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新宿は超快晴

私、新宿めっちゃ苦手だったんですよ。特に歌舞伎町。
とにかく人が多いしごみごみしているし、特殊な街だから言わずもがなやばめな人が多い。東京の中でも特に空気が異様だなあ、と新宿駅に降りるたびに思う。
なんだけど、なんだか今ではあの特殊さ・異様さを肌で受けても特に異物感を感じなくなってきました。あの街は狂いたい人が思う存分狂うために用意された舞台のようなものなのかもしれません。
先日2泊3日で東京に滞在したのですが、今回もほぼ新宿付近をうろうろしていました。


SMについて思うこと、どんどん感じ方が変わっていくので超楽しい。
そういう癖がない人からすると「なんで痛いことされたいの?」「なんでわざわざ苦しい思いしたいの?」ってなるみたいなんだけど、たしかにそれって昔の私がまんま感じていたことですね。人って変わるよね。

自分がそうだった分理解できない人の気持ちもわかるので、たしかになんでだろうと思ってずっとぼんやり考えてました。もちろんもうシンプルに「好きだから」としか言えないんだけど、それしか言えないとへえ!そうなんだ!ちょっとよくわかんないわー!で終わっちゃうし、それはそれで寂しい。ので考えてみたんですけども。
ジャニーズのコンサートで推しが出てきた瞬間、ファンの女の子がキャーって叫ぶ場面を想像してみてください。
たぶんね!あれと一緒です!(知らんけど)

なんていうの?ジェットコースターが落ちる瞬間に叫ぶじゃん、あれとジャニオタの女の子のキャー!が近いのはなんとなく伝わると思う。あんな感じなのよ。
それが痛いとかやだとかに変わるだけなのよ。もちろん痛いこととか嫌なことばっかりしてるわけじゃないんだけど。


「SMはコミュニケーション」という言葉を繰り返しおっしゃる方がいて。
見るほうのSMだけでは満足できなくなって"やる方のSM"に踏み込んだときに色々調べてたら目に留まり、「へぇ~~そうなのか~~~(全然ピンときていない)」って感じだったんだけど、今となっては本当にそうとしか言えない。
というか、そうじゃなきゃやる意味がないなとも思う。

人が嫌いなのにSMをしている人がもしもいたとしたら、それはただの自傷行為に終わってしまうんじゃないでしょうか。
結局「痛い」も「苦しい」も「嫌だ」も「恥ずかしい」も全部、誰かとの気持ちのやりとりの上で発生するから遊びとして成立する。
気持ちのやりとりがなかったらただの痛みだし苦しみだし、ただの嫌悪感だし羞恥心でしかないんだろうと思う。そこに温度が乗るから、一見ネガティヴに見える行為や感情が楽しさに変換できる。
人とやりとりをする手段がSMという手段なだけで、まあたしかに一般的だとは言えないのでしょうが、別に世間が思うほど特別なことをしているわけではない気がします。世間が、というのはもちろんのこと「かつての私」も含むんだけど。

私が今安心安全に楽しめているのは、SMに対する価値観が素敵な人たちが入り口になってくれたからです。これは間違いなくて、最高にラッキーだったなと思う。
私はわりと湿っぽい理由でSMを始めてしまったので、もしも今私が「素敵だなあ」と思って見ている人たちがいなかったら今ごろ倒錯しちゃってたかも。だいたいが根暗だし。だから本当にありがたいしいい人生すぎる~~!
運の良さだけはピカイチなのだ。

ゴルフ始めるときも最初に習う人が重要じゃないですか。まっさらな状態で出会う人って本当に要。間違えなくて良かった。


大好きな友人と新宿で飲み歩いた帰り、大通りを歩きながら見上げたらイチョウ並木だった。「秋になったらきっと綺麗だよ~」「ほんとだねえ」って言い合って、本当に楽しくて幸せだった。
東京はあんなに華やかで刺激があって楽しいことばかりなのに、なんかわかんないけどその瞬間がどうしようもなく愛おしくて幸せだったんだ。子どものころからなんにも変わってないね。

季節の移り変わりが見たいからまだまだ死ねない。
次は秋かな、紅葉見れたらいいな。楽しみだね。またね。

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