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カタカムナのルーツ②

古事記とは
古事記つまり古い出来事を知るには、古詞記つまり古い詞を知らなければならない。古い詞を知るには、凝る水火(いき)を知らないといけない。凝水火とは、イキ並ぶ理つまり稲荷。稲荷の息の法則、息の御伝え、これが神(火水)の教え。火水の教えが稲荷。

火水與(かみよ)の時に火水(かみ)の教えがあって、これがイキの御伝えとして、言霊の法則として稲荷に残されています。このイキの御伝えという稲荷に残された古伝をカタカムナと一緒に読み解くことによってアークが発生します。この構造が分からないと何時までもカタカムナは分かりません。
何かそこに繋がっているのが分かっていたから、楢崎皐月さんは、古事記を研究していたのです。

ただ、いつの間にかカタカムナを研究されるうちに、宇野多美恵さんは哲物理学として整理していく方向性になっていきました。これは御神体だったけど、古神道ではないといって、物理学的な一つの見解として宇野さんはやって行き、天野先生はそれを継承しています。

元々は、御神体。つまり、神の形を表した影となります。

カタカムナとは
カ←タカ→ムナ=タカミムスビとカミムスビ
タ→カとナ=内から外のタカミムスビとカミムスビ
ナは横(火)と縦(水)が結ばれて和となって縄、〇十(まるじゅう)となります。
つまりタカミムスビ(構成しているのは火と水、剣)とカミムスビ(構成しているのは火と月、鏡)が組み合うことで生まれ出るもので、カタカムナとはアメノミナカヌシ(印の御霊、○チョン、○十、ヤタノカガミ、仏教ではこれは法輪。だから空海は五鈷杵と数珠を持ってアメノミナカヌシが生まれるという稲荷の型をやっている)を表しています。
ここらあたりは1月21日の「カタカムナについて」に詳述。

空海
空海はかつて秦の稲荷、究極の大和人の叡智としてしっかりと言霊(稲荷の古伝)とカタカムナに収め、体系化して、形を治めて後世に残し、アークとして封印していったのです。
カタカムナを体系化していたのは、空海なのです。

空海に稲荷の古伝を授けていたのは、荷田竜頭太(伏見稲荷の初代管理者)で、竜頭太は仁聞菩薩と繋がってきます(同一人物か?)。

仁聞菩薩は八幡神の化身。そして仁聞菩薩は宇佐神宮と六郷満山を開山して、国東の地に28の谷に28の仏閣を作って、56というイムという暗号を残しました。
火はその漢字の形が5角形(五芒星)、水は6角形(六芒星)、これが組んで五輪の塔ができて摩仁宝寿の形になります。

イムは仏とも読むし、火水と書いて神とも読むし、火水(イキ)並ぶ理として稲荷ともなります。図式化すると仏=稲荷=神となります。
だからここに伝わっているのはカタカムナと言霊という、火と水が伝わって、仏と神と稲荷にこの奥義が伝わっています。

カタカムナ図象符を形にしたのは空海ですが、カタカムナの概念ははるか昔から続いていますが、カタカムナと呼ばれなかった時もあるし、カタカムナは形を変えていきます。

大本の根源は、イキ、吸う息と吐く息。呼吸がそもそものがカタカムナの根源です。人間の息も地球の息も、宇宙の息もあります。ここからいろいろな人が「息」によってカタカムナを受け継いで、形を変えて、ずっと継承されています。

究極を言えば、何もカタカムナと言霊だけがカタカムナのすべてではありません。ただ今の時代に残っている一つの形として、カタカムナと言霊があって、これに携わったのが空海なのです。

スメラミコト
本物の神武天皇(一人トライが来て政略された)はカムイワレヒコ、これはニニギ(海幸山幸)に繋がっていきます。ニニギの前は天竺で神の教えを教えていた日月燈明如来(神)がおり、彼の遺言(子どもたち、弟子に言い残している)が法華経となっています。
でもこれは代々名前を襲名していたみたいなので、120代くらい襲名していたのを辿ると160万年前になります。これがスメラミコト。スメラミコトとして神の教えを継承していたのです。

仏教と神道
こういう火と水の法則はずっとあって、カタカムナと図象符は文字も文章もいろいろありましたが、仏教の祖である日月燈明如来は、明らかににこれを継承しています。
初代の日月燈明如来は日月天神(国東の木から生まれた)。
この日月天神が日本に大災害(大噴火)があった時、天竺に移動して教えを説いており、あちらでは日月燈明如来と呼ばれていました。こちらの神はあちらの仏。

こういう長い歴史、つながりがあるのです。
仏教と古神道はもともと一つ。
日本の日月天神が天竺では日月燈明如来と言われていました。
お釈迦さんが法華経を解いたというのも、お釈迦さんの時代にあったカタカムナ、言霊的なもので読み解いているのです。

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