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【ふたこと日記】ドビュッシー 子供の領分 グラドゥス・アド・パルナッスム博士

過去のレッスンメモです。


グラドゥス・アド・パルナッスム博士とは

1905年の終わり頃、O・カリエ=ベルーズというピアノ教師から彼女の著作『現代ピアノ奏法』のためにピアノ曲を依頼されたドビュッシーは、誕生した娘シュシュのことを想い、翌年3月に《人形へのセレナード》を書き上げた。これをきかっけに、この曲を第三曲にした《子供の領分》が出来上がった。

松橋麻利.ドビュッシー.音楽之友社,2007年,p185

《子供の領分》の第一曲にあたるこの曲は、クレメンティの練習曲《グラドゥス・アド・パルナッスム》が題材となる。あの《ツェルニー30番》(1850年代)が書かれる以前の1810〜20年代に作曲されたメカニスム的な練習曲。
※当時社会の中心が宮廷から市民となり家庭に楽器が普及すると同時に音楽様式もより自由度が増したことにより、技術を習得するための体系だったプログラムが重宝されたそう。

「グラドゥス・アド・パルナッスム」は「パルナッソス山に登る」の意で、神話の世界でミューズが住むと言われるこの山に登ることは芸術を極めることを現したということ。
一方、ドビュッシーはこの無味乾燥な練習曲集及びクレメンティを皮肉って、グラドゥス・アド・パルナッスム「博士」を作曲したと思われる。

なお、《12の練習曲 5本の指のために(チェルニー氏による)》はさらに露骨なテクニカル練習曲批判をしています。

この曲と同様、《グラドゥス・アド・パルナッスム博士》も冒頭は練習曲を思わせる旋律からスタートしながら、その後すぐにめくるめく自由でのびのびとした展開が待ち構えます。

技術的なアドバイス

  • 冒頭6小節目までは分散和音だが、3小節目からは1拍目が「八分音符+スタッカート」と強調されていて、「ドレドシラソラ…」がメロディーであることがわかる。丁寧に読むと5小節目からは「四分音符(スタッカートなし)」へと変化しているることから、雰囲気を自然に切り替えレガート気味に表現したい。
    技術的には、指は伸ばし気味に構え件の1拍目に指を振り下ろし軽く叩くようなイメージで、3〜4小節目のメロディーは点滅する光のように。さらに5〜6小節目は少し手を沈み込ませてレガートに。

  • 7小節目と8小節目は似た音型ながら微妙に変化があることに気づく。2回目の山となる8小節目はややペダルを短く切り上げその違い部分をクリアに聞かせたい。(9〜10小節目も同様)

  • 12小節目は濁らず線のような単一音になるように、ペダルを踏み込むタイミングを注意したい。

  • 13〜21小節目は単旋律なのでリズムが走るとやや目立つ。左手で刻むリズムを頼りにするとペースを守りやすい。また、14・16小節目の頭の音に向かって膨らむ感じを出したい。

  • 45小節目は深い海のような世界からぽこぽこと湧き上がってくるようなイメージで、最初のテーマに戻るが突然切り替わる雰囲気にはしたくない。

  • 57小節目からはこの曲にして最も明るくキラキラと輝く箇所。左手で弾く拍頭の音がメロディーであることは明らかだが、各分散和音の右手で弾く4音目がオクターブ上を縁取ることにも意識を集中したい。キラキラと輝きを添えるような役割として。

曲想的なアドバイス

  • 特に冒頭の音の数は多いが、ベースの倍音の響きの中にニュアンスを変えながらそれらが収まるイメージ。

  • 軽やかにパラパラと、あっという間に終わってしまう。スピードが怖くなった場合、曲の途中にいくつか不自然にならずにアクセルを緩められる箇所はあるので考えておくとよい。不安を取り払ったうえで、すごく楽しく聞こえるとよい。


感想

知れば知るほどドビュッシーが皮肉ばっかり言ってて心配になります。


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