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ロマンポルノ・ナウ 「手」

おはようございます。

祝日ということで9時ごろにゆっくり起床し、ソファに沈みながらコーヒーとスコーンでぼんやりと昨日の余韻に浸っておりました。
とはいえ寝たのは明け方なので、それにしては早起きです。いい映画観た翌日って無駄に早く目が覚めちゃったりするよね。

観てきました、映画「手」。

日活ロマンポルノが50周年ということで(半世紀!すごいね!)、その周年プロジェクトとして今回「ロマンポルノ・ナウ」と銘打って発表された新作三作品のうちの第一弾。

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ポスターがめちゃくちゃ可愛い。ちゃんと「ナウ」なデザインになっているのがとてもいい。

今回ロマンポルノ・ナウで公開予定の「愛してる!」がすごく楽しみで絶対観に行くぞと意気込んでいたんだけど、せっかくなら全部観るかー、と思って前売り券を買ってずっとそわそわしていたのでした。

そう、「手」の原作って山崎ナオコーラさんなんですよね。
私山崎ナオコーラさん大好きなの!「浮世でランチ」とか「指先からソーダ」とか。でもこの作品は読んだことなかったので、先に図書館で借りて原作を読んでから行きました。

ところで私は日活ロマンポルノ自体が元々好きなんだけど、かつての日活ロマンポルノ作品って本当になんというか、ちょっと気を抜いたら人が死んでしまいそうなくらいの緊張感がある。
物理的にも役者さんの負担がものすごく大きいことやってるし。でもどうしてだか、なんかちょっと滑稽なんですよね。
こんなに壮大で緊迫したシーンなのになんか笑えてきちゃう、みたいな。
でもやってることは本当に大変なことなんですよ!!!だって安心安全な場所でする緊縛だってそれ相応の危険が常にともなうのに、こんな厳しい環境でこんなことしちゃうの!っていう。
それは緊縛を多く担当されてた浦戸宏さんの著書「縛師」を読んで舞台裏を知ってますます実感したんだけど、でもそれでも滑稽に見えちゃうのって本当にすごいことだと思うんだよね。大の大人たちが本気でやってるからこそ、鑑賞する側は確保された安全の中で安心して笑えるんだと思う。
その「大人が本気でやる遊び」をエンタメとして楽しんでいる感じなので、日活ロマンポルノ作品を観るときは「エロい……」みたいな視点では私は全然ないんですよね、一応ね。

日活ロマンポルノって一定のルールがあるそうで、「10分に1回の性行為シーンを入れる」とか「上映時間は70分程度にする」という縛りのなかで(縛り……)作品を作るそう。
なので当然昔の作品を観ていると「露骨~~~!」って笑える性行為シーンが頻出して、それも面白い。
なんだけど、この「手」ではそれがなかったので「あ、企画作品だから規定自体も崩してるんだ」って勝手に思ってました。
でも上映後に気になって調べたら、ちゃんと規定通りに作られているらしくて。すごいびっくりしちゃった。なんかそれくらい自然というか嫌ないやらしさがないというか、日常に息づくごく当たり前の営みとして描かれてたんだなあ、と思ってちょっと感動した。

私はエロがテーマの作品をわりとよく観ちゃうんだけど、それって「えっちなものが観たい!」という気持ちではあんまりなくて。
結局人と人のコミュニケーションだし、そうなると行為自体の重要性ってあんまりないなと思うし。気持ちのやりとりが発生する上で、それを達成するための手段として自然に起こった行為に興味があるからなんだろうなと思う。
別に人がセックスしているところを見たいわけではないのです。
なんていうか、絶対に行為自体が目的にならないでほしいの。絶対に手段であってほしいの。
だってセックスなんて行為だけなら誰とだれでもできるので。

「手」の性的描写はすごく自然でさわやかですらあって、別に特別なものとしてとりあげるわけでもなく、ただただそこにあるのが当たり前のこととして描かれていて、それが本当に良かった。


原作のさわ子はちょっとドライにも思えるくらいもっと淡々としていて、というか寛容さ故なのかはたまた達観なのか、自分の感情とか起こった出来事に対しても一定の距離を保って俯瞰しているような印象があった。
最後まで一貫して何ごとにも動じず、静かに自分の物語を進めていくような人だなと思った。
自分勝手な人だなと半ばいら立ちながら読んでいた森さんの人柄。最後にさわ子が心の中で語りかけるシーンで初めて共感というか見方が変わって、そうか、理屈じゃないよな。そういう理解や愛し方もあるんだ、って思えた。

映画の中のさわ子はちょっと違う。
これは原作でもそうだけど、「全男性の女神じゃん」と思えるくらいすべてを受け止めてくれるような柔らかさ。というかもしかしたらそれは一種の諦観みたいなものなのかもしれないんだけど、その中でも気持ちの繊細な揺れ動きが見えてしまう瞬間があって、さわ子と一緒に苦しくなったりした。
だけど自分でも知らず知らずのうちに育ててしまったであろう葛藤が、森さんとの恋愛を経て、お父さんとの間で昇華されようとしているところで映画が終わる。さわ子がちゃんとわかりやすく感情を表現できて、そこで終わる。ちゃんと続きが見える終わり方をしてくれる。
だからそれにすごく安心したし、さわ子がこれから一人で物語を進めないでいられるんだ、と思ってとてもうれしくなった。
さわ子が人間らしく生きていて、それがとてもうれしかった。

原作のさわ子と映画のさわ子、全然別のものとして描かれているわけではないけれど、私はどちらも好きです。


そしてさわ子を演じる福永朱梨さんの演技がすごくよかった。とにかくよかった。
私は全然映画にも役者さんにも明るくないので存じ上げなかったんですが、映画が始まってすぐに「この女優さんは誰……?」ばかり気になって、エンドロールでめちゃくちゃ名前を探しちゃいました。
Twitterで拝見したら「ロマンポルノをレイトショーで観ることに抵抗がある女性もきっといるよね」って、不安材料をはらうお手伝いができたらって精力的に活動されていて、自らそんなことまでできる女優さんなんている?って感動してしまった。
でもそれくらい届いてほしい作品ですよね。私も本当にそう思います。


余談ですが原作の「手」には「お父さん大好き」が収録されていて、なんかこの並びがそれだけでもうたまらなくて、エンドロールに並んだ二つのタイトルを見て余計に泣けてしまった。これって狙ってやっていることですか?それをつっこむのは無粋でしょうか。でもつっこまずにいられないです、だって最高以外の言葉がないじゃないか。
これも余談だけれど、先日私も父とわだかまりが溶ける瞬間があって。ラストでのお父さんの「さわちゃん」だけで、あの笑顔だけで、本当に何回だって思い出して泣けてしまう。わだかまりなんて大抵長い時間を経て形成されるものだけど、和解って大人になっていろんな経験があった今だからできることで、だからこそ苦しかった時間にだってぜんぶに愛してるよって言いたくなった。

映画も私の人生も、すべてがめちゃくちゃに愛おしい。

あーーーー、本当にいい映画だった。
本当にいい映画だった。こんなんいつまででも余韻に浸れる。

主題歌も最高でした。
今もBGMにしてるだけで泣けちゃう。


本当にいい映画だった。


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