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『予言』

「占い師の真似事ができるんです。時々ひどく驚かれますが、ポイントを押さえればそんなに難しいことじゃないんですよ。」
最後の日に、美味しい料理と日本酒をご馳走になりながら、多分いつものように、「ふーん」とか「へー」とか、心ここにあらずな返事をした。

その日は、修習でお世話になった弁護士が(彼のルーティーン的に)飲みに誘ってくれて、ちょっと雰囲気のいい和食の居酒屋に行った。
正直、数ヶ月間ずっと一緒にいたし、これ以上話すことがあるのかなと思っていたが、椅子に座って、時間に追われずお酒を飲んだりすると、意外と話は弾むものだった。
その先生は、本当によく喋る人で、座っているときも、歩いているときも、電車に乗っているときも、本当にずっと喋り続けていた。

最初の顔合わせのとき、「僕は喋り続けてしまうタイプなので、きつかったら言ってください。ずっと喋っている方が楽なんです。」とは言っていたけれど、さすがにここまでとは思わなかった。
しかも、恐ろしいほどの早口で、こんなに頭と口が回る人がいるんだなあ、と。
話す内容は結構面白くて、法律の話、実務の話、福祉の話、そして科学の話や心理学の話まで、本当になんでも話す人だった。
今でもいくつも覚えている話があって、ときどき「あ、あの先生が言ってた話だ」と、思うことがある。
こう聞くと、勉強になるし、いい機会じゃん、と思うかもしれない。

たしかに、YouTubeで話をしているならぜひ聞きたいところだけど、問題は、相手が、話し相手としての私がいることなのだ。
なんとなく相槌は打った方がいいなと思って「そうなんですねー」とか「へー」とか反応しなきゃいけない(と思っていた)し、「ずっと喋ってもらうのもなー」と思って時々する質問は(こういう頭の回転が早くて早口な人にありがちなように)頻繁に「え?」みたいな反応をされちゃうし、何よりボーッと聞いていたら「これについてどう思う?」みたいな口述試験が突然始まったりするので、正直、かなり疲れる。

話は面白かったし(本当に)、今でも覚えているくらいだから、当時は暗唱できる話がいくつもあるくらいにはちゃんと聞いていたと思うのだけど、「聞く」モードから「喋る」モードへの切り替えはそんなに上手くできない。
だってそうでしょ、ボーッとYouTubeを見ていて、突然「では〇〇さん、あなたはこの点どう思いますか?」なんて聞かれたら、さすがに困っちゃうでしょ。
そんな感じで、どうしても気を遣ってしまうというか、相手の情報を必要以上に吸い取ってしまう私的には、相性が悪いというか、正直苦手ではあった。

だから、最後の日、飲み行くことになったときは、ちょっと億劫な気持ちがあった。
しかし、行ってみたら、さっき書いたみたいに、結構楽しくて「なんだーこの先生にはこういうモードもあるんだー」とか思ってた。
まあでも考えてみれば、先生は、普段の仕事にタラタラした修習生がついて回るのを許してくれているわけで、正直言って動きにくかったというか、邪魔だったろうし、それをほぼ無給で引き受けてくれているのですから、そこは本当に感謝をしないとと思うのです。

話もお酒も進んで、1時間以上が経った頃、先生が「占い師の真似事ができるんです。」と言った。
今度は占術学の知識を披露してくれるのか、なんて思って聞いていたら、どうやらちょっと違くて、先生は毎年、担当した修習生の未来を予言しているらしい。
なんじゃそりゃとは思ったけれど、私の予想を常に超えていくというか、まあ、そういう感じの人だ。
私の占いをしてくれるらしい。「話すのが嫌じゃなければ」と言っていたけど、さすがに「嫌です」とは言えないよね、別に嫌ではないけど、と思いながら、色々話をした。

そしたら、たしかまず「こんなふうに言うのはあれですが、△△さん(=私)は、ちょっと苦労するかもしれませんね。」と言われた。
少しだけ時間の進みが遅くなったような気がした。それくらい、その先生の言葉には、なんとなく、力があった。

そのあと理由を言っていたような気がするけど、それは覚えていない。
先生がくれたアドバイスは、今でもはっきり覚えている。

まず「△△さんは、褒め言葉を否定する癖がある」と言われた。
これは自分でも認識していて、「優秀だね」と言われると、どうしても否定してしまうところがある。
「かわいい、優しい、面白い、明るい」そのへんの、相手が誉めようとして言ってくれるなあって分かる言葉、抽象的だったり相手によって受け取り方が変わったりする言葉は「ありがとう〜!」って素直に受け止められるのに、「優秀」「エリート」「ステータスが高い」みたいな言葉は、どうしても受け入れられなかった。
そうじゃないんだよ、という思いもあったし、「優秀」を受け入れ続けてしまったら、「優秀」に縛られてしまう、変なことができなくなってしまう、窮屈になってしまうと思っていたんだろう。

先生曰く、「私は、△△さんが若いから、予備試験組だから、そういう表面的な理由で『優秀だ』と言っているわけではないです。褒められて否定することは、相手に『見る目がない』と言っているのと同じだから、褒め言葉を否定するのはやめた方がいい」と。

「それに、いろんな方面で高い能力があるのに、できない部分にばかりフォーカスして、自分はできないから、と努力を辞めてしまっているように見えます。」とも言われた。
ちょっとこれは心当たりがありすぎて、ドキドキしてしまった。

私が大図星の顔をしていると、畳み掛けるように「人の期待に応えることに自分の価値を見出してしまっていて、逆に期待されないと何もしなくなってしまうのではないか」と。そして、「自分の目標を持っている人がキラキラ見えてしまって、ますます自信を失っているのではないか」と。

これを言われたときの光景は、目に焼き付いている。
あたたかみのある照明と、薄い色の木でできた上品な店内。時間が止まったように置いてある日本酒のとっくり。いつもより少しゆっくりな喋り方と、少し低めの声。ななんとなく心配そうな切なそうな先生の顔。
妙に五感がはっきりとして「この瞬間は、この言葉はきっとこれから何度も思い出す。できるだけ鮮明に焼き付けよう」と思った。

そこから、1ヶ月くらいはこのときの言葉が頭の中をぐるぐる回っていたけれど、いつの間にか忙しくなって忘れていた。
最近、久しぶりにこんなことがあったなーと思い出して、なんか、この「占い」「予言」通りだったなと、先生の言っていた私の問題点は、見事に「膿」みたいなものに栄養を与え続けているな、と思っている。

先生は何度も「自分ができることとできないことを分かっていること」が大切だと言っていた。
あ、今気づいたけれど、これ、最近私が夢中になってやっていることだ。
自分のできないことをリストアップして、それを諦めていく、許していくというのが最新トレンドで、ああなんか悔しいけど、先生からは見えていたのか。

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