番外編 思い出の安田記念(1991年ダイイチルビー)


週末のG1の過去を振り返る番外編。

今回はダイイチルビーが勝った1991年を回顧していきます。

思い出の、とか書いていますが、僕は生まれていません(笑)

ピックアップする年は迷いました。安田記念で外せないのはタイキシャトルと5歳のウオッカ。
いろんな意味で懐かしく感じてしまうショウワモダン。

そんな中で今回はダイイチルビーにします。天邪鬼ではないですよ(笑)


~~~

1991年の安田記念。1番人気は1989年頃からスプリント、マイル界の中心に君臨し続けてきたバンブーメモリー。出世こそ遅れたものの、全盛期は「怪物」オグリキャップとも死闘を演じてきた馬で、7歳を迎えたここでも信頼は揺るぎないものでした。年末のスプリンターズSを快勝、そして1991年始動戦となった京王杯SCは位置取りがあまりにも後方で届かずの4着。ただ、休み明けがそこまで得意ではなかったので、使っての上積みは見込まれていました。なにより、ライバルのオグリキャップが引退して、メンバーレベルは格段に楽になっていたのもあり、単勝オッズは1.8倍の単枠指定でした。単枠指定については長くなるので説明を省きますが、簡単に言うと圧倒的支持を集めていたということです。鞍上は当時4年目の武豊J。この頃からG1を勝ちまくっていました。

そして2番人気はそのバンブーメモリーを京王杯SCで退けて優勝したダイイチルビー。父は「天馬」トウショウボーイ。母は「華麗なる一族」の牝系、ハギノトップレディ。言わずと知れた良血で、当初からクラシックを期待される馬でしたが、デビューが遅かったのもあり、桜花賞への出走は叶わず。オークスには出走するも5着。そして牝馬三冠最終戦のエリザベス女王杯前にフレグモーネを発症し、出走は叶わず。当初の期待を裏切る結果となり、決して順風満帆とは言えないシーズンを送っていました。
1991年は順調な滑り出しで重賞タイトルを獲得。京王杯SCでは前目から抜け出して安田記念に駒を進めてきました。
ただ、単勝オッズはバンブーメモリーに離された5.7倍の2番人気。京王杯SCは前残りの流れ。後方待機のバンブーメモリーをはじめ、人気のサクラホクトオーも後方で展開向かずの敗北と、ダイイチルビーの明らかな展開利による勝利であったというのが大方の見方でした。そしてもう一つ、1984年から導入されたグレード制。そのグレード制導入以降、安田記念では牝馬の勝利がありませんでした。彼女はそういった意味でもオッズ的に嫌われていたのかもしれません。
ですが、当時の2頭の実績の違いを考えたら仕方のないオッズでした。
クラシックこそ武豊Jが主戦でしたが、1991年からは河内Jが手綱を取っていました。

3番人気はレオプラザ。昨年秋から頭角を現し、連戦連勝の勢いを買われた上がり馬。そして4番人気は、もうすっかり往年の力を失ってしまったG1馬サクラホクトオー。1年ぶりのレースとなった前走京王杯SCは流れが向かなかったものの、イナリワンやスーパークリークらと渡り歩いてきたかつての勢いはもうありませんでした。

そして、このレースには1990年の皐月賞馬、ハクタイセイが出走予定でした。ダービーでアイネスフウジンに敗れた後、屈腱炎を発症して長期離脱。そして復帰戦に選ばれたのが安田記念でした。が、直前に繋靭帯炎を発症して出走取消。そのまま引退という、なんとも不運な結末でした。

以上の事からもかなりメンバーレベルの低いレースで、バンブーメモリーの単枠指定は仕方のない支持でした。


そして安田記念がスタート。
外からナルシスノワールがダッシュ良く飛び出すと、中からナイスパーワー、最内からマイスーパーマン、さらにはシンボリガルーダ、レオプラザも加わり序盤からペースが流れます。
1つ後ろにワイドバトル、そして外にダイタクヘリオス、内にラッキーゲランまでが中団前目。
そして中団後方、外にヒカルダンサー、内にダイイチルビーでした。ペースを読んだのか、河内Jはいつもより後方からの競馬。そしてそのすぐ外にバンブーメモリーがピッタリ。
そして後方集団、内にプリティハット、サクラホクトオーはここも後方から。そしてメインキャスター。シンガリからハヤブサオーカンです。

