ミ來週報5/22-5/28

腰痛の1週間だった。まだ完全ではないけど家にいるときはよく休んでかなり回復したのでよかった。原因はたぶん、自転車の整備でしばらくしゃがみ込んだことだろうか。そんなに無理な体勢とも思わなかったのだが、久しぶりの作業ではあった。あと、その後数日変に忙しかったからか。今年は2月に手首の腱鞘炎、3,4月は風邪、5月は腰痛となかなか身体が整わない。でもそのぶん、普通に何かができるうれしさがわかる気がする。普通にくつ下をはけるってうれしい。


サイクルロードレースのジロ・デ・イタリアが閉幕。今年はDAZNで3週間全ステージを(全部の時間じゃないけど)見て、楽しめた。その間にツアー・オブ・ジャパンの配信も見たりして、実際に自転車競技の観戦に行ってみたいと思ったりもする。選手が走ってくるまで何をしてればいいのかわかんないけど。


最近部屋でSpotifyを流していると椎名林檎のカバーがよく流れるので、リアルタイムで聞いていた頃のことを思い出したりする。

それで気付いたんだけど、あんなに聞いていた無罪モラトリアムの曲でも自分は歌詞が全然わかっていない。もともとわかりにくい歌詞ではあるにせよ、ほとんど確認しようとも思わなかったのだ。本当にリアルタイムで聞いていたとき、ぼくはこのアルバムをレンタルショップで借りてきてMDにコピーして聞いていたから、そのときは歌詞カードが手元になかった。2,3年してからぼくは改めて無罪モラトリアムのCDを買って、歌詞カードも当然付いていたけど、その頃にはもうこのアルバムは歌詞を読みながら聞くものではなくなってしまっていた。すでにリアルタイムのときの気持ちが染み込んでいる曲たちに正確な歌詞やその意味が与えられる価値を見い出せなかったんだと思う。むしろそれで新たな気持ちが添加されることを嫌ったに違いない。それにぼくは、「よくわからない歌詞は自然に聞いていて突然頭の中で理解できたとき一番感動する」と思っていて(実際に中村一義とかで例があったんだけど)、その感動をずっと待ち続けたこともあって、結果的には無知のまま現在に至ってしまったと言うこともできる。これには今さらながら少し考えさせられた。音楽を音楽のまま受け止めて得られる感動に固執しすぎていたのかもしれない。


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「足が残っていればがんばる」幽霊になっても漕ぎ続けるバイシクル


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