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「note」は自分のために書く。『ノート』から生まれる最大の価値について

結論から言うと、『ノート』は、頭の中の思考を具現化して、第三者に同じイメージを伝えられ、ノートに書くことで、実際に自分のイメージやビジョンを形にして夢を実現する力を持っています。

自分が『note』を書く時は、自分が好きな事を書く時です。

意識しているのは、自分のリアルなノートと同じ感覚です。 最近のこう書いた方がいいとか、これを意識した方が良いなど、意識した瞬間に、自分のためのnoteではなく、他人にどう見られるかの『自分のnote』ではなくなってしまいます。

世界で一番有名なノートは、レオナルド・ダヴィンチのノートだと思います。 多くの人が知っているように、レオナルドヴィンチさん、数々の発明や名画を残しましたが、そこには必ず『ノート』がありました。

自分がノートに書く時って「ダレかに見せる」を前提ではなく『自分のため』です。 自分の頭の中を、ノートに書き出して、それを客観的にみて、また考えて、その繰り返しです。

そして『ノート』は、自分の思考の源泉になっています。他人ではなく、自分と深く向き合うためのツールです。 そこに熱量が産まれ結果として、人や社会に影響を与えるコンテンツになると信じています。

メディアの記事を頼まれる機会がありますが、寄稿する時は、メディアのユーザー層や合わせた深さになど、考えながらになってしまいます。 連載だと義務感になって、自分が楽しんでかけませんでした。

伝えたい事は、noteはプラットホームです。それをどう使おうと、その人に自由です。自分は自分が書きたい時に、書きたい事を書いていきます。

noteを書く時は、自分が書きたいことを書いて欲しいです。

それがnoteの使い方など、制限されることで、どんどんつまらなく、均一化されたnoteが増えたら、プラットホームとしての価値もなくなる時だとイメージしています。

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