筑波大学附属小学校 初等教育研修会 2日目
被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます
被災地で復旧にあたっていらっしゃる公務員の方々の過酷な状況がニュースになっています。
自治体の方も、地元に住んでらっしゃる方々が多いわけで、当然ながら被災者の方になります。
避難所の運営や、応援職員の案内で、自分の家を片付ける余裕もないそうです。
同じ公務員として、他人事ではありません。
都道府県の採用ではありますが、市町村立の学校に勤めていますので、災害の際は避難所の運営にあたることになります。
東日本大震災のときも、休校になりながら、子どもたちの様子を確認しつつ、避難所運営の手伝いもしました。
毎日自宅に帰れていたからこそのところもあったと思います。
今この瞬間も、救援や復旧にあたっている方々への感謝の気持ちと、一刻も早く救援や復旧が進むことを願っています。
筑波大学附属小学校 初等教育研修会 2日目
土曜日に引き続き、日曜日も標記の研修会に参加しました。
前日の5年の粕谷昌良先生の社会科「シン・田中正造」の続きを参観しました。
授業は、足尾銅山鉱毒事件に関わる様々な立場の意見を往還しつつ、話し合いが行われました。
協議会で、自分ごと、についての質問が出ました。
粕谷先生のご提案では、当事者性という言葉を使われていて、これは、自分ごととは明確に異なる言葉として使われています。
学習中の子どものようすとして、「自分ごとのように考えている」という表現をするのを聞いたことがあります。
しかし、その事象は、本当に自分ごとでしょうか。
本当に自分ごととなり得るのは、学級で起こっていることや、自分が使っている水やごみといったところです。
学年が上がるにつれて、地理的にも、時間的にも自分とは離れた事象を学ぶことになります。
そのような事象と自分との関係としては、「自分ごと」ではなく、当事者性という言葉を使って考えていくべき、というのが、現在の私の捉えです。
当事者性を持ってこの足尾銅山鉱毒事件に向き合った時に、どのような考えを考えを持つのでしょうか。
当時の社会情勢、その中で政治を行う立場、その当時暮らしていた国民、そして谷中村の人たち。
それぞれの立場の人が、その当時何に重きをおき、どう考えていたのか。
それを紐解くには、どのような授業であるべきなのか。
たくさんのことを学ばせていただきました。
当事者性については、粕谷先生や、元お茶の水女子大学附属小学校の岡田泰孝先生のご研究から学ばせていただきました。
まだまだ自分も勉強途中ですので、今後も学び続けたいと思います。
今回は、筑波大学附属小学校の初等教育研修会に参加したことについて書きました。
お読みいただき、ありがとうございました。
ご参考になれば幸いです。
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