[仮面浪人]届かないけど

前回から少し空きましたが、仮面浪人の話に戻りたいと思います。

第一志望に全落ちして、立命館大学に入学した春学期のこと。

講義室で行われるような大人数の授業はリモートで、そのほかの授業も半分くらいがリモート授業の中、大学のレポートや発表の基礎を学ぶための少人数で構成された授業がありました。

数少ない対面で行われるクラスで、最初に自己紹介をして、アイスブレイクがあって、、と言った、高校のクラスの感覚に近いものだったので、リモート授業ではなかなか難しかった友達作りがしやすい環境だったと思います。

私は文学部歴史学科でした。
ある日の授業で、黒板の前に立つ先生が「今読んでる本は?」と雑談がてらみんなに問いかけると、それぞれおもむろにカバンから出した本が新書の歴史関係の本で、「本能寺の変の真実」とかそういう題名で(笑)、すごい、、、と思ったのを覚えています。

大学にいる自分が大嫌いだった当時。
自分が自分として認識されることが嫌で嫌でしょうがなかった。
たくさんいる、いなくなっても誰も気づかない生徒Aではない、互いに顔と名前が一致していて、私が私として存在してしまうそのクラスは、とても窮屈で苦しかった。

ある日の帰り、ぎゅうぎゅう詰めのバスで帰るのが嫌で近くの駅まで歩いていると、後ろから名前を呼ばれました。
私のことを知っている人などいないはずなのに、と思って振り返ると、「〇曜日△限の授業一緒だよね?」と。その少人数クラスが同じ人でした。

そしてそのまま駅まで話しながら歩き、京都駅までの電車を一緒に帰りました。お互い一言二言しか話したことがなかったので、お互いどこから来てるのかとか、いろいろ話したんだろうと思います。記憶がないことが悲しいですが、楽しかった。

うつむき続けて、ここにいたくなくて、窮屈で苦しくて。
誰にも私を認識してほしくなくて、高校の同級生に会うのが怖くて食堂に行けず、学内の小さな庭の木の影のベンチでおにぎりを泣きながら食べたり、そんな記憶しかない場所で、本当にそれだけが楽しい思い出です。

ただ他愛もない話をしただけだったし、そのあとコロナの波がひどくなり完全リモートになって、ほとんど学校に行かなくなったので、その人とまた話すことはありませんでした。

顔も覚えていないし、名前も覚えていない。何も分からないので、伝えようがない。だから、せめてここでと思って書きました。

たった一つでも、楽しかった思い出があることがうれしい。大学の帰り道、泣かなかったのは多分あの日だけだったと思う。

ありがとう。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

大屋千風


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