各馬一団の団子状態ですが、前がやり合った分前半600mは34.2のハイペース。3コーナーに入る頃にはシンボリガルーダが枠の利を活かしてハナに行っていました。
団子状態でごった返しているので、ポジションの変動が激しかったです。3コーナーでラッキーゲランが下がったところ、真後ろにいたダイイチルビーが不利を食らう形で河内Jも手綱を引っ張ります。バンブーメモリーと入れ替わるどころか、後方3番手くらいまで下がってしまいました。ただ、この不利が結果として勝利を引き寄せます。

4コーナーでバンブーメモリーの後ろに入ってしまい、末脚勝負ではバンブーメモリーの方が上。ただ、後方に下がった分、進路選択に余裕が生まれました。
バンブーメモリーはダイイチルビーが下がったのもあり、内2頭目を追走。一団の馬群の外に進路は無く、直線も内を選択します。
そして、そのバンブーメモリーの後ろになったダイイチルビー。
団子状態を維持したまま、直線に向かいます。

河内Jは最内から一気に外を選択。前にはメインキャスター、そして外にいたハヤブサオーカンも内を締めようと試みます。仕掛けはすでに遅れていましたが、残り300mでようやく完全に捌いて開けた視界で追い出し開始。
そして内を選択せざるを得なかったバンブーメモリーはというと、まったく出しどころがありません。さらにハイペースが祟り、内の各馬がどんどん下がってきて絶体絶命。
そうのこうの、人気2頭がスムーズとはいえない直線で、真っ先に抜け出してきたのは最もスムーズなコース取りをした伏兵、ダイタクヘリオスでした。苦しくなった内の各馬を残り400mで楽に交わすと後続を突き放していきます。

残り300mで先頭はダイタクヘリオス。そして内で懸命に粘るナルシスノワール、レオプラザ。ようやく捌いたダイイチルビーが外から脚を伸ばし先頭のダイタクヘリオスまで5馬身。バンブーメモリーは相変わらず捌けず、前が開けたのは残り200mでした。


残り200mでダイタクヘリオスが押し切り態勢に入ります。が、ハイペースが祟ったのか残り100mで苦しくなると、外から一気に名家のお嬢様が末脚爆発。河内Jの左ムチが入ると、1完歩ずつみるみる差を縮め、並ぶ間もなくダイタクヘリオスを差し切ります。2着はダイタクヘリオスかと思ったところに、最内からようやくバンブーメモリーのものすごい脚。イン強襲も、2着はダイタクヘリオスがしのぎ切ります。バンブーメモリーはあまりにもったいない3着でした。

華麗なる一族が華麗なる一族たる所以を証明するかのような鮮やかな差し切り。同時に、グレード制導入以降初の、牝馬による安田記念制覇という快挙をダイイチルビーは成し遂げるのでした。

ダイタクヘリオスはよく頑張りました。この激闘を経て、秋にはマイルCSでダイイチルビーにリベンジを果たします。距離関係なく安定した馬でしたが、さらに翌年は、あのシンコウラブリイを退けてマイルCS連覇など、マイルにおいては強さが目立ちました。

バンブーメモリーはこの後は衰えが目立ちました。秋は人気を裏切り続け、ケイエスミラクルも出てきたスプリント、マイル路線にもう居場所はありませんでした。
時代を彩った名馬です。マイルCSでオグリキャップとの死闘は忘れられません。間違いなくあの時代においては最強格でした。僕の独断と偏見の歴代最強マイラー番付ではトップ5に入る馬です。

そしてダイイチルビーはこの勝利を皮切りに、充実した秋シーズンを送ります。ケイエスミラクル、ダイタクヘリオスらと3強を形成した秋ですが、年末のスプリンターズSで必勝態勢かと思われた矢先に故障して下がっていくライバルのケイエスミラクルを真隣で交わして、前を捕らえて優勝。

抜群の手応えで抜け出した時は楽勝かと思われたケイエスミラクルは予後不良になってしまい、ショックを受けたのか、ダイイチルビーは翌年から嘘のように全く走らなくなってしまうのでした。


~終~



馬にも分かるんでしょうね。そういうことって。
最後のはスプリンターズSの話なので、少し逸れていましたね。


今回は1991年安田記念から、名家のお嬢様、ダイイチルビーを紹介しました。
お付き合い頂き、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?