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人生は舞台劇

上のねこちゃん画像はいつものように単にわたしが好きだから載せてるのでw 本文には全然関係ないです。



以前この動画を自分で訳したこともあったんですが、もっと上手に翻訳してくださっているサイトがあったので、リンクを貼っておきますね。

リッチ・ケリーさんが15歳の時に海で溺れたお話。そしてその時の臨死体験のこと。


シリアルキラーもただの役者で罪などない、そんなことを言ったら被害者の方は傷を抉られたような気持ちがするだろうし、悪を悪と見做さない姿勢というのはある意味反社会的なのかもしれない。恐らくそれが原因で、何度かこの動画は削除されてしまっているわけですが。


アニータ・ムアジャーニさんも臨死体験時のお話で、あちらの世界があまりに素晴らしいので、こちらの世界に戻ることを拒否したと言っていました。そのまま自分が死んだら、自分のことを愛する夫が後追い自殺をする未来が見えたにも拘らず。でもそれはそれで何も問題はないのだとわかったと。

結局のところ、自分にはまだ果たすべき使命があり、夫のダニーさんが彼自身の使命を果たす機会も失われてしまうという新たな気づきがあり、こちらに戻ってきたということです。

ご存知ない方のために簡単にご説明すると、アニータさんはステージ4の癌から奇跡の生還を果たした女性。彼女の著作『喜びから人生を生きる』はすごくお勧めです。YouTubeにもたくさん動画は上がっています。


わたしが本で読んだり動画で見たりした限りでは、臨死体験した方々は、地面やベッドに横たわる自分の体を自分自身のものだと認識できない人も多いです。そして人間界側から離れれば離れるほど(時間や空間もないということなので、離れるというのは不適切なのですが)、アタッチメントが薄れるというか、ドラマに巻き込まれなくなる。

前にチベット仏教普及協会というところでこんなお話を聞かされました。あるところに子供ができず悩んでいる女性がいた。彼女はある日夢を見て、その中で子供を授かって大層喜んだ。ところが次に見た夢でその子供が死んでしまって、その女性は悲しみに打ちひしがれた。人生も実はこの女性が見た夢と一緒なのだよ、というような内容だったかと。。


リッチさんの言うように、神とは木の根のようなもので、我々は枝葉、つまり神と我々はひとつであり、人間は何かの罰とか修行のためにこの世に送り込まれたひ弱な存在ではなく、アラン・ワッツ氏も言っていたし、ウパニシャッド哲学の「汝それなり」もそうですが、神そのものがそれ自身を体験している、というかこの世は神の夢?なのかなと思うのです。





わたしたちの目的は人生を体験することです。それは「存在(being)」をフィジカルに体験すること。なぜなら、もう一つの領域では私たちは肉体を持っていないので、自分が誰なのかを知ることが出来ないから。
もう一つの領域は非二元の世界。いまわたしたちは二元の世界にいます。この状況でのみ、わたしたちは自分が誰なのかを知ることが出来るのです。他との比較によって、自分が何でないかを知ることによって、自分と違うものを知ることによって ー「良い」「悪い」や、「ネガティブ」「ポジティブ」がそれぞれ片方だけでは存在出来ないように ー この領域でのみ、わたしたちは自分たちの感情を体感して、恋に落ち、傷付き、そして自分自身を知るための人生というものを経験出来ます。これらはもう一つの領域では起きないことです。これが、わたしたちがこの世界に肉体を持ち、誕生した理由。
どこかの山の頂に引きこもって、スピリチュアルな存在として瞑想する隠者になって人生から逃亡するような、そんな罠に陥るのも嫌でしょう。一方で、ひたすら毎日仕事に行って人生を謳歌しないような、ランニングマシーンの歯車の一部になったような生き方もしたくないと思います。
わたしがみなさんに提案するのはとてもシンプルなこと。自分自身に尋ねてみてください:何があなたに喜びをもたらすのか?何があなたをしあわせにするのか?それがあなたのハートにとって一番重要なシグナルです。わたしたちの社会は頭で考えて生きていくようになってしまっています。でも実際にはハートがわたしたちの魂、そして無限のわたしたちに通じるドアなのですから。。
ハートから生きることを始めて、そして毎日自分に訊いてみてください。「何がわたしに喜びをもたらすのか?」何かをするとき、仕事に行くときでも、祈りを捧げるときでも、瞑想するときでも、自分に問いかけてください。「これは自分自身や、周囲の人に対する愛からしていること?わたし自身の人生に対する愛からしていること?」または「わたしは恐れからこの行動をしているの?」面白いことに ー 10回のうち9回は ー 人々はそれしたいのではなくて、それをしないことによって起こる結果を恐れて行動しているということに気が付くでしょう。

上はアニータさんのインタビュー記事(一部)のぽんこつ訳なんですが…伝わりますかね😅


たぶんハートから生きても、悲劇は起きるときは起きるのかと思うのです。なぜってそれは魂が選択してきたイベントだから。でも本当の魂は傷つかないし、何も損われない。人々が娯楽でホラー映画を観に行く感覚と同じなのかもしれないです。。

きっとそこからしか、得られない体験があるのでしょう。


ナンシー・ラインズさんがサイクリング中に前方不注意の車に側面から巻き込まれ、車体の下に引っかかって数十メートル引きずられていたとき、恐怖でパニックになっている自分と、それを冷静に見つめている自分との存在を同時に感じたそうです。そしてハイヤーセルフがこう言ったとか。

Everything is just as it should be. It is sad, but everything will be okay in the end.


なにが起きても大丈夫、問題ない。そんな気がするのです。