番外編 思い出の日本ダービー(2000年アグネスフライト)
オークスに続いて、週末のG1を対象に、個人的に好きな過去のレースをそこはかとなく綴っていくだけの回です。
今回から番外編にします(笑)
今回は僕が一番好きな日本ダービー、アグネスフライトが優勝した2000年を回顧していきます。
ダービーはどの年も好きですが、一番はこれですね。ずっと変わらないですし、譲れません。
三宅アナの名実況もいいですね。それと合わせて見るともう確実に涙出ます。名レースに名実況ありですね。
2000年の日本ダービー。人気の中心は皐月賞馬のエアシャカールでした。その皐月賞は後方から運び、3~4コーナー中間地点で外から一気に進出。直線で内の好位から楽に抜け出した3連勝中の1番人気、ダイタクリーヴァを図ったかのように差し切り、見事一冠目を手にしました。その好パフォーマンスから、ダービーでは単勝2.0倍の圧倒的支持を集め、一歩抜けた存在でした。鞍上は言わずと知れた武豊J。ダービー初制覇こそ2年前のスペシャルウィークでしたが、その翌年、1999年はアドマイヤベガで勝利して前人未到のダービー連覇。そしてこの年はエアシャカールで3連覇の大偉業が懸かっていました。
2番人気は皐月賞2着のダイタクリーヴァ。それまでの3連勝にはシンザン記念、スプリングSと重賞が2つ入っていて、皐月賞こそ足元をすくわれた格好になりましたが、ファンの支持は単勝4.8倍。脚質的にもエアシャカールの方が有利という考えでしょうね。現代の今でも距離が延びる日本ダービーは瞬発力のある差し馬が人気する傾向にあります。鞍上は皐月賞に引き続き高橋亮J。今は調教師ですが、僕はダビスタの話になりますがロサードに良く乗っている騎手だったと記憶しています。
3番人気はアグネスフライト。オープン戦の若草S(今は廃止)、京都新聞杯と2連勝で臨む晴れの舞台。この年の京都新聞杯は2000mのG3とイレギュラーでしたが、シンガリの4角大外から、直線一気の差し切りという目立つ内容でダービーに出てきました。鞍上はこちらも今は調教師の河内洋Jです。単勝オッズは5.1倍と、皐月賞2着のダイタクリーヴァに肉薄していました。
これが17度目のダービー騎乗になる河内Jは武豊Jの兄弟子にあたる存在で、このレースは師弟対決とも言われていました。数々のビックタイトルを名馬とともに勝ち取ってきた名手ですが、ダービーは未勝利のままでいました。サッカーボーイなど、1番人気で臨む日本ダービーは何度かありましたが、最高着順は1998年、2着のボールドエンペラー(14人気)。ただ、この年の勝ち馬は遥か前方で独走したスペシャルウィークです。奇しくも、弟子の武豊Jがダービーを初勝利した年の2着と、因縁めいたものがありました。ボールドエンペラーは人気薄での激走でしたが、アグネスフライトはある程度のチャンスがある馬で、河内Jも年齢的にはもうチャンスは無いと思っていたそうで、ここに懸ける想いは強かったと思います。
単勝オッズはエアシャカールを筆頭に5番人気ジョウテンブレーヴが13倍ほどで続きましたが、6番人気のアタラクシアからは33倍、11番人気以下は100倍超と、かなり上と下で支持が大きく変わる様相でした。
スタートはオースミコンドルが若干立ち遅れ。まずは外から皐月賞でも逃げたパープルエビス石橋Jが押して押して出ていきます。しかし、内のマイネルブラウ、横山典Jが譲りません。さらに内のタニノソルクバーノも青葉賞で逃げたように岡部J、先頭争いに加わり、1コーナーまで続いた3頭のハナ争いは、枠の利を活かしてタニノソルクバーノが制しました。前の3頭がやり合って隊列は既に縦長気味になりました。
まず先頭はタニノソルクバーノ、マイネルブラウの2頭。向こう正面手前でマイネルブラウがタニノソルクバーノを交わして先頭に立ちます。それについていくパープルエビスが4番手を5馬身くらい離す展開。
離れた4番手にマイネルブライアン。外にジーティーボスが続き、2馬身離れてここからが中団。4番人気のカーネギーダイアン、マルカミラー、内にクリノキングオー、外にトーホウシデン、間にようやく2番人気ダイタクリーヴァです。皐月賞よりも後ろからの運びですが、元々中団くらいで競馬をする馬なのでさほど問題でも無かったですね。
