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「自分のエネルギーが現実を創る」の罠!

カウンセラー修行をすると、「相手は変えられない」「変えられるのは自分だけ」という鉄則をまず学ぶ。さらにエネルギーに敏感になると、「自分のエネルギー状態が全ての現実を創り出している」と身体で実感するようになっていく。

自分を大切にしていれば、現実も自分を大切にしてくれる。逆もまたしかり。エネルギーはいつだって自分ファーストで、自分→相手→世界へと循環していくものだ。

つまり自分のエネルギー次第で、いくらでも現実は変えていける。

・・・それを身体で信じられるようになって、自分にストイックに目を向け続けていたらね、いつの間にか子供の頃の大きな願いを押し殺してしまってたことに気付いた。そんな今日この頃。

「自分のエネルギーが現実を創る」っていうのは本当に真理だけど、ストイックになり過ぎて「他人に何も求めない」になったら本当にやばい。

本当頑張り屋さんな人ほど気をつけてほしいな。

・・・今日はそんな失敗談を書いてみる。


子供の頃の私には「自傷癖」があった。

そんな大きな傷がつくようなものではないけど、腕をぎゅーーーっと抓る癖があって、逃げられない場所に留まらなくちゃいけない時には痛みに逃避することがよくあった。

先月個人的に大きな挑戦をした時に、なんとこの腕を抓る癖が20年ぶりに復活してしまったんだ。

👇 挑戦の内容
・関係改善を諦めていた相手に会う
・相手の言うことを否定しない
・応戦しない
・責められたら謝る
・愛を持って傾聴する
・こちらの言い分を分からせようとしない

というのを頑張ったら、魂レベルでは「よくやった」って本当に思えたんだけど、心や感情の領域ではめっちゃ自分が擦り減る感じがしたんだよ。

もちろん思いつく限りのケアはちゃんとした。

セルフワークもしたし、「あー子供の頃はこんなふうに感じていたのか。辛かったね。よく頑張ったね。もう腕を抓ってまで我慢しなくていいからね」って許可を出すインナーチャイルドワークもした。ヒーリングも受けたし、プロのカウンセリングも受けたし、ついでに母親に電話して「子供の頃腕を抓る癖があったことを知ってほしい」ってカミングアウトもした。

だけど今回はあまりに強く抓り過ぎて、瘡蓋になったところが痕に残って、その薄い痣を見るたびに、どうしても手が届かない場所から得体の知れない感情が湧いてくるような気配をずーっと感じてた。

・・・それですごく不思議なんだけど、見るべき感情の蓋が開いてる時って、それをちゃんと見切るまで容赦なく現実が動くよね(笑)。

👇 その後に召喚した現実
・騒音問題に巻き込まれる
・部屋の前がゴミだらけになる
・傘を盗まれる
・ネガティブなメールをもらう
・美容院で雑な対応をされるなどなど

なんか他にもあったけど忘れてしまったw

どれもその度に内観に次ぐ内観で大変だったけど、一番参ったのは「この人の前では絶対に泣かない」って決めてた相手の前で死ぬほど泣いてしまったことかな(´-ω-`)

「絶対泣かない」
「いつもヘラヘラ元気でいる」
「この子に会うと元気が出るなって思って欲しい」

っていうのを徹底的に自分に課すほど大切に思っていた相手がいて、そのために自分のエネルギー調律を徹底的にしてきたのに、その相手の前であんな制御不能になるほど泣いたらマジで意味がない。

自分が許せなさ過ぎて、ほんと何日も泣いたw

そして泣き続けた後で分かったことがある。

私は本当はずっと誰かに気付いて欲しかったんだって、初めて分かったんだよ。


・・・子供の頃腕を抓る癖があったことと、ついでに息が苦しくなると木のそばに立つ癖があったことを今回実母にカミングアウトしたら、「全然気付かなかった〜!」と言われた。

私も「だよね〜」と答えた(笑)。
気付かない相手が悪いとは思ってない。
私が自分で平気なふりをしてたんだから。

だけど子供の頃にもう一度戻ってみると、多分私は気付いて欲しかったのだ。誰か周りの大人達に、自分より大きな力を持った誰かに気付いて欲しかったし、できれば腕を抓るという行為を止めて欲しかったのだと思った。

「そこまでしなくていいよ」って教えて欲しかったし、「泣いても怒っても笑ってもいいんだよ」「それでも絶対に見捨てたりしないから」「絶対嫌いにならないからね」って言って欲しかったんだなって。

ずっと自分でこの気持ちを認められなかった。

きっと子供の頃に「求めても無駄だ」と思って諦めた瞬間があったのだろうし、大人になってからはカウンセリングの「相手を変えることはできない」という学びが裏目に出て、相手に望むこと自体を自分に禁止するようになってしまった。

自分で自分を認めるのが先。
自分で自分の未来を意図するのが先。
全ての現実は自分のエネルギーが創り出している。

確かにそれはその通りで、今回の「泣いても怒っても笑ってもいいんだよ」「それでも絶対に見捨てたりしないから」「絶対嫌いにならないからね」というのも、私が自分で自分にそう言ってあげることから全てが始まっていくんだろう。

でもそれはそれとして、「周りの人にそうして欲しかった」という気持ちを無視し続けるととんでもねーことになるようだ。

「自分の欲しいものはまず自分で自分に与えるのだ!」っていうのは確かに真理だけど、あまりにストイックに自分に押し付け過ぎたら消耗するのは当たり前だったかもね。


・・・自分で自分にしてあげられることでも、誰か好きな相手がしてくれたら嬉しいことってたくさんあるよね。デザートを一口くれるとか、ペットボトルの蓋を開けてくれるとか(笑)。

ペットボトルの蓋は自分でも開けられる。
嫌いな人にやられたら「ウゼー」って思う。
好きな人がしてくれたら「嬉しい♡」ってなる。

だから「ペットボトルの蓋を開けて欲しかったらまず自分で自分のために開けてあげるのだ!」って頑張りすぎるんじゃなくて、普通に「開けてー♡あなたが開けてくれたら嬉しいのー♡」って言ったらいいってことだよね。

開けてくれない!キー!ってなったり、開けさせようとして駆け引きしたり、「あなたがペットボトル開けてくれないと喉が乾いて死んじゃうの(;ω;)」ってなるのが問題なだけで(笑)。

・・・こうして文字にしてみたらすっごい普通ーーーのことに見えるのに、ここに到達するまでフラッシュバックに次ぐフラッシュバックで何度目がパンパンになるまで泣いたことだろうか(笑)。

やっとバランスが理解できるようになってきた。

これでようやく先月の挑戦に一区切りがついた気がしている。

子供の頃の絶望が深かったり、それによって人生の早期に問題を抱えたおかげでカウンセリングの世界に足を踏み入れたりするとさ、この普通のバランスがすごーく難しく感じるのかもね。

私もこれからは今まで通りちゃんと自分で自分に寄り添って、もう少し準備が整ったら一人で突っ張るのをやめて、怖いけど「寄り添ってー」ってお願いできる自分になっていきたいかな。

一気にバーン!と変わることはできないけど、少しずつ生きやすくしていくことは出来るから。

いつも読んでくださりありがとうございます!直近でいただいたサポートは、引っ越し先で使う新しいカーテンと木の食器のために、大切に使わせていただきます(2019年3月末現在)。