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「世間知らずだった自分へ」 noteプロデューサー徳力基彦氏 Vol.2

旧態依然とした組織風土にイラ立ちを感じながら、大好きな同期たちと会社を変えたい、と熱意に溢れていた徳力さん。グロービスの授業をきっかけに転職の可能性が開かれましたが、それは茨の道の始まりでもありました。

ネガティブな転職

編集部:NTTからコンサルへの転職。新しいスタートですね。

徳力:ただ、当時はやっぱり舞上がっていた面もあって。今振り返ると、ネガティブな転職だったと思いますね。当時、NTTでは組織の再編成があって、私はNTT西日本に行くラインになっていたと聞いたり。英語の点数が足りず、MBAの申し込みに落ちてしまったり。自分の中での勝手な理想の人生設計が大いに狂ってしまったんです。

編集部:キャリア設計の変更を余儀なくされた。

徳力:そう。で、一番大きかったのは、IRで自分が乾坤一擲でやってた仕事が、評価されなかったことです。そういう時は重なるもので、いくつか忸怩たる思いを抱くことがあった。

 考え方が違う別の部署の人に「こうすべきだと思ってるんです!」とぶつかっていっても、向こうには向こうの正義があるんで完敗するんですよ。くすぶる気持ちを抱えていたから、グロービスの先生にもこの思いをぶつけたんです。

編集部:授業でですか?

徳力:授業の後の飲み会ですね。経営戦略の講義を担当していたマッキンゼー出身の先生に、「NTTはマルチメディアの会社で新しいことをやっていかなくちゃいけないのに、減点主義みたいな頭の固いことをしてちゃ駄目になるんですよ!」と熱く語ったんです。ところが、先生に蕩々と論破されちゃいまして。

編集部:それはそれは……

徳力:いや、でもそれは、すごく正しかったと思います。「NTTというのは、99.99%インフラをちゃんと回さないといけない会社だから、減点主義で当然なんだ。君みたいに、新しいもの好きの人間が勝手に新しいことをどんどん取り入れて、インフラが落ちたら駄目だろう。リスクを最重視するのは、NTTにとっては正しい」と。あ、なるほどなと思ったんですよね。

若い人には「これからはマルチメディアだ!」なんて発破をかけるかもしれないけれど、本質的にはインフラ会社だし、交換機が稼いでいる会社です。私みたいな目立ちたがりの人間は、たしかにいつか無茶して失敗して、出世街道から外れるだろうな、と妙に納得したのをよく覚えています。

クビになる恐怖と戦う日々

徳力:でも、いざコンサルにいってみたら、それはそれで自分が向いていないのが早々に分かってしまって。なかなか評価が得られなかったし、お金の切れ目が縁の切れ目というか、プロジェクトの契約が終わればそこでさようなら、っていうのがすごく寂しかったんです。コンサルに向いている人はそんなこと思わないと思いますけど。そんな折、グロービスさんからアリエル・ネットワークというベンチャーを紹介してもらって、再度転職したんです。

編集部:ソフトウェアのベンチャーですね。

徳力:ここで、ネガティブ転職の話に戻るんですけれど、当時の自分にアドバイスするとしたら、「絶対に会社(NTT)を辞めるな」って言いますね。

編集部:絶対に……

徳力:だって、完全にネガティブ転職でしたから。別にやりたいこともないのに、転職するのを先に決めて転職しちゃいましたからね。その後のベンチャーはマーケティングマネージャーとして採用してもらったんですが、経験もないし、やることなすことうまくいかないくて、さらに苦労したんです。グロービスのマーケティングの授業で優秀賞をいただいていたので、「俺、マーケティングできるぜ」と勘違いしていたんですけれど(笑)。

編集部:大変でしたね……

徳力:そんな中、上司になる立場の人が新しく採用されたんです。一応、私がマーケティングマネージャーって肩書きで入社したんですけどね。明らかに私が使えないから上司が採用されたわけで、もう、クビになる恐怖と戦う毎日でした。

編集部:どういう状態なら会社(NTT)を辞めても良かったですか?

