ぎょらん

町田そのこ作『ぎょらん』を読み終えた。

亡くなった人が、肉体が無くなるまで手にしているといわれる赤いつぶ、ぎょらん。まるでいくらのように赤い小さいぎょらんを口にすると、亡くなった人の想いがわかるといわれているが…そのぎょらんを軸に、さまざまな登場人物が出てくる短編集。身近な人の死に直面する中で、人と向き合う、自分と向き合う登場人物たち。ぐいぐい引き込まれつつも、しんどくもあり、途中ちょっと寝かしたりしながら読み終えた。

読み終えてすぐ、一緒に暮らしていた祖父母のことを思い出した。

父方の祖父母と二世帯住宅。幼い頃、母が入院してた時面倒見てくれたのも終電で帰ってくる父ではなくて、祖父母だった。記憶はほとんどないのだが、私を自転車のカゴに乗せてあちこち連れてってくれてたらしい。

祖父は、男気あふれる曲がったことが大嫌いなぴんとした人。なんでも自分で作っちゃうし、家事も一通りこなせる人だった。祖母は優しくて、祖父の後をついていく感じ。

そんな2人をじいちゃんとばあばと呼んでいた。

じいちゃんが作ってくれるインスタントラーメンがめちゃくちゃ好きだった。キャベツをたっぷり入れてそこにお餅を入れるの。炭水化物に炭水化物だけど、なんだか特別な感じがして好きだったんだよな。

じいちゃんは、私が高校生の時に白血病で亡くなった。亡くなる半年前まで、ぴんぴん元気で、市内のあちこちを自転車で行き来していたのに。白血病だとわかり入院し、がたがたと歩くのもままならなくなった。

その時私は、絶賛反抗期中。

『お見舞い行きなさいよ』と言われてもなんだかんだでいかなかった。あの頃、私と母親との関係、ばあばと母親との関係、私とじいちゃんとの関係、どんな風に振舞ったらいいかわからなかった。二世帯住宅は難しいのだ。ま、言い訳だな。

『家に帰りたい』という祖父の意向を汲み、自宅で何週間か過ごしたことがある。

食が細くなってきたじいちゃんが『海苔巻きが食べたい』『焼きそばが食べたい』と話した時があり、作ってあげた日がある。『孫が作ってくれたのはうまいな。』と嬉しそうに食べるじいちゃんの姿が忘れられない。

そこからは、がたがたと体調を崩し、再び入院。帰らぬ人となった。わたしはと言うと、やはり病院にお見舞いに行かなかった。

じいちゃんのお葬式の時、『素直にお見舞いにこれなくてごめんなさい』と悔いた気持ちがあった。

ばあばのときは突然だった。年末近くに金沢に行った私は、のどぐろをお土産に買い、ばあばと食べようとうきうき楽しみにしていた。

母親からばあばが亡くなったと知らせが入る。『嘘!?嘘でしょ!?』が第一声だった。

予想していない突然の死は受け入れられない。あまりにも突然で、年末一緒に過ごすの楽しみにしていただけあって悲しみは大きかった。

穏やかにすんだ声で話すばあばが好きだった。じいちゃんに守られ、息子3人に大切にされているばあばは憧れでもあった。

もっと2人と話せばよかった。何をどう感じて、どう決断してきたか。特にじいちゃんとはそうゆう話出来ずじまいだったな。

ぎょらんを読み終えたあと、ある人が会いたい人には会いたいときに会っておいた方がいい。身近な友達を亡くしたときそれを後悔した。だから友達とは無理にでも定期的に会うようにしているって言ってて、すごく説得力あった。

会いたい人に、会いたいときに会いに行こう。





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