読書ノート『1984年』
ずっと読もう読もうと思っていたけど読んでなかった作品の1冊です。
平沢進さんのアルバム「ビストロン」のモチーフでもありますね。
ジョージ・オーウェル『1984年』
高橋和久訳・新装版(早川書房、2009年)で読みました。
「ディストピア」というものがよくわからないのですが、作中の世界には安らぎがなく、殺伐としていて、不快で不潔で、読んでいるだけで息が詰まります。
なによりも、食べ物がとにかくまずそう。
私は食べ物の描写で「この世界無理だわ・・・」となりましたが、たぶん読者によって無理ポイントが色々違うのでしょう。
与えられる情報が徹底的に管理される世界は、「さすがに現実でここまでのことはありえないでしょ」と思いながらも、「同じことが行われていたとして、果たして自分は気づけるのか?」とも考えさせられます。
「超良い」
作中、主人公の住むオセアニアの公用語として「ニュースピーク」という言語が登場します。
「ニュースピーク」については巻末「附録」に「ニュースピークの諸原理」という文章があって、詳しく説明されています。1984年の時点でこれは浸透しておらず、2050年に「オールドスピーク」に完全に取って代わる見込み、という状況のようです。
つまり、この時点で「ニュースピーク」は発展途上で、作中にはこの「ニュースピーク」が整備される過程が記されるところがあります。
わ、私、推しのなにかを見たあと「超良い」ってめちゃくちゃ言うわ・・・
私も知らず知らずのうちに思考の範囲を狭められていたようです(ちがう)。
それはさておき、言葉と思考を同時に奪う、という政策がとてもリアルで震えました。むしろ油断すると自分から言葉を手放してしまっているかもしれない。気をつけたい。
テレスクリーン
徹底的に管理された世界の象徴として、「テレスクリーン」という装置が作品全体にわたって登場します。
「テレスクリーン」は当局からの情報を絶えず発信しつづけるだけでなく、部屋の居住者の言動をくまなく監視する装置。これが自分の家にあったらと想像すると、これもまた震えがはしります。
本当に救いのない作品だけれど、私の特に好きな場面があって、詳しくは書きませんが作品中盤の「テレスクリーンが出現する場面」がそれです。
ここも救いはないのだけれど、光景が目に浮かぶような描写や、たたみかけるような絶望感、超良かった。
ほらまた「超良い」を使ってしまった。
最初から最後まで震えっぱなしのリアルさと絶望感ですが、おもしろかった。もっと早く読んでおけばよかったとも思うけれど、十代とかで読んでいたらかえって鬱々とした描写にまいってしまっていたかもしれない。
余談ですが、ちょうど『1984年』を読み終わった頃に某大規模チェーンのホテルに泊まりました。チェックインして部屋に入った瞬間から、部屋の壁掛けのテレビの電源が入り、謎の短編アニメやホテルの情報、有料チャンネルのCMなどが繰り返し流れ続けていました。
はじめ消し方がわからず、作品にだいぶあてられていたこともあって、「これテレスクリーンじゃね?」と半ばパニックに。
リモコンの電源ボタンを押したらちゃんと消えてほっとしたのを覚えています。
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