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年間リトリート3期 9か月目の振り返り

QUANTA.retreat in 神宮前 season3 参戦中 Vol.3です。Vol.1は10月末、Vol.2は12月に書いておりました。

この流れでいくと、2月に書いていたはずなのですが、というか書いていたのですが、数行の下書きのままになっておりまして、そのまま書き続けるのももうなんだか気持ちも違うしスパッと削除した次第です。

で、あっという間に4月も半ば。
そろそろ備忘録書いとかないともうほぼ忘れてる…と思い綴っております。

さて、前回からいろんなことがあったような、もうすでに遥か遠い過去になっている感覚です。長くなりますがよかったらお付き合いください。

1月 MOTOKOさんセッション ひばり再来事件

年リトスタート時のMOTOKOさんセッションで、殻を被った、周りからこう見られたらいいやんと作っていた(演じていた)完璧な私を「美空ひばり」と名付けられていました。

外面なんて、そりゃあつくりますよね。本当の自分全開でなんか生きてこなかった気がします。だから、私にとってはデフォルト(となっていたひばり)であり、別に無理に取り繕ってそうしていたわけでもなく、ひばりでいることが自然であったわけで、ひばりとして生きている自分が好きだから、それでいいやん。。。

そう、ひばりを選んでいたのは私自身。
と思ってました。
そして、MOTOKOさんにも「ひばりな私も好きだし楽なんです!!」と豪語してしまいました。

そしたら、MOTOKOさんは、ひばりでいてもいい。ただ、ひばりを被る前の自分を10%でも思い出せたら、ひばりがさらに磨きがかかるよ!

優しいですよね。。。
そこからの課題は、ひばりになる前の自分探し。10%の本当の自分。
どれだけひばりが身についてしまっているのか…まったくその10%の本当の自分に出会うこともなく、思い出せもせず、何が原因でひばりが生まれたのかもわからず、いつしか探すこともやめていました。

そして、2024年1月

再び、MOTOKOさんセッションて「美空ひばり」を拝命してしまい、思わず『ひばり呼びは2回目です』と。
どんだけデフォルトを頑なに手放せずにいたのか、この数か月。

そりゃそうなのですよ、だってデフォルトだから嫌なわけではない。それが私だと思っていたから。
しかし、進んでいくセッションでいろいろとお話していくなかで、自分の気持ちや感覚だと思って感想を述べても、

M:うーん、ちがう。→C:え、じゃあこれかな?
M:それも、ちがう。→C:えっとじゃあこれかな?
M:ううん。ちがうって言ってる。

MOTOKO問答は永遠につづく泣

そこでやっと気づくわけです。「私ってどれがワタシなの??」

とめどない問答にあれこれ繰り出してみて、一瞬だけ「あ!それ!!今の感じ。(本当の自分の感覚は)そういうことよ」と教えてもらったのですが、
そんな一瞬は一瞬であり、すぐ扉を閉じてしまったひばりなのでした。

ただその一瞬に垣間見えた感覚を頼りに、もう一度本当の自分(ひばりになる前の私)を探すことになりました。

その一週間後

1月 マイケルさんセッション

はじめて受けたSE(ソマティック・エナジェティクス)のヒーリングでも、これまでのエネルギーワーク同様に周りの変化に意識を持っていかれてしまい、自分の集中できずにはいました。

自分を信じて一歩前に踏み出す勇気を持つこと。自分の中にいる聖なる存在を受け入れて。それはもう輝いている。だから不安に思うことはないよ。

そうメッセージをいただいて、私の中にいるワタシとハグはできなかったけど、ひばりになる前の自分と手をつなぎ始められた感覚はありました。それを怖がらなければ、大丈夫なんだと。

そこから、怒涛のひばりとワタシのせめぎ合いが始まります。

ひとつのことをする。
ひとつのことを考える。

すべてにおいて
これは、「ひばり」の気持ち?
それとも「ワタシ?」

自分に問いかける毎日です。

すると、だんだんとそれを毎回問いかけるのが面倒になってきたのです。
だって、本来、私はひとりなはずなのに、なぜにいちいちどっちの気持ちなのかを確かめる必要があるのでしょう?

若干、面倒な自分に呆れてきたそんな思いを抱えながら、1月末にシドニーに旅立ったわけです。

楽しかった旅行の話は端折りますが。
シドニーでの滞在で、たぶん、なんとなくですが、ひばりを置いてきて帰国した気がしました。

3月 MOTOKOさんセッションで報告

うん。そうだね、脱いできてるね。と。

長年生きてきたひばりとしての私なのに、
なかなか脱ぐことが出来なかったデフォルトだった私なのに、
脱ぎたいとも思ってもいなかったひばりなのに、

いつの間にか、スルっと脱いできてた。笑

祝!!

