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【絵日記】こんなコロナなご時世ですが#こんコロ2021

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2021年4月25日から、「こんなコロナのご時世ですが2 #こんコロ2 」を連載します。 2020年春、緊急事態宣言発令を受け、mokumoku studioはこの未曾有な時間を…
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記事一覧

【絵日記#こんコロ-DAY159】 おかえり

掛田智子 文  ちから 絵 おかえり 広い空がみたい 手と足をのばして なんの不安もいらない 両面テープをかしてくださいませんか 今日の足あとを 空にはりつけるから

【絵日記#こんコロ-DAY158】 ジー

掛田智子 文  ちから 絵 Gの夢を見る もちろん初めてではない 雑誌など丸めて臨界体制であれど 最後の一打が打てない なぜ なぜ殺せない そのうちにGは 4倍ぐらいに拡大して 赤い光も放つGとなる 恐怖のあまり声をあげる その声で目覚める

【絵日記#こんコロ-DAY157】 来月の自分さえ

掛田智子 文  ちから 絵 最近過ぎるお酒と自分をなだめる真夜中 暗示をかけるように大丈夫 明日は大丈夫 続いた緊急事態宣言とこの連載もあと数日 緊急事態であった自分たちの様を伝えたかった 数年後に振り返ることが楽しみだ そもそも 来月の自分さえ想像できないけれど

【絵日記#こんコロ-DAY156】 ロース肉でしたのであっさりと

掛田智子 文  ちから 絵 こんばんはなにたべたいぜったいとんじる 今夜は豚汁 何食べたいか明確に分かる日たまにある今夜豚汁 そして具沢山であること 野菜室の残り物でいいのだ心と体整う今夜は豚汁

【絵日記#こんコロ-DAY155】 わたしやってやるわ

掛田智子 文  ちから 絵 他人の常識とひとつ屋根の下 2人暮らし 10年も経てば慣れる当たり前が増える すいもあまいもころしたいも ぜんぶあなただから

【絵日記#こんコロ-DAY154】 マスク越しの涙

掛田智子 文 ちから 絵 電車の吊るし広告に人生を支配させない 価値観はわたしの財産 誇るべきも恥ずべきも マスク越しに泣いている私 山手線でどううつる

【絵日記#こんコロ-DAY153】 蜂とセブン

文 掛田智子 絵 ちから 朝部屋に 迷い込む蜂 混乱と 動揺よろめき 親指ほどの 存在と 人間としてのエンパワメント セブンのコーヒーカップで外に放つ 相方 あなたは誰より何より頼もしい

【絵日記#こんコロ-DAY152】 ゆるがぬ身体

文 掛田智子 絵 ちから 忙しさにも悲しさにも食べ過ぎにも ゆるがぬような強靭ゴムのような身体と精神を欲す コオロギの鳴声数数え 風呂湯けむり 引きずる心重くも 美を見てしまうのは何故だろう

【絵日記#こんコロ-DAY151】 額に汗かきつつ記す

文 掛田智子 絵 ちから 夜間工事 騒音ありつつ 人が行う営み手仕事に 感謝しつつ 枕に頭を落とす 控えめな太陽と 久しぶりの高湿度 秋のドラマティックな風に 目のやり場に困る 1日の 生産性と意味合いを高めるため Twitterをひらく自分への苛立ちかな

【絵日記#こんコロ-DAY150】 マニキュアと浮腫

文 掛田智子 絵 ちから 欠け始めたネイルポリッシュ わたしの眠気と 祭りの後のくたびれと 今宵の満月 一瞬たりとも同じ表情を見せない 切り取りたいのに捉えられない 水彩絵具のにじみのよう 完璧な秋晴れ わたしの腫れた身体を曝け出すのは気がひける

【絵日記#こんコロ-DAY149】 買い物の変革

文 掛田智子  絵 ちから あったらいいな なきゃこまる  買い物も哲学であり 思想である 最近は 10年後も着れるか 90歳のわたしでも 着てるとこ想像できるか その視点で服を買う ファッションとは流行である でも 今の時の流れ それだけではない いつもわたしをしめす服を着る おばあちゃんになった時 今買う服を着る それが大切な目標のひとつ

【絵日記#こんコロ-DAY148】 月と目があう

文 掛田智子 絵 ちから 涼しい球場と寒い試合 それでもわたしはここにいる月もいる あまりにも 月が美しいものだから 動いてる仕草をおいかけようと 目をみはる 月はただ静寂にみえる 頑固な月に疲れて 飲み物をひとくち だしぬかれ 銀の棒超えるか 月のほぼど真ん中 瞬きせず見つめる 3分の2 3分の1 月と私達 変わり続けるよ

【絵日記#こんコロ-DAY147】 顔が足りない

文 掛田智子 絵 ちから 化粧箱ひっくり返して みるわたしの狂気 さみしさと あせりと 誤魔化すようなうっとりと 大切な順番がシャッフルされてる 意識の中の無意識が透けて見える 自分がかわいそうにこわい

【絵日記#こんコロ-DAY146】 大忠臣蔵

文 掛田智子 絵 ちから 大忠臣蔵を観ている 興味があるのは 自分の殿様のため 自分の命さえも投げ出す家臣がいて それは自分のアイデンティティを超えて まるで存在意義のように その忠誠心というのは なかなか想像がおよばない なぜ人はそうなれるのか そこまで捧げられるのか 現代の思想とはかけ離れつつも まったくいまどきありえない そう突き放すにはもったいない気がして なんだかヒントがある気がして 考えてる