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30歳になった時に書いたこと

2017年4月15日。今日、30歳になった。

30年間生きてきたという実感は、まだ今一つない。最も0歳の頃の記憶なんて他人事のようなものだから実感が湧かないのも当たり前といえば当たり前ではある。ただ、20歳のことを思い起こすと、10年という長さは、30年に比べると少しだけリアリティを持って感じることが出来る。

中高で没頭した将棋のおかげで、初めての大学受験は気づいたら終わっていて、周囲の予想通りきっちりと浪人した(自他共に予想通りだった)。浪人して周りの皆と一緒に何となく予備校に通っていたものの、将棋以外にこれといった特技もなかった自分は、かなり不真面目な浪人生活を送っていた。GAPの赤いパンツを履いて「赤パン野郎」と揶揄されながら、勉強もロクにせず音楽ばかり聞いて、mixiにくだらない文章を沢山書き散らして、何とか自分のプライドとアイデンティティを保っていた。当然のようにセンター試験は大失敗し、後期試験の小論文で開き直って壮大な妄想を書き殴ったところ、どういうわけか採点した教官の共感を呼んだらしい。(mixi効果だと踏んでいる。)おかげで希望していた大学にどうにか滑り込んだものの、初日のオリエンから遅刻して初対面の同期生達からは冷たい視線を浴びていた。僕が20歳になったのはそんな時だった。思い出してみると本当に不真面目な若造だった。

その後の10年、今日に至るまで人並みにいろいろな経験をしてきたけれど、最近になって21-22歳の頃の自分を思い出すことが多い。ここで「その頃の俺は、悪かったんだぜ」的な話が、リアルなエピソードを交えて語ることができればまだ面白いのだけれど、残念ながら21-22歳の頃はただ斜に構えて、西荻窪あたりでくだを巻きながら飲み歩いていただけであった。(そして、一緒に飲んでいる年長者にいかに酒を奢らせるかを考えていた金銭的にも精神的にも貧しい若造だった。)

ただ、お酒や音楽が生活時間の大変を占めるようになり、そこで出会った酔狂な人たちが僕の知らなかった世界の色々な扉を開けてくれた。僕の20代の土台は主にここで形成されたように思う。酔狂な大人に導かれるままに新しい世界を堪能している真っ最中だった僕は、元々のお気楽人間ぶりも相まって、周りの友人たちが就活に勤しむ間も音楽やらお酒やらに没頭した。そして、予想通り無職のまま大学を卒業した。それからも、バンドを組んでアルバムを作ったり、メディアを運営したり、注文住宅の営業をやって体を壊したり、顔を隠しながら怪しいお店のティッシュを配ったりといろいろなことをやったけれど、今は少しだけまともに働くようになり、外資のコンサルタントになった。

音楽は変わらず大好きなままだし、バンドも続いている。でも20代の半ばから、やめてしまったことが一つだけある。それは文章を書くことだ。別に書いた文章を人に見せるわけでもなく、ただただお気に入りの手帳やメモ帳を探して、いろいろなことを書くことが学生時代はとても好きだった。飲んだくれた後の落書き、印象的な映画のセリフの引用、初めての彼女への手紙の下書き、深夜のファミレスで聞こえてきたギャル達の会話、ポエムのような墓場まで持っていくべき妄想、行ってみたいラーメン屋のリスト…などなど。いろんなことを書いていた。

けれど、20台後半で仕事が少しづつ軌道にのって、生活が安定してくるのに呼応するかのように文章を書く量が減っていった。やがて、メモ帳を持っているのに文章を書いていないことがストレスになり、持ち歩くことをやめてしまった。原稿の締め切りに追われているわけでもなく、生活に支障があるわけでもないのだけれど、文章を書かなくなってしまった自分がとても不思議だった。

ただここ最近になって、再びお気に入りのメモ帳を持ち歩き、ぽつぽつと書くようになってきた。どうしてそうなったのか最近までわからなかったのだけれど、30歳が近づくにつれて、20歳の頃から変わらずに信じていることが一つだけあることに気が付いた。「インプットをしなければ、面白いアウトプットは生まれない」ということ。

映画や本でもいいし、音楽でも旅行でもいい。何気ない友人との会話でもいいし、ただの景色だっていい。でも、自分に何かを入れ続けなければ、自分の中にある古いものは経年劣化していくし、やがて空っぽになってしまうと思う。書いてしまうと全くもって大したことがないのだけれど、要は自分が空っぽだから書くことがないというだけのことだ。

コンサルタントになった最初の仕事で、僕は師匠と呼べるような人に出会った。その人は、数多くの難しい案件を手掛け、物凄い量の本を読んでいて、全ての情熱を懸けてクライアントに真剣に向き合っていて、社内政治には無頓着で、スーツが大嫌い。そして、お酒は弱いけれど飲むのは好き。仕事後にもよく飲みに連れて行ってもらった。

ある晩、飲みに行ったときに仕事の質問をした。それは少しずるい質問で、「先にテストの答えを教えてもらおう」というような質問だった。けれど、僕の師匠は「ごめん、そこは俺も考えているところなんだけど、まだちょっと答えが出ていない。もう少し時間が必要だ。」と答えてくれた。僕は凄く感動した。一回りも二回りも年齢の違う自分の部下に仕事の質問をされているのだから、いくらでもごまかすことができたはずだし、きっとなんとなくの答えも持っていたと思う。でも年下の若造に堂々と正直に「まだわからない」と言えるコンサルタントって、世の中に何人いるだろうか。僕にとってはとても人間くさい、超一流のコンサルタントだった。

師匠と仕事をして膨大な知識量と洞察の深さに日々圧倒されているうちに、もっといろいろな事を知り考えた上で、堂々と自分の言葉で「わからない」と言える人間になりたい、と心から思った。そして、メモ帳を持つようになり、またぽつりぽつりと文章を書くようになってきた。それはある種当然の成り行きだと思う。インプットがあれば、書かずにはいられないはずだ。そんなわけで、30歳になった記念に人の目に触れる所で、定期的に文章を書いていこうと思った。いろいろなものに触れて、自分の中身を枯らさないようにするための戒めの意味も込めて。

40歳になった時に、この記事を見た自分がどう思うかがとても楽しみだ。


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