紙を剥がして何かを貼り付けたりしてもらって、参加型の作品を制作する**(同上p.90)、といった活動をしている現代の美術家です。こういう作品は、美術市場でものすごく高価なのだそうです(同上p.105)。

注: 作品の画像は「Stingel untitled 2000」で検索すると見られます。
注**: 作品の画像は https://www.hyperexperience.com/?p=685 で見られます。

4.241. スティンゲルについて、村上隆は次のように言います。

「よく考えればスティンゲルの作品の銀紙とか発泡スチロールという作品[ママ]は、デュシャンの「便器でもアート」ということに、ポロックの「描かなくてもいい」をプラスして、さらに、無意味な素材、チープな素材を芸術に変換する「錬金術」、マーケットも加わった「錬金術」を「芸術」と考えるという現代のトレンドにも合致しているわけです。」(『芸術闘争論』p.105)

 スティンゲルは、ここでは、どのようにして、重層的な意味を自分の作品で実現するか、という課題の例として扱われています。その作品は、だから、架空の作者の署名入り便器を芸術として出展したマルセル・デュシャンの「泉」と、絵が何かを描き出すことを拒否したジャクソン・ポロックの、行為としての絵画(action painting)の試みと、ありふれたものを芸術に変換して流通させるのを喜ぶ現代芸術の市場の流行を、一挙に呼び起こす重層的な意味作用を備えている。このように現代美術の歴史に沿って解読されています。

注: ローズマリー・ランバート『ケンブリッジ西洋美術の流れ7 20世紀の美術』高階秀爾訳、岩波書店1989、p.39。 マルセル・デュシャン、ピエール・カバンヌ『デュシャンは語る』岩佐鉄男、小林康夫訳、ちくま学芸文庫1999、pp.107-109。

注: ローズマリー・ランバート前掲書、p.70。

4.242. 村上隆は、『芸術闘争論』で、「①構図 ②圧力 ③コンテクスト ④個性 この四つ、これが現代美術を見る座標軸、つまりルールです」(同書p.94)と言っており、ルドルフ・スティンゲルは、このうち、③コンテクストの扱い方の例です。前回扱った狩野山雪の「老梅図」は、①構図の組み立て方の例と言えます(その16:4.163~4.165)。そして、②圧力の例となっているのは、ヘンリー・ダーガー(Henry Darger 1892-1973)です。

4.243. 圧力という概念は、表現への「執念みたいなものが画面を通じて、もしくは作家の人生をつうじてでてくる」(『芸術闘争論』p.98)そういう一種の訴求力として説明されます。問題のヘンリー・ダーガーは、清掃員として働きながら、誰にも知られることなく、1万5千頁を超えるタイプ原稿と300点余りのイラストからなる「ヴィヴィアン・ガールズという男性器をもった女の子たちが、南北戦争と思われるような戦いを繰り返し行っている不思議な物語をもった作品群」(同上)を残しました。ほとんど他人と交渉せず口もきけないと思われていたとのことですが、とにかく異様な作品を人知れず作り続けて歿した。もとより作品を世に問う意図などなく、現代美術の共通ルールなんてものとは一切かかわりがない。野心も山っ気もある数多の現代芸術家とはまさに対極をなす存在です。このダーガーは、現代芸術の世界にまったく反する存在が、表現への執念のみによって、現代芸術の世界を自分の居る地点まで拡大させた稀有な例ということになります。

4.244. これら以外にも、『芸術起業論』や『芸術闘争論』では、ピカソやマティスはじめ、たくさんの芸術家の名前と作品が言及される。最も多く言及されるのは、いうまでもなく村上隆その人なのですが、それらは、後進の若者が自分の欲求を把握し、自分の進む方向が理にかなっているかどうか考え抜くための実例になっている。スティンゲルのように、ダーガーのように、村上隆のように表現したいのか、という問いかけを通じて、芸術家志望の若者は自分自身の欲求を手探りし、何をどう表現すればよいのかを考えるはずです。

4.245. 若者は進む方向を自分で見出さないといけない。そのとき、多くは、先行するさまざまな芸術家の試みを範例として参照し、それらを真似ることから活動を始めるでしょう。類例を見ない画面を生みだしたジャクソン・ポロックも、アクション・ペインティングに到達する以前に、メキシコの壁画やネイティヴ・アメリカンの芸術やピカソの作品から影響を受けたことが知られています*。こういう場合の模倣は、うわべのモノマネとどう違うのか。最後にこの点について一言述べておきます。

注*: ヘレン・ハリソン「生きることはと制作はひとつ」、『生誕100年 ジャクソン・ポロック展 2011-2012(於 愛知県美術館、東京国立近代美術館)』図録(発行 読売新聞東京本社)pp.9-10。

