Honesty
2020年12月19日発売のCUTを読んだ。
ネタバレを含んでいるので、まだ読んでいない人はお気を付けください。
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CUTの藤くんのインタビューを読んだ。例の如く言葉はまとまっていないけれど、ここ書かせてほしい。
なんていうか、BUMP OF CHICKENが好きすぎる。
藤原基央さんのことが好きすぎる。
まず、aurora arkについての話。
ROCK'IN ON JAPANのインタビューでも触れられていたけれど、改めて言葉にしてくれたのがとても嬉しくて。
私はaurora arkの大阪公演と名古屋公演とZepp Baysideに参加した。インタビュアーの渋谷さんが言っていたように、藤くんが自覚していたように、あのライブは距離が近かった。それが、嬉しくて幸せで、なんていうか、最高に「生きている」と感じた。それと同時に、これからも生きていきたいと思えた。ライブに参加した当時は藤くんのプライベートで起こったことは知らなかったから、近くなった距離感が不思議でもあったけれど、こうやって藤くんの言葉で語られる想いが、今になって、体に染み込んでいく。そしてあの時受け取って今も私の中に残っている音や言葉や熱や空気が、今になって、愛おしさを増して輝いてくれる。私はあの時を経て、今、生きているんだと思い出させてくれる。時間差で何度も何度もあの時手渡されたものが、一緒に確かめ合ったものが、輝く。魔法みたいだ。
そして、あの件についての話。
どこまでも、誠実。言葉のひとつひとつが、誠実。何から何まで、誠実。
私が今パソコンに向き合っているのは、記事の後半のあの件についての話を読んだからなんだけど、それでも、言葉にするのはとても難しい。どこからどうやって言葉に起こせば良いのか、正直、よくわからない。
今の私の心の中は彼らへの愛が沸騰していて、神輿を作っては担ぎ作っては担ぎ、笛と太鼓を同時にめちゃくちゃに演奏して祭囃子を奏でているような、そんな