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カタカムナ第30首

トヨクモヌ フツサカルツミ フトナシメシウタ マリタバネ カブシウキフヌ メグルマリ ウヒチニホロシ カタカムナ タカマカムスビヌシ イモヒククヒ カミワクサトリ

トヨクモヌ
現象の生命体について説明しています。
ヨはヒフミヨイのヨで、四相のこと。トヨクモヌが統合された四相性を持って、しかも自由に集合している潜象体のことです。
全てのものが統合されて既に重なっているのですが、四相性を持つようになることから、トヨは全てのもの、万物万象という意味を持っています。
この四相性が非常に特殊な考え方で、今物理学がそれを段々と認めるようになってきました。
四相の言葉が宇野先生の本に沢山、本4冊分書かれていますが、その直接的な説明はありませんでした。陰陽文化をちょっとズラすということではありません。負け勝ちの文化でない日本は負けても勝っても真ん中、四相の原理が入らないと和合という考えには至らないのではないでしょうか。
カタカムナにとって大切な考えだから、しつこく四相のことをあちこちの歌に出てきています。ヨが四相。ヨがあちこち出てくるのは、それだけヨという言葉を大切にしていたということです。しかもそれがトキトコロと重なっています。で、トキトコロは現象物のヒの中にあるのか、ヨの中にあるのか、その真ん中にあるのか、トキトコロは現象物を全部持っているわけですが、トキトコロは現象の中に入った瞬間に発生するのか、その直前に発生するのかはまだ私自身も読み解けていません。難しい場所です。今の時間空間とは違います。時間空間は単体では存在できません。四相の中の正反であるというトキトコロです。

フツサカルツミ フトナシメシウタ
フは二つのそれぞれの一個一個の差によって裂かれて、潜象として存在する一個一個の粒子です。その二つが重合して重なって繰り返して発生することを歌で示します。示し歌。二つではない。四相なのですということを示す歌です。

マリタバネ
正反の状態に対向しているので、それを一緒にして束ねる、ネ根、根本があります。束ねる所にネ、縛っているのです。

カブシウキフヌ
束ねられたものの上に被さるように存在する粒子が、潜象と現象の界面ウに発生する正反二つの潜象のものは回転しているマリなのです。

ウヒチニホロシ
界面の根源が持続して定着して飽和して現れて示しているのがカタカムナです。だから正反のものがあるのです。それを束ねて合体させて物が出来上がる。正反、四相は必ず含まれていて、一体になって被さっている。それが現代語で花を束ねるの意味です。カブシというのは、被さるようにあって、そういう状態になった時に、界面に正反二つの潜象のものが発生する。それがウキフヌということなのです。

メグルマリ
潜象のものが発生して、初めて回転するマリになって、

ウヒチニホロシ
根本が持続して、界面に定着して、調和している状態が現象になることです。潜象と現象の界面ウの場所の状態を説明しているのです。ウキフヌは界面に正反の二つの潜象のものがあります。全部現象にはなってないのです。ウヒチニの方が界面に定着して、親和している状態が現象の方に出ていきます。だから、ウキフヌという状態が出来上がってその次の行程がウヒチニです。その時にウヒチニという状態の時には親和して、くっついて、一つのものとして現象界に現れますよ。そのような過程を作ることの説明です。

カタカムナ
そこに与える力、現象を出す力がカタカムナなのです。

タカマカムスビヌ
タカは現象ですから、マカはカが入っているので潜象で、その潜象と現象が一緒になって離れることがなく、その結び主が、それもカタカムナなのです。

イモヒククヒ
極微粒子が集合して生かされている自由な根源として、力と生命の実体のミと湧き出すという悟りを歌にしています。

まだここには生命力の話は出てきません。ここは生命体の話です。

ウヒチニとウキフヌは覚えるしかないと私は諦めました。

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