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積善之余慶

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負のスパイラルを吹き飛ばし、常に好循環。自分らしい、大切な人生を送るための『秘策』を一緒に語り合いたいですね。そんな、気持ちです。 https://www.dandl.co.jp…
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#積善之余慶

日々、お陰様。

 年の瀬となり、いつものように国内はソワソワしている。若くして起業して三十三年になるが、この年末のソワソワ感については我関せずが、筆者のスタンスである。別にソワソワすることもなく、年末だから、年始だからと言って、商業イベントに心を奪われる必要性を感じないのである。  それより、お歳暮をお贈りして頂く方々の気遣いがすこぶる有難くもあり、気になって仕方がない。「日々、お陰様。」の心を持って、恩返しをしなければならないが、それを考えると、少々焦ってしまう。  今年も、静岡名産、

決して、馬、猫、豚にはなるな。

 特に、ソフト面、例えば芸術的な価値、人の価値が理解できぬ人に、どんなに価値を伝えようとしても、聴く耳を持たない。そこで、価値あるものの歴史的なこと、他者の実績を伝えても、価値が分からぬ人には、馬の耳に念仏であることを理解しておかねばならない。  そのような人は、目に見えて、重さがあるような物に対しての価値は伝わるとしても、目に見えぬものは価値はないと思っている。更に、物に対しても、例えば、陶磁器の微妙な曲面や玻璃面の美についても全く反応を示さぬ人がいるが、それは論外。初手

一度、彫られた面は元に戻ることはない。

 ある日突然、全く人格が変わったような顔つきとなり、豹変する人がいる。本人は朝から見る顔はいつも通り変わらぬと感じるだろうが、実は、別人のような風貌になっている。  喋り方も、リアクションも、以前とは全く別人である。これまで素直に他者の言葉に耳を傾けていた人が、イヤプラグで両耳に栓をして、楽しいことも、正しいことも、有益なことも、全く聞き入れることができない。  歳を重ねて、目つきが悪い仏頂面の人もいる。長年積もり積もった笑顔なき状態が、能面師がノミを使い般若の面(メン)

2024年は、頂き!・・・都合の良い語呂合わせ

 本日、カレンダーの2024年1月19日の箇所を凝視していた。ふと、都合の良い語呂合わせが頭に浮かんだのである。  これまで紆余曲折、波乱万丈の時を経ながらも、筆者にとって「全てが二重丸という西田の年。トップで行くぞ!」に見えてきた。  2024だ!を、「全てが20(二重丸◎)24(西田)の年」。1月を「一番(トップ)」と見做し、19日を「行く」と神の声。  以上、稚拙極まりない、自分に都合が良すぎる語呂合わせだが、何となく気に入った。よって、本日のカレンダーの19日に

「近くにいらっしゃるので安心します」と言われて・・・

 ある日、オフィスの階段を降りて公道に出ると、隣人の方々が話をされたいた。  いつもように会釈をすると、ちょっと話があるらしく、お一人が近づいて来られたのだった。日頃は仕事で多忙で、なかなか隣人の方々と立ち話をする機会はないが、お話を聞くことにした。  隣人の方は、筆者に対して「近くにいらっしゃって安心します」と伝えたかったようだ。それも、陽が沈み深夜になると、とても安心されるらしい。周囲には十数件が道路を挟んで家々が犇あっているが、筆者だけれが「安心」を運んでいるとは考

積善之余慶・・・金毘羅宮の階段

 「積善之余慶」という言葉を好むが、日々、それを実行するのは至難の業。しかし、この言葉を大切にするのは、人として必要なことである。  以下は、手前味噌で大変申し訳ないが、若き頃(新聞社時代)に、四国V字ルート(高松→高知→松山)途中で金刀比羅宮への階段を上ることになった。  ところが、一人の後期高齢者のお婆さんが、「バスに独り残るのは嫌です。上りたい!」と言ってガイドの指示を聞かない。足が悪いので、気持ちは分かるが、周囲の連れの人たちもどうしようもなかった。  よって、

仕事始め・・・あっという間の三ヶ日。

 1年を通じて休みのないのが経営者だと決めつける自分がいる。いや、仕事を趣味として、仕事という感覚のない中で仕事をしているからこそ、ストレスもなく、仕事の中で癒され、心は豊かなのかも知れない。  ストレスは何かと自問自答すると、起業から昨年末までを振り返れば、『著作権侵害』の被害に12回遭ったり、『契約不履行』で無言で逃げた人がいたり、難癖をつけて『内容証明書』を送りつけた人などが、ストレスの要因であったような気がする。  しかし、日頃から正しいことをしていると、どんなに

役員から飛んでくる数字の矢に、ビクビクするな。・・・達成できなくても、死ぬことはない。

<上司から飛んでくる数字の矢>  中間管理職ともなれば、役員から数字の矢が沢山飛んで来ることが想定される。そこで、矢を放つ人間に『秘策』はあるのか、達成する『根拠』があるのかと言えば、皆無である。『言うは易し行うは難し』のいい加減な世界だ。  矢を放つ役員は特別な神的存在ではないのだから、『肩書失くせば只の人』。それを、偉ぶって、陰湿にも、数字の矢を無闇矢鱈に放つ姿は滑稽で仕方ない。平たく言えば、『尤もらしく見えるだけのパワハラ』であり、残念ながら、そのプレッシャーに心が