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〈言語化の「センス」〉

〈言語化の「センス」〉

さっきはっきりしたことなのだけど、

誰かのための言語化、をする時、

その人の中にある言葉(に近い言葉)で言語化できる事がいいんだなって明確になった。

その人の言葉って言うのは、

その人の頭や心の中でよく使われているワードチョイスとも言えるかな。

そういうのも「語感」ていう??


使う言葉が似てる人の文章がなんとなく心地いいのもそのためだろうし、

自分の言葉でまとめても、あんまり相手がしっくり来ない時があるのは、意味が同じでも、そのワードチョイスが違うからなんだな、と。


きっとその人のワードチョイスは、その人の「好き」「心地いい」「しっくり感」によって選別されているだろうから、

言語化の際に

「自分」という言葉が

「あたし」に変わっただけで

急に嬉しくなったり、ホッとしたり

理解された感覚が変わったり

届く深さが変わったり

するんだなって思った。


相手の「実感」を言葉という「形」に変換するわけだから、

そりゃそうだよね。


相手の実感に寄り添う、

また一つの視点を手に入れられた気がしてなんだか嬉しい。

(出来るかどうかは分からないけど)


だから、自分自身を言語化する時も、自分の言葉でやるのがいいって事よね。まあこちらは、あまり心配がいらなそうだけども。

chii

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