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言霊秘書その10 学問とは

水の巻1 130
天地の道理を知ろうと欲するならば、己を知ることだ。だから、学問は遠くにあるのではなく、まず母胎から生まれ出て、息をすることを知り、水火(イキ)することを知って、ものを言うことを知り、言葉は我が国の書籍(フミ)であることを知る。

その書物に教えが書かれていることを知って、胎内に神霊がいらっしゃること知り、そうして身を修めることを知る。これが学問の終わりなのです。

学問は自分自身にあるのであって、他所にはないのです。己を知る時は天地に明白である。己を修める時は人を修めるとき。

例えば中国の人が仏学に入りたいと思う時は、中国の学問を先にするべきだ。我が国の人が儒仏の学問に入ろうとすれば、国学よりも先にするべきだ。自分の国を本道として、他の国を裏とする。

中略

舎人親王はこう言った。神道は根であり、儒仏の両道は枝葉末節である。今は枝葉が生い茂って、根が枯れてしまっている状態だ。

学問について書かれていた。
まず己を知り得ないで何のための学問か。体内にある神霊を知って、身を修めることが学問の究極の目的なのである。そのために神道、国学を学ぶことが肝要である。

江戸期、鎖国の影響もあってか、国学が爛熟していた。著名な国学者も大勢江戸期に活躍されておられる。
各自身に神が宿ることを知っていたならば、どうして自他を粗末に扱えるだろうか。そしてまた、自国への誇りも湧いて来ないはずもない。
国学を学び、身を修め、神道を極める。そこに目指すべき教育の在り方がみえてくるような氣がする。

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