見出し画像

横断歩道を渡る

堀川御池の交差点は大きい。堀川通は京都の道路の中で最も広く、渡り切れなかった人々のための安全地帯も用意されている。

僕はもう十数年も、「北西から南西」「南西から南東」へ渡る横断歩道が苦手だ。渡る横断歩道の後半が「車が動く車線」であることに、強いプレッシャーを感じるのである。

南西から北西、南東から北東のような渡り方であれば、左折しようとしている車を見つけた段階で「渡らない意思表示」を見せ、車が通過してから翻って横断すれば良い。だが後半に左折待ちの車がいると、どうしても距離感を測りきれず、「自分のせいでこの車たちが足止めくらっている」という状況を避けることが出来ない。

だから僕は毎日、その大きな交差点を南西から南東へ渡る時、「自分がいてもいなくても車の待ち時間は全く変わらない」ようにして渡っている。間断なく自転車が次々走ってくれるのは大変ありがたい。しばらく車が動けないことが約束されているからだ。向こう側から、ゆっくりと老人が歩いてきてくれるのも助かる。
僕よりも少し前に、僕よりも少しゆっくり歩く人がいた時、僕は横断歩道の後半にたどり着いてしまう前に走ってその人に追いついて、後半部分はその人と同じスピードに落として歩く。極力自らの存在によって「迷惑」を生まないようにしているように思う。

そして毎回思う。
横断歩道を渡る時、こんなに神経質になってるやついるんか?
自意識過剰もええとこ、というわけで、心底気持ち悪いと卑下することになるんだけれど、いざその場面になると同じ行動を取ってしまう。
この気持ち悪さの最たる点は「自分が他人に迷惑をかけているのは自分が自覚していることだけ」だと思い込んでいる傲慢さである。

傲慢だな〜と思いながら、「でも自分を客観視できてない自分勝手な人間よりよっぽどマシだよな」って慰めてるあたり救いがない。

一生やってると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?