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ラピッドサイクラー

15年近くずっと辛い思いをして育ってきた私は、中学生になりついに壊れてしまった。


ご飯を食べられず体重は160cmで40kgを切っていた。
夜は眠れず、昼間もただひたすら横になっているだけの日々。
あんなに優等生だったのに、学校にも行けなくなってしまった。


この時に初めて母に精神科に連れて行かれた。
当時の診断名は「抑うつ状態」。

酷い抑うつ状態だった私は、医師から抗うつ薬を投与された。

そして、しばらくして突然元気になった。
学校にも行けるようになり、勉強も休んでいた時の分を取り戻しても余りあるほどにバリバリとこなす。



今考えると、完全に躁転である。
この時が、私と双極性障害との長い付き合いの始まりだったんだと思う。



躁転は長くは続かなかった。
また数ヵ月後に私は学校に行けなくなり、寝たきりの生活に戻ってしまった。
こんなことを学生の間、いや社会人になってからもずっと繰り返してきた。


抑うつ状態が酷くなる度に、色んな精神科を転々とした。
診断される病名は「うつ病」「複雑性PTSD」「パーソナリティ障害」など病院によって様々に変わった。


もう自分が何者なのかよく分からなくなっていた。



おそらく躁転していた28歳の時に結婚もした。

当時は、突然思い立ったように資格を取って週5日7時間、保育園の先生として働いていた。
毎日が楽しくて幸せで、天職だと思った。



精神科の診察室を訪れた私はとびっきりの笑顔で元気に言った。

「ありがとうございます!先生の出してくれた新しい薬のおかげで、すっごい元気になりました!治りました!本当にありがとうございます!」


そんな私を診た当時の主治医が何かに気付いたようにボソッと言った。

「ちょっと、元気すぎるよねぇ…」

続けて、

「双極性障害だね。典型的な軽躁状態だよ。」


【双極性障害】
ネットで精神疾患について調べまくっていた私はもちろん知っている病名。
しかし、まさか自分が躁状態を呈しているなど微塵も思っていなかった。
病気が治って元気になっただけだと思っていた。


ただ、改めて調べると
①発症年齢がうつ病よりも若いこと
②抗うつ薬で躁転すること
③うつ状態を5回以上繰り返していること
など、思い当たることしかなかった。


うつ病と診断されている人のうち、10人に1人~2人は最終的に双極性障害に診断が変わるといわれている。
診断が付くまでにかかる期間は平均で4年~10年ほどらしい。
私も発症してから診断されるまでに10年以上かかっている。

この時の主治医が気付いてくれなければ、一生気が付かずに誤った治療を続けていたであろう。


ちなみに私は、発症から診断までの期間が長すぎたために悪化しており「ラピッドサイクラー(急速交代型)」と呼ばれる、躁状態とうつ状態を頻繁に繰り返すタイプの双極性障害になってしまっている。

ラピッドサイクラーは薬が効きにくいタイプである。

双極性障害と診断されてから様々な薬を試した。
もう、双極性障害の薬はほぼコンプリートしてるんじゃないかな?

合う薬がなかなか見つからずに、うつ状態が酷くなり閉鎖病棟に入院していた時期もある。
入院生活は地獄だった。



幸いにも今、私は「レキサルティ」という日本の大塚製薬が開発した新薬がとても体に合っており、酷いうつ状態に陥ることはなくなった。

現在はレキサルティと睡眠薬のみの服用で日常生活を送れている。



双極性障害は合う薬さえ見つかれば、糖尿病のように上手くコントロールしながら付き合って生きていける病なのかもしれない。

私の経験したことが、同じような誰かの希望になれば幸いである。

今、双極性障害で苦しみの真っ只中にいる方々にも早く合う薬が見付かるといいな、と願ってやまない。

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