あ、そんなものなのか。
変容というのは、めちゃくちゃ劇的なものでもなく

ホント、あれ?なんか脱いでる?
いや、着ていない?
っていうか、なんか私被ってたん?

っていうくらいの感覚。

ひばりとワタシのしんどいせめぎ合いの1月が非常に長く感じられて、面倒になってもうポイっとしてしまったということなのでしょうか。

そこからが、もう軽いのなんのって。
ひばりの残像はもちろんまだ若干見え隠れしますけど、ひばり100%ではないのがわかるから、置いといてます。だって、嫌いな自分じゃないから。
それも好きで被ってた(演じてた)ワタシだから。

ただ、よく考えると、完璧な自分を作り上げていたつもりでいたけれど、それもなんかバレバレやったんちゃうかなとさえ思います。うまく立ち回っていると思っていたのは私だけで、本当に見抜かれる人には見抜かれてたんだと。

そう思うと、もう顔から火が出るくらい恥ずかしい現象ですよね。
そんな恥ずかしさもも、もうどうでもよくなってきてますけど。

そして、それから数か月。

出来ている(と思い込んでた)ことが出来なくなってきた

そうなんです。

マルチタスクでめちゃくちゃ仕事は早くて、完璧にこなしてたひばり様を置いてきてしまったわけですよね。

そしたら、まあ毎日ポンコツでして笑
いろいろ間違うし、抜けるし、何度も同じことやってしまうし、手際悪いし、すぐ動いてたことが、なんか動けなくなってるし。

え、これまでの自分は幻だったの??
と思うほどです。

これも、きっと”出来るヤツ”と思ってた自分が幻想であり、でも現実であり
どっちがいいか悪いかでもなく、それを演じることを選んで生きてただけで、そこをなんとなく、幻想を生きるのではなく、今の自分を生きるようになってきているのかと思うようになりました。

ただ、やっぱりポンコツは嫌なんです笑
だって、出来ないより出来た方がいいし。
間違えるより、間違わない方がいいし。

そういうのも含めて自分なんだよね。
といいかげん認めたら、どっちがいいとか感じなくなってきました。
とはいえ、ちゃんとできてる自分は好きは変わらない。

そして、3月にはニーマル先生のSUWARUで瞑想レッスンを受けていましたが、そこでも『NeedかWantか』という、自分の気持ちをさらに深く考える機会があって、ほとんどエゴでしか生きてないことがまたまた露呈しております。

相変わらず周りに意識を持っていかれてるし、イライラしてしまうし、ポンコツやし。そういう執着がすごすぎて、ただただ呆れる笑
そして相変わらずやりたいこと多すぎて時間ない。

私の年リトのテーマは「禊・手放し」

なんか、、、この課題がまだまだ難しい。
もう9か月経ったけど、いったい何がどこまですすんでいるのだろうか?

ひばり様は手放せた。
これはもう祝杯ものです。が、禊はそれだけなはずはない。

3月から8月まで、自分の苦手と向き合う期間

苦手や敬遠していることはなんだろう?
禊にさらにブーストかけるには、癒しにフォーカスして表現すること。

一応はやってるつもりでも、こんなんでいいのかな?どうなんだろう?って考えてしまうのですが、少しずつ見え隠れしている光に向かって、進むしかないのかなと思ってます。

見え隠れはしてる気がするのです。
だからもうそれを信じるしかないのかなと。

そして、最近とんと遠のいてて(ただの反抗期です)たまに星からのお告げの中で、あ!そういうことか。と時々繋がる瞬間があります。
やっぱり星ってすごいですよね。(でもまだ反抗期)

それを大事に、丁寧に過ごしていくだけで、なるようになるのだと。

そう。
なので、ちょっとポンコツみが増してきて、クリスタルボウルの収録や編集をおろそかにしてしまっていた3月から4月。

まあ、実際に年度末と、入社式の準備等でめちゃくちゃ忙しかったのも言い訳にしてましたが、少しずつ落ち着いてきたので、エンジンかけて「癒し」の道を探しながら進んでいこうかと思います。

編集用のパソコンも買ったしね。
動画用のカメラも買ったしね。
やらないといけない状況を作れば、やるはず。

とはいえ、ちゃんと出来るひばり様はもういないので、なんだかちょっぴりサボり気味なときもありますが、楽しみながらやっていこうと思います。

年間リトリートももうあと3か月。

え??ここから何か劇的なことあるのかしら?とか思いつつ、めっちゃいろいろ自分に仕掛けている4,5,6月なのでした。

次にどんな報告ができるのでしょうか。
楽しみで仕方ありません。

今回は、やたらと「ひばり」連呼の回でしたが、それくらいのある意味大きな事件を経て軽くなれた気がしています。という振り返りでした。


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