徳力:今いる会社を辞めるんだったら、やりたいことを見つけてから辞めたほうがいいです、というのが個人的なアドバイスでしょうか。当時私は、組織の壁に心が折れてしまって転職を考えたから、その後また壁にぶつかると、簡単に折れてしまったんだと思います。1年でコンサル辞めたのは、多分、折れてなんですよ。2回連続で折れて転職しちゃってるんで、あのままほっといたらどこまでも単なるジョブホッパーになっていたと思います。

編集部:折れずに、壁を越えてから辞めたんだったら、まだ良かった?

徳力:そうですね。例えばやりたいことがあって、それをやりきろうとしたとか、やりきろうとしてもどうしてもできない、外に出た方がやれるんだ、ということなら、転職活動をした方がいい。折れた心で辞めるんだったら絶対残った方がいい。って当時の自分に言いますね。

どん底の中、ブログに出会う

徳力:ただ、辞めて後悔してるわけじゃないですし、今こうやって取材してもらえる立場になってるんで、今の人生のほうが自分には向いてたと思いますけど。

例としていいかどうか分かりませんが、NTT時代、東海法人の本部長に勧められて司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだんですね。そのあと『竜馬がゆく』も読んで、めちゃめちゃ染まるんですよ。『竜馬がゆく』って脱藩するじゃないですか。

それを読んで自分の中でシミュレーションするんですよね。で、当時、自分は勝海舟だな、とも思ってた。私は辞めないから、そういう竜馬みたいな人を支援できる人間になろうと。

編集部:なるほど。

徳力:そういうノリでNTTに残って、やる気がある若者とか外部のベンチャーと連動して、大きいことをやるっていう選択肢もあったと思うんですよね。それにトライして駄目だったならまだしも、別にそこまで何もやってないし。NTTでもIRやっただけで、事業は一切やってないんですよね。ダメ営業を3年やり、IRをやり、マーケティングに関わる仕事は一切していなかったので。

事業には携わってないんですよ。そもそも、自分が新規事業にいくなんて無理だな、と勝手に結論付けちゃってるんですよ。そんなルールはないんですけど、私はそうやって思い込んじゃっていた。

今はこうやってなんとか生き残ってるからいいんですけど、もしあのまま転落人生を歩んでいたら、めちゃめちゃ後悔しているはずですね。

編集部:じゃあ、その後のブログとの出会いというのは、奇跡のようなものでもありますね。

徳力:奇跡的、まあそうですね。運がよかった。

編集部:2004年頃でしたっけ?

徳力:そうですね。正確に言うと、ブログブームは2003年ぐらいから始まっていて、そこからちょこちょこいじってはいたんです。自分の人生の中で一番焦っていたベンチャー時代にブログブームが来てくれたので、ある意味、仕事以上に熱を突っ込んだというのはあると思うんですよね。

会社に貢献できていないのはわかっていたし、会社のキャッシュの残高まで把握できるポジションにいたんで、クビになる恐怖もありつつ、会社自体が潰れる恐怖もありました。クビになる可能性がダブルで存在してたんですよね。だから、もしブログが副業になって生きていけたら、クビになっても大丈夫かな、と。まさに必死の思いでそういう情報発信の方に踏み出していったのはありますね。

編集部:ブログで稼ぐんだ、という意図を持って始められた。

徳力:稼ぐというか、何かやらなきゃなっていう話ですね。ブログで稼げる確信があったわけでもないですし、当時はまだGoogleアドセンスみたいなものは今ほど機能してなかったですから。

でもそれよりは、何とか生きてる証を残さなくちゃいけない、という危機に近いレベルです。雇ってくれるところはあったとしても、1年でコンサル辞めて、このままこのベンチャーもクビになったら……NTTの同期の中ではそれなりに目立つポジションにいたのに、どんどん自分が忘れ去られてしまうようになるだろうって。

編集部:……恐い。

徳力:恐怖感と戦っていたのは、すごくあると思いますね。当時はホント変な夢をよく見ました。

キャリアの崖っぷちに立たされた徳力さん。ブログによってどのような展開になるのでしょうか。

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