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情熱弁当をはじめようと思った「3つの理由」

ボクが東京で料理長をさせてもらっていた頃、
糖尿病の母は、医師から余命を宣告されました。

小さな頃からわがまま放題で、親には迷惑ばかりかけていました。
最期くらい一緒に住もうと、生活基盤を名古屋の実家に戻しました。

ゼロから頑張ってきた東京生活を中断するのには、随分と葛藤がありましたけどね。

一緒に住みだしてから、母はだいぶ元気を取り戻したようです。
宣告された余命を過ぎても、小康状態ながら毎日をありがたく生きていました。(2016年没)

そしてボクは、いかにして美味しく料理を作るのかという従来の事に加え、
健康を維持するためには、何をどうやって食べたらいいのかということを、
改めて勉強するきっかけになりました。

「食べることの大切さを、より深く知ったこと」
これが、1つ目の理由。

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以前勤めていた外食チェーンのある会社では、
M&Aを繰り返し、年間400店舗もの飲食店新規オープンを重ねていました。

通常、個人で一件の飲食店をオープンさせようと思った時には、長い年月がかかります。
少しずつ給料から貯金し、同時に自分のスキルアップに励む。
そして念願かなって自分の城を手に入れるわけです。

しかし巨大な資本に任せ、いとも簡単にお店が誕生する外食チェーン。
その結果、ひとつひとつのお店に対して、働く人の思い入れが薄くなってしまうんですね。

店や人から情熱が生まれないし、感じない。
そう、単なる開店作業が続くだけです。
そんな大手の飲食店に、いつも違和感を持っていました。

ボクの本業は料理人です。
ゆえに、気持ちを込めて料理を作る大切さや、どういうお客さまに食べて欲しいのかなど、
作り手としての熱い気持ちを大切にしたいと、常に思っています。

調理技術なんて、何度も練習すれば誰でも会得できる物がほとんどです。
それよりも、「なぜこういうお店を始めようと思ったのか」という思いこそが、
すべての原動力のような気がしてなりません。

なぜなら、お店にとっては「店主の思い」こそが一番の生命線のはずでしょ。

「ボクの熱い想いを込めたお店を、どうしても世に送り出したかった」
もちろん、これが2つ目の理由。


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歳を重ねると子どもも大きくなり、自分の時間が増えていきます。
その一方で、体もあちこちが気になりだしますよね。
疲れやすくなったり、気力が衰えだしたりと、若い時には無いものを感じるのもしばしば。

でもね、不思議な事に人間の食べる欲求はなくならないんですよ。
むしろ、唯一の楽しみになるんですね。最期の時を迎える直前まで、です。

ところが、食事をするところを選ぼうと思った時、体にやさしい物、
安心してできる料理を出してくれる飲食店は、まだまだ少ない気がしています。

そう、現代の食においては、気になることがたくさんありますよね。
野菜の農薬や化学肥料の影響、食品にたくさん含まれる食品添加物のこと。
肉や卵を産む親鳥の飼料、養殖魚の安全性に対する心配も多々ありますね。

油や砂糖を多量に使った、インパクト重視の濃い味が蔓延している現実。
歳を重ねてから、あえて体に負担のかかるものを選んで食べる理由なんてどこにもありません。

四季を感じる素材本来の味を、
やさしく味わいながら自分の体にとり入れたいとは思いませんか?

「自分の家族にも安心して食べさせられる料理を作ろう。」
これが最後、3つ目の理由です。

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そして、2008年3月17日。
玄米と大自然の恵み 情熱弁当は、産声を上げました。

飲食店ではなく、宅配弁当屋にしたのにも理由があります。
体の不自由な方、外へ出歩けない方の元へも、ボクの料理をお届けしたかったから。

世にはボクの母のように、寝たきりで生活をしている方もたくさんいらっしゃいます。
食べることが生活の中でも楽しみ。でも自分では作れない。

そんな時、情熱弁当がお役に立てると嬉しいという気持ちからです。
だから最低宅配金額も、お弁当1個分から設定しました。

情熱弁当の経営理念は、
「食を通じて世の役に立ち、皆を幸せにしよう。」

生産者である農家・漁師さんたちが素材にかける情熱。
そして、受け取った料理人のボクの情熱を加えます。

それを薄めることなく、お客さまに伝えたい。
だから、「情熱弁当」の屋号にしました。

美味しいだけの食、安全なだけの食ではなく、
食べて元気になれる食を目指して、これからも精進して参ります。

今後とも、どうぞよろしくお願い致します。
店主 原田主税


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