その外にアタラクシア、5番人気ジョウテンブレーヴ、内にリワードフォコン。
その後ろからは後方勢プラントタイヨオー、そしてこのグループ、後方4番手にエアシャカールでした。マイネルコンドルが続き、更に後ろ、後方2番手にオースミコンドル、そして3番人気のアグネスフライトはシンガリからの競馬でした。先頭までは20馬身以上ありそうです。
前3頭が飛ばしに飛ばして前半1000mは59.2と当時を考えればハイペース。馬群の縦長さを考えればそうなります。向こう正面は各馬折り合い専念でしたが、3コーナーに入ってジョウテンブレーヴ、蛯名正Jが外から上がっていきます。ダイタクリーヴァはまだ動かず、大ケヤキの手前でエアシャカールが外から上がっていきます。同時にアグネスフライト、河内Jも外から進出開始。エアシャカールの武豊Jは外をちらっと確認していて、後ろから来るアグネスフライトの気配に気づいている様子。ダイタクリーヴァは高橋Jの手が動き、4コーナーの手応えがイマイチ。既にエアシャカール、アグネスフライトにも交わされて苦しそうです。
4角に入る頃には逃げた3頭は苦しく、タニノソルクバーノは既に後退。パープルエビスも苦しく、マイネルブラウだけが頑張ります。
そんなハイペースの日本ダービーは直線向くや否や、外の馬が内を一気に飲み込む驚異的な前崩れの展開。
この頃の東京競馬場の直線は今よりも短い500m。生涯一度の夢舞台の結末はこの500mに委ねられました。
逃げるマイネルブラウを馬場の真ん中、アタラクシア、四位Jが交わして残りは400m。手応えは悪くありません。
アタラクシアの外から早めに仕掛けたジョウテンブレーヴ蛯名正Jが並びかけに行って残り300m。内アタラクシアが応戦したかと思ったその瞬間、外からエアシャカール、武豊Jが楽々と交わして先頭に立ちます。
あっさり先頭に立って武豊Jの3連覇か。場内は大歓声に包まれます。しかしそんな歓声、3連覇への期待をかき消すかのようにただ一頭、大外から懸命に追われて飛んでくる馬がいました。
アグネスフライト、河内洋Jです。
河内J、悲願の夢に向けて懸命に左ムチを振るいます。そんな鞍上の想いに、執念に、決意に応えるかのように、アグネスフライトは鬼のような末脚を発揮。エアシャカールにグングン迫っていきます。
残り100mを切ってアグネスフライトが半馬身差まで詰め寄った瞬間に、武豊Jも負けじと左ムチ。しかし、エアシャカールは大きく外にヨレて、アグネスフライトも外に押し出されます。
それでも、アグネスフライトは力を振り絞り、もう一度脚を使ってエアシャカールを捕らえにいきました。
エアシャカールか、アグネスフライトか。武豊の3連覇か、河内の夢か。
全く並んだところがゴールでした。際どすぎて誰の目にもわからなかった勝敗の行方。
しかし、ゴール後すぐに右手を高々と突き上げたのはアグネスフライト、河内Jでした。
ジョッキーというのはすごいです。紙一重の差でも、きっと感覚でわかる何かがあるんでしょうね。
引き上げる際に、河内Jが武豊Jに「どうや?」と問うと、「おめでとうございます」と返ってきたそうです。
大観衆の「カワチ」コールに祝福されての特別なウイニングラン。
河内Jは噛みしめるように左手を突き上げて応えました。
師弟対決。お互いの意地と願いが交錯したこの一騎打ちの結末はハナ差の決着。
それも7センチ差でした。わずかに、それでも確かに河内Jの夢を乗せて、アグネスフライトは府中の夢舞台に翼を広げ、ダービーの栄冠を手にするのでした。
~終~
余談ですが、河内Jは翌年、アグネスフライトの全弟、アグネスタキオンでクラシックの主役に名乗りを挙げます。
光速の脚を武器に無敗のまま単勝オッズ1.3倍に支持された皐月賞を楽勝し、さあダービーと思われた矢先に屈腱炎を発症。そのまま引退を余儀なくされ、アグネスタキオンのダービーへの出走は叶いませんでした。
その年のダービーは皐月賞で2着に負かしたダンツフレームで臨みますが、ジャングルポケットに完敗の2着。ダービー騎乗はこれが最後でした。
アグネスフライトは本当にラストチャンスだったんですね。
ダービーは他にも好きなレースがあるので、やりたいなと思っています。
年1では紹介しきれません(笑)
まだ分かりませんが、そんな感じです。
付き合って頂いた方、ありがとうございました。