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四月九日 かえる

さよならはあまりにも自然過ぎて、私たちの終わりがいつにあったのか、辿りかえすことができない。

さよならの音がしないさよならが、どこから始まっていたのか。

そして私は
いつの間にか寂しさを日常に溶かせるくらいに大人になっていた自分に、とてもあとになって立ちどまるのだ。

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