ハッピーエンドだなんて誰が決めるの
タイトルからして、『ハッピーエンド』じゃなさそうだ。
そんなことを思いながら、見に行った。
いつも、私が選ぶ映画では、夫は隣で退屈してしまう。
わかっているのに、でもいつも誘ってしまう。逆に、彼が私を誘う映画は、見終わると頭が痛くなる。激しい音や怒鳴り声、めまぐるしいカットに、五感がやられてしまうのだ。
だから私が選ぶ映画は、必然的に「低刺激」の映画になる。長回し、少ない会話、静かな音楽、遠くからのカット。
いや、でも、にしても、『ハッピーエンド』は低刺激すぎたよ。
なのに、とてつもなく広い、疑問符に投げ込まれて。
見終わって1日経つ今も、私は疑問符の海に溺れている。
フランスの、ある裕福な、3世代家族。そこにふいに新しく家族になった、13歳の少女。
死のうとする祖父、死のうとする少女、母と家族経営の会社から逃れたい息子、浮気する父。
ああ、みんな、どこかしら、崩れて。
冒頭、この家族が経営する会社の、工事現場の足元が、崩れるシーンから始まる。
まるで、この映画の家族を、象徴しているかのようなシーン。
見終わったあとにはいつもヤフーの映画レビューを見たり、グーグルに、映画タイトル 考察 と打ち込んだりする。
どこにでも書いてあるのが、SNSのこと。SNSによって、家族のつながりが希薄になっていること。
でもそんなの、わかりきったことだ。そんなこといったって、SNSのない世界に戻れるわけじゃない。
本当にこの家族は、SNSで不幸になったんだろうか。
そんな単純じゃない。この映画はもっと、痛くて、怖い。
死を、スマホで切り取ろうとする少女。死を選ぶ「自由」を、尊重し、スマホに収めようとする彼女。
不自由に生きるのと、自由に死ぬのと、はたしてどっちの方が「ハッピー」なんだろうか。
これが、正しい「映画のメッセージ」なのかはわからない。でも私は、見終わって、そんな問いを受け取ってしまった。
スマホは生死を、ある意味では目で見るよりもリアルに、なまなましく、そこに存在させる。
静かで低刺激なのに、でもとても重苦しい映画。
全然エンタメじゃない、でも、これを見て見終わって、疑問符の海で溺れてほしい。
そんな欲望を抱かされた映画。
それでは、また。
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