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表現に踏み出す勇気

今日のお昼寝前、「お昼寝をしたくない!」と目に涙をいっぱいためて伝えてきてくれました。○○先生に抱っこしてもらい、膝の上で眠っています。伝えてきてくれたこと、とても嬉しく思います。

昨日、保育園の連絡ノートを見て、とてもうれしかった。

次女は年末に体調を崩して、熱がなかなか下がらず、保育園もしばらく休んでいた。風邪じゃなくてどこか悪いのかなと心配し、小児科で血液検査も受けたけれど、特に悪い項目は見つからず、しっかり休んでやっと少しずつ回復していった。

体調がなかなか治らない間は、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。10月以降は土日もほとんど予定があったり、基地で小屋の作業をしていたりと、バタバタしていたから、そのストレスが今、体調不良として出ているのかなあと思いあたる理由を考えては反省していた。

次女は長女や三女と違い、じっくり遊ぶことが好きなようだ(今現在・母調べ)。だから、基地でじっくり遊べるとはいっても、家でのんびりとままごとをできない状況や自分のペースを掴みづらい状況はストレスになりやすいように感じている。

話を戻すと、体調が悪いだけなら、回復するというゴールへ向かえば良かった。でも、同時に怒りやすくなっていて、いろんな事に当たり散らす。そんな様子を見守るには、対向車が来ない片側通行の信号を1時間以上待ち続けるくらいの忍耐が必要だった。

「何が嫌かは、言ってくれんと分からんから、できるだけお話してね。」と何十回も言った。話せないときは、話せるようになるまで、距離を置いて待った。「○○が嫌なん?もしかして○○?」と思いあたる事柄を聞いたりもした。

嫌な事の理由を話せる時もあれば、そうじゃない時もある。気持ちはできる限り受け止める一方で、こちらの想いも伝え、物や人に当たったりするのではなく、できるだけお話しようねと辛抱強く繰り返した。繰り返し過ぎて、この繰り返し自体が、儀式的になっていて、なんか茶番ぽくないか⁉︎という疑念さえ持ち始めた。

そして、休みが明け、次女はいよいよ「保育園に行きたくない」と強く言い始めた。とはいえ、こちらも生活があるので働かなければならない。はじめは「行きたくない!」の一点張りだったけど、何度も理由を聞いていたら、「お昼寝が嫌なんよ」と教えてくれた。

以前もお昼寝を嫌がっていたことがあり、その事について、担任の先生は理解してくれていた。「添い寝をしたら、すやすや眠っていました〜」とノートに書いてあることもあって、「寝たいのか寝たくないのか分からん・・・」と混乱することもあった。どうやら、昼寝をするより遊んでいたい、でも眠くなっちゃう、そんな気持ちが根っこにあるようだった。

「お昼寝をしたくないということは、ちゃんと伝えるし、ノートにもちゃんと書いておくね」と話すと安心して保育園に行ってくれることもあった。一方で、泣きながら行くことも多かった。

そして昨日は、やっと自分の気持ちを先生に伝えることができたようだ。

長くなってしまったけれど、自分の思いを表現するのは、そんなに簡単なことではないように思う。みんながやっているのに、自分はやりたくないと思っていることだったらなおさら。

だから、勇気を持ってちゃんと先生に伝えられたことがとてもうれしかったのだ。そして、本当に少しずつだけど、嫌なことがあっても言葉で思いを伝えられることができるようになってきた。(まだ手の方が先に出ちゃうことも多いけど)

私たちは暮らしの中で、いろんなことを考え、そして思う。でも、考えたり思ったりすることと、それを伝える・表現することは全く別ものだ。自分の考えを自分の外に出す時には、勇気がいる場面も多い。

私は次女に、「何が嫌かは、言ってくれんと分からんから、できるだけお話してね。」と何十回も言っちゃったけど、その言葉が自分にも跳ね返ってきて考えさせられる。

次女が勇気を持って伝えたように、言うべき時にはちゃんと自分の意見を言える大人でありたいと改めて思う。

そして、想いを受けとめてくれた保育園の先生のように、誰かの想いをちゃんと受けとめられる人でありたい。

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