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なぜ「戦争=対立」がなくならないか?人類が『言葉』分類する事で分断したから説

今朝の連続ツィートをnoteにまとめます。
キッカケは自分が何気なく使ってる「LGBT」「障害」の多様性も、そもそもが管理する側の都合で、一方的に分類されたラベルで、その人個人のアイデンティティでないのに、「あの人は障害者だ」本人自身も「私は障害者」と、管理側の都合が、その人自身のアイデンティティになっている、日頃の違和感がはじまりです。

そもそもの分断は、人は、自然という未知=恐怖を対象を理解しようとして『神』という概念をつくる事で、「カミナリ=神の怒り」など、「神と人類」を分ける事で、理解=安心を求めるようなり、自分たちを神がつくった「人類を分類する」ことで、動物の分断をつくり、動物や人類が支配するものをレベル=管理をするようになりました。

今の「多様性」もキレイな言葉で、方向性は同じですが、LGBTQなど、その中でも、分類していくと、複雑になって、本質は『個人=ユニーク』に辿り着く、今の多くの「言葉」は、管理する側都合で作られた言葉で、本来は生まれた瞬間に『唯一無二の固有の存在=ユニークな存在』で、侵されてはいけない、人格がある。

今の世界中でなくならい戦争も、多くの戦争は、分断=対立から起きていて、太古なら「自然と人類」が分けることで、自然の脅威など、自然を人類が対立構造になっていや「白人」「黒人」と分類=分断した瞬間に『対立構造』ができる事で、いつで対決=戦争が起きる状態になっているからです。

怖いのは、人の本質として「自分が理解できない=未知=恐怖」があるから、当事者も「自分=障害者=レベル」を受け入れる事で、安心してしまう事がある事です。本来は身体の一部の機能の話から、その自身にアイデンティティになってしまう事です。

世界でも大きい、男性と女性の対立も、本来は子孫を残すために役割=機能が分けるでの生存戦略で、どちらが偉い偉くないかはない、今のウクライナと、ロシアもお互いにの存在=国益を守るための戦争で、守るためが、戦争という手段で、終わりが見えない状態になっている。

伝えたい事は、多くの人は『戦争』を望んでいないので、戦争=対立がなくならないかは、自分たちが万能と思っている「言葉」や「分類」が、分類した瞬間に分断を生み、分断が対決を産み、対決がいつ戦争にもなっておかしくない状態だからです。

『言葉は分断を生み、愛は境界を溶かす』です。
愛はビックワードですが、世界共通であり、動物と人間でも同じだからです。

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