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〈あるモギーの自叙伝〉


MOGAとは、もじもじする我(われ)と真摯に向き合う生き方であり、モギーとは、そのような道にいる人のことである。
ちなみに女性はモギーニ。


僕がMOGAを始めたのは数年前。
それまでは、もじもじする我(モ我)とうまく付き合うという意識すらなかった。僕の他にも時々MOGAする人と出会う。「通い放題/月2000円」という看板が出るのもそう遠くないのかもしれない。

例えば僕は、自分を表現しようとする時、モ我が現れていた。何か投稿する時などに。
人にどう思われるかな。
誰かを嫌な気持ちにしないかな。
こういう批判が来るんじゃないか。
こう誤解されるのは避けたい。
モ我は、そういう言葉を話す。

MOGAの教えは、アーシンをせよ、という。これはつまり、TRYして大丈夫だったと心が安心する経験を繰り返す事である。するともじもじというバイブレーションは、徐々に小さくなっていくと教わる。


モ我の「もじもじ」バイブレーションが落ち着き始めると、アーナンダが訪れる。ここで良く使われる例えは、湖畔の波立ちが落ち着く事で底が見える、というものである。底にあるのがアーナンダという事になり
「なんだ大丈夫なんだ」であり、
「なんだ楽しい!」であり、
「わー、人のためになるんだ」という発見や納得が「あーなんだ」である。

しかし、
モ我は手を替え品を替え、色んなケースに登場してくる。もじもじバイブレーションに飲み込まれ、すぐに意識が自分の不安に舞い戻るように出来ている。
(フーワンとオソレーはモジモジバイブレーションの構成要素であり、他にもキンチョなどがあるが、これは全部覚えていなくてもいい。)

しかしMOGAも中級者になってくると、もじもじバイブレーションを自覚するのが上手になってくる。そしてそれを言葉に、素直にしてみる事も出来るようになってくる。このあたりがまさにMOGAの実践である。毎日のアーシンを大切にしている事や、アーナンダを経験している事で、フーワンやオソレーは敵じゃない事を知る。
そして誰かの役に立ちたい気持ちや、ワクワクする気持ち、委ねる気持ちに意識を向けられ、それらが生むバイブレーションを増幅出来るようになってくる。

もじもじの声は遠のき、モジャンティな心地で例えば自分を表現できるようになる。そして自分を「モ我」だと錯覚していた「ム知」の状態から、私は「愛」だったんだと気がつく。これこそがヒマダナ山脈で脈々と継承されてきたMOGAの奥義書に書かれている内容である。


自分を世界に大げていく際に、必ずあなたを助けてくれるMOGA。僕もまだまだ修行中です。ここに書かれた事はMOGAのほんの一部ですが、よかったらあなたも。
MOGA IS OPEN TO EVERYONE.

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