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カタカムナ第32首

アマノカミ アメノヨロヅ クナギノタマワケ アヤクメシコネ カムツミシヅマリヌ イツノタテカム アワナギカサネアハヂノ ホノサワケシマ イヨノイヤシロチ

生命の粒子について書いているのが32首です。
アマノカミ アメノヨロヅ
アマはアマ始元量、カミは元なのでアマの元は、となります。
ア始元量のメ芽が出て、ノは変遷して、ヨ四相の輪からロ現れた、ヅ粒子であって

クナギノタマワケ
ク自由にナ繰り返しギ発生して、ノ変遷してタマ球にワケ分けられたものです。

ここまではアマハヤミを理解しないととても理解しづらい場所です。アマハヤミのスピードで、つまり一瞬で、感覚さえないかもしれないくらい早いスピードで入れ替わっています。現在の物理学ではこの速さは認められていません。波動でもなく、電気や光のように波打たず、しかも瞬間移動できる力がある速さをアマハヤミと言います。その速さで潜象が入って、結球して、物体が出来上がることを理解しないといけません。このことを楢崎先生は動物的に理解しないといけないと言われていました。

カタカムナは生命のでき方、ミの使い方を80首で書いているわけです。

クナギノタマワケ
クナギ自由に繰り返し発生して、もの凄いスピードで潜象界からと現象界から合体したものが発生してきます。はその発生してきたものを分けられた分子よりももっと小さな粒子がアマハヤミのスピードでどんどん増殖していくから、ある時分子になり、ある時形になる、ある時赤ちゃんになるとの考え方で良いと思います。

アヤクメシコネ
アヤは怪しいと言うように、アマ始元量がヤまで行く時に、客観配合の力やアマハヤミの速度を信じなければ説明ができません。それで困った現在の物理学者は、アヤクメシコを奇妙作用と名付けました。それは変な動きをする、計算通りにいかないという動きのことです。その動きのことを客観背後の何かが居て、そこで変な動きが現れて、自由に発生して繰り返し発生する根っこを持っています。そしてそこから発生してくるのですが、自分たちの算式に合わないので、そこには必ず奇妙作用が多く、奇妙作用がくっついているものだと現代物理学の人は言っているので、アヤという言葉がそれをまさしく表しているのではないかと思います。

カムツミシヅマリヌ
カムツミは生命根の一つ一つの生命の実体として、カムツミとかシヅマリヌとかいう言葉は毎回とても沢山出てくるので、繰り返しやるうちにシヅマリヌとはこういう意味なのかと分かります。それが現代の日本語でシヅマリヌということにかなりよく似た感覚で、繰り返し繰り返し説明されてきます。繰り返すことで感じていくしかないと思います。シヅマリヌは安定した状態ですが、絶対に見えない潜象ですよ、ということです。

イツノタテカム
一個一個の現象粒子が、正反に現れてくるのです。

アワナギカサネ
結球を重ね、力の差を重ねていきます。

アハヂノ
あらゆるものは正反の持続を持って変遷していくのです。

ホノサワケシマ
親和重合して、変遷しながらカムの量の差によって、変化性のある分けられ方をする粒子のことになります。

結球多種多様なものが出来上がる過程を説明しています。その過程には目に見えないものもあれば目に見えるものもある。でも必ず目に見えないもののその後ろ側に重なっていることを繰り返し述べています。

イヨノイヤシロチ 
イ電気がヨ四相を持ち、変遷していく。そして電気が根源にまでいって、現れて持続することを示していますので、その言葉がイヤシロチという意味です。

イヤシロチというのが、ケガレチと比べられています。良いからイヤシロチでなく、悪いからケガレチではありません。それぞれ使い分け方法があるのです。ケガレチは食物を栽培は向いていませんが、人間のエネルギーが高まり過ぎた時、放出するには向いています。そのことはイヤシロチは良い、ケガレチは悪いと船井さんが本を出してしまって勘違いが起こっているというのが現状です。ケガレチが悪いなら、土地の半分は使えないということになってしまいます。生命に役割があるように、土地にも役割があるのです。電気の量が低いのがケガレチで、量が多いのがイヤシロチですが、電気の多いものは生物的なものを活性化させるには良いですが、いつも活性化させ続けたら良いのかと言ったら、人間全速力で走り続けることはできません。だからケガレチにも役割があるのです。

主に生命の電気の粒子の説明になっていて、とても読み取りにくいと思うのですが、原文を直訳すると必ずこういう解説になってしまいます。ただそれを音として聴いて流れた時に感じる感覚とは全く違います。理屈で考えて、一つの単語の音思念を音の上に乗せて、それを繋げていくと分かりやすい場所もあれば分かりにくいところもあります。例えばカムナガラと言えば見えにくいものなんだと、一つの単語として覚えやすいのですが、前後の流れによって意味が変わるものがありますので、それと重なった場合は非常に理解しにくいと思いますが、読み続けていくしかありません。

80首全部覚えて初めて、流れが出来上がって、感性が出来上がって、アワ脳の刺激が出来上がってきて、感じるようになれるのであって、一つ一つの理屈通りにくっくけていくと、今の文法と違いますし、和語も消えていますから、非常に分かりにくいものとなります。しかし、一度はカタカムナをする限り、通読してその後で自分の中に取り入れていくのでなければ、一個の言葉だけにこだわって、そこを拡張したらカタカムナではないと保江先生が仰っていた通りだと思います。

中級の授業だけは一番退屈で分かりにくい。でも聴いておこうかという気持ちで聴いていただかないといけない場所で、何回も繰り返して聴いて理解していくしかありません。


この歌は、長かったですね😓



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