ミ來週報2020-49

「人間は40歳くらいで死ぬのがよい」と言っていたのは清少納言だと思っていたのだがどうやら兼好法師だったようだ。わろしわろしと言っているイメージがあったので、そのような思い込みになってしまった。命長ければ辱多し。古典の中では好きな話だ。教科書でしか読んでいないけど。

高校3年のときの担任が国語の先生だった。女性で、当時ちょうどその40代くらいだったように思う。と言っても教えていたのは現代文の方で、古典は別の先生が受け持っていた。担任は真っ黒でつやつやな髪のショートボブと丸い眼鏡が特徴的で、生徒たちからは「ぼんちゃん」と呼ばれ親しまれており、たまに本人が直接それを耳にすると、いつものキリッとした話し方で「誰が大木凡人だ!」と笑いながらツッコミを入れていた。

担任というだけで特段親しくしていたわけではないのだが、卒業間際のころ、進学する大学が決まったのを報告に行くことにした。すでに授業はなく、静かな教室を横目に国語科の教員室へ入ると、ぼんちゃんはデスクで作業をしながら向かいの席の古典の中村先生と談笑していた。その先生も女性で眼鏡をしていたが、髪は長く華奢で、ぼんちゃんよりもやや年上だったように思う。ぼんちゃんはぼくに気付くと隣の席に座らせ、自然と3人で話す感じになった。初めて入った狭い教員室はストーブの熱で暖かかった。

ぼくがぼそぼそと進学先について伝えると、ぼんちゃんは「そうかそうか、まあよかったな」「がんばれよ」と声をかけてくれた。第一志望ではなかったが、希望していた国際関係や文化を学べそうなところではあったので、ぼくにとってもまあまあだった。そういう話をしていると、中村先生が思い立ったように「私も本当は大学でフランス語が勉強したかったのよ!」と声を上げた。国語の、しかも古典の先生が、なおかつかなりのベテランの方がそんなふうに言うなんて思ってもみなくて驚いた一方、勉強したかったらすればよかったんじゃないか、とも思った。でもそうはできなかったのだという。"女子は日本文学で外国語は中国語"というのが当たり前だったと。学びたいことを自由に選べないくらい社会の圧力が強い時代があったということ、そして人は必ずしも希望通りにまっすぐ進んでは行かないということが、強く印象に残る会話だった。

卒業後10年以上経ってから、偶然ぼんちゃんを見かけた。あるショッピングモールのコンコースを歩いていると、店舗の脇に設置されたベンチにぼんちゃんがひとりで腰掛けて携帯電話をいじっていた。過ぎた年月にも関わらず髪型も眼鏡も変わることのない、紛うかたなきぼんちゃんである。たぶん家族の買い物を待っているところだったのだろう。ぼくは就職後に都内で暮らしたあと体調を崩して一度実家に戻っていたころで、「希望通りにまっすぐ進んでは行かない」ことをまさに実践しているところだった。しかしだからといって突然かつての担任に金言を請おうとも思わなかった。明らかにぼんちゃんだな、と考えながら、特に声も掛けず、自分の買い物に戻った。

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ポケットの中に直接ビスケットを入れるそのうえ叩く母泣く


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