定められた一つの学習が向かう場所
それは一つの場所でしかありません。
成功か失敗か。
合格か不合格か。
勝者か敗者か。
競う中で効率や結果を上げる。
昭和の時代の考えです。
競わされるのは、あくまでコマの一つ一つ。
学習は演繹的な側面を持っていないと先につながりません。
何にも興味を持てない状況。
燃え尽きた感じ。
すべてが帰納的な学習の末路でしかありません。
また、小学生には小学生。中学生には中学生。高校生には高校生。その時代にしか経験できないことがあります。
全てを投げ打って一つのことに打ち込む素晴らしさ。
否定はしませんが、バブル崩壊前後の価値観の転換を経験している世代としては、正しいことにはとうてい
感じられません。
纏めますと、そのお子様にとってのベストは、お子様自身に選択させるということ。下地になる幼児教育も影響するかもしれませんが、小4段階では自分の意思をはっきりと表現できるようにしてあげることです。
もし途中で受験に打ち込みたいと切り替えたら。
私のところへ来てください。
半年あれば大丈夫です。
100%ではないですが、高い確率で願いは叶います。
本人が本気でついこられれば、まず大丈夫です。
いくら頑張っても、希望のレベルまで伸びなかった。
これもまた同じです。
まだ大丈夫です。
希望を捨てない限り、夢は叶います!
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