4.246. 芸術家志望の若者は、世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史的に位置づけて、世に問おうとしている。自分の向かう方向は大きく見れば分かっている。自分の核心を発見して作品を世に問いたい。けれども、具体的な細部は、何をどうしたらよいのか分らない。このとき、先行者を範例として利用して、何をどうすればよいのか、細部を具体的にやってみる。つまり、形を模写したり、技を模倣したり、あるいは行動や発想を真似したりする。なんらかの仕方で範例に合わせていくこれらの振る舞いは、もちろん真似することの一種ですが、漱石の言葉を使えば、すこしも皮相上滑りではなく、内発的なものだと感じられます。その理由は単純で、全体のもくろみについて本人が納得しているということに尽きる。一本立ちの表現者になりたい気持ちに嘘がないのです。

4.247. 五里霧中の状態で、とりあえず先人の試みを真似てあれこれやってみる。すると、そのうちに、自分のやり方が浮かび上がってくる。先に西洋思想史上の自由という概念は、「囚われの身からの解放と、自由意志による真善美の追求という二つの側面をもつ」(その16:4.186)と言いましたが、このうち、自由意志による真善美の追求の方は、先行者を真似るという手続きなしで実践することは、ほぼ不可能なようです。

4.248. 何が言いたいのか。さしあたり、二つのことを確認しておきたいのです。一つは、人間存在とその意味という形而上学的な問題で、自由意志は、模範例となるような〝より高い存在〟によって導かれるという受動的な側面を持っていることを指摘したい*。別の言い方をすると、芸術家が独創的な作品を制作するためには、ある期間、指導を受けなければならない、ということ。村上隆はこう言っています。

「作家となっていくには師 ――徒弟制度とか、スクール(流派、学派)―― 例えばバウハウスとか、こういうところで密着して作家にぴったりついて教育を受けるしか可能性はない」(『芸術闘争論』p.258)。

これは、日本式自由神話を否定するのと同じことです(4.182等)。なんの束縛も受けない空白の状態を「自由」と誤認するかぎり、独創性に到達することはない。

注*: 〝より高い存在〟という言い方は、村上隆の言葉ではありません。この言い方は、Charles Taylor の What Is Human Agency? という論文から取りました。この論文は、Charles Taylor (1985). Human Agency and Language: Philosophical Papers, 1. Cambridge University Press. に収録されています。

4.249. 未熟な芸術家は、先行者を模倣することによって、自分の核心を見出し、新たな美がみずからの作品に降臨するのを体験する。自由な意志が何かに導かれるというのは、逆理に見える。しかし、そうではない。これはあまり強調されないのですが、自由意志は、神を見出すための精神の器官として西洋思想史上に現れた**。自由意志とは、主体がみずからより高い存在に服従することを通じて、自分自身のやり方で神(真善美)を見出すという、ある意味で矛盾した――自発的に服従し、真似することで独創性を実現する――はたらきを付与された心的な装置です。別の言い方をすると、個体と個体を超えた存在(神ないし理想)が、自由意志のはたらきを通じて出会うという構造がある**。思うに、この構造は西洋思想の核心をなしている。

注*: こう言っていいと思うのですが、これは、日本の哲学界の常識ではない。意志について考えるとき、私が拠りどころにしているのは、主にハンナ・アーレント『精神の生活 第二部 意志』佐藤和夫訳(岩波書店1994)と Albrecht Dihle. The Theory of Will in Classical Antiquity. University of California Press, 1982. という二つの本です。

注**: 自由意志が服従を含意するという論点は、拙著『自己犠牲とは何か』のpp.487-493で扱いました。

4.250. もう一つ確認したいのは、ずっと下世話な、と言ってはよくないが、「皮相上滑りの開化」についての思いつきです。夏目漱石は、明治四十四年(1911年)の講演で、「事実やむをえない。涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならない」(夏目漱石「現代日本の開化」p.34)と言いました。漱石の目には、明治期の日本語人のやることなすことすべてが「皮相上滑り」に見えていた。しかし、日露戦争に思いがけず勝ってしまったあと、日本語人の多数には、少なくとも軍事に関しては、自分たちが徒弟修業中だという自覚は薄れていたのではないか。

4.251. 日本の近代化について、その全体が模倣にすぎないという感じ方は、案外早く消える傾向があって、特定の分野ではもはや模倣の段階は過ぎた、というおごりが容易に芽生える。そんなことを思いつきました。このことは、日本語人が超越的な理想(神)の観念を日常的に意識しない――現在の最高到達点のまだ先に理想状態があると考えない傾向がある――ということと関係していると思いますが、今は書きとめておくだけにします。

4.252 今回は、第一の問いを扱っただけで、ずいぶん長くなってしまいました。次回は、第二と第三の問いを扱うつもりです。第四の問いは、明快な解答は難しくて、かなり手間がかかるのではないか、と思っています。

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