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何のために生きるか

…と、高校生のときに初めて考えて、大人になっても度々考えることがある。
これは、私にとっては、自身が高校生のとき、そして担任を持ち始めたときには、「何のために勉強するか」と同意義だった気がする。

いい生活をするため、子孫を残すため、、、
明快な答えが自分の中に出てこなくてモヤモヤしていた

いまは明快な答えが、ある。

それは「幸せになるため」。
子どもを持って、気付かせてもらったことである。
幸せになる、といっても、幸せの定義は人や状況によって違うとおもっている。
それに、これって自分が、衣食住について心配のない状況だからこんな呑気なことを言ってる…だけかもしれない。

でも、生活が苦しくなっても、私は幸せになるために生きると思う。

そしてその幸せは、他人から供給してもらうのではなく、自分で見出していける人になりたい。
モノやサービスに頼るのではなく、
日常の中から素敵なことを切り取れるスキルがあれば幸せは毎日つくれると思う。
そして可能ならその幸せを誰かに分けていきたい。

幸せを見つけたり、作ったりする方法は色々あると思う。それを学ぶのが勉強だとおもう。

何のために勉強するのかって聞かれたら、
幸せを見つけるための視点をたくさん得るためって答える。

数学や英語、古典や世界史、、
日本にいてこれらは用意された学問だけれど、
考え方、背景、世界観…と はじめて知ることは満載である。

微分積分がいま役にたってると実感することはないけど、数学を勉強して、数学的なものの見方は知れた気がする。効率の良さをまず考えたり、正解に近い程美しいという感覚だったり。

古典の世界観は、現代とは全く異なる。常識が現代と違うことをしっていると、
正義か悪かは立場・時代によって変わるということに納得できる。

深く味わい考える時間や機会が、
高校生活の中に無かった気がする。 

こういうことを見出したこと、
だれかの助けになるかもしれない。
伝えたいことだなぁと思います。

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