ミ來週報2020-45

乗客が自分ひとりのバスなので降りたらバスではなくなってしまう

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くどうれいん「うたうおばけ」に出てくるお話の中で、恋愛について、「本当に好きだったら『好き』とか言えなくないっすか」と言われてみんなでその通りだとうなだれるところがあるんだけど、読みながら一緒にその通りだと思う自分もいつつ、そうでもない自分もいることに気付いた。恋愛に限ったことではないが、昔と比べてだんだんと、特別なことでなく、素直な自分の気持ちを伝えられるようになってきているような気がする。若くなくなったといえばそれまでだけど。

もうずいぶん前、まだ都内で一人暮らししていたころ、舞鶴にいる父方のおばが病気で長期入院したことがあった。なかなか会う機会もないし、弟と一緒にお見舞いに行こうという話になったのだが、それを聞いた父は「『遊びに来たついでに寄った』って言えよ、向こうが気をつかうから」と言う。その時は「えっ?」と思いつつふーんくらいの返事をして終わるも、その違和感は日に日に大きくなっていった。なんでわざわざそんなくだらない嘘をつかねばならないのか。「心配してお見舞いに来たよ」と素直に伝えたほうが相手はよっぽど嬉しいはずだろう。まぁお見舞いのあとぼくは当時関西に住んでいた友達と京都で会う予定だったし、弟は落語を聞きに大阪に行くと言っていたので、それぞれ遊びにも行ったのは事実なのだが、むしろそちらがついでであって、あくまで今回のメインイベントはお見舞いなのである。そんなわけで結局ぼくは父の言葉を断固無視し、舞鶴に着いたときには「お見舞いに来ました」と普通に伝えると、優しいおばは病室でとても喜んでくれた。

それから5年ほどしておばは闘病の末、残念ながら亡くなってしまった。だからせめていちど素直な気持ちでお見舞いに行けてよかったと思う。

お見舞いに行く前の年、やはり入退院を繰り返していたおばに、長男にあたるいとこを通じて本を贈った。するとしばらくしてお礼の手紙が送られてきた。せっかく思い出したので、いまその手紙をあらためて読み返している。

とても驚き恐縮もしましたが、それ以上にとっても嬉しかったです。ありがとう! 温かい心づかいに感謝の気持ちでいっぱいです。

素直で優しいおばである。素直な気持ちには素直な気持ちで応えるべきなのだ。贈った本はちゃんと覚えていなくて、手紙の続きに書いてくれた感想ではっきりしたのだが、川島小鳥の写真集「未来ちゃん」、「きょうの猫村さん」1巻、アート雑誌「FOIL vol.3 HOPE」だった。特に「未来ちゃん」をいちばん気に入ってくれたようで、お見舞いに行ったときにも写真の風景の懐かしさを嬉しそうに話してくれたのを覚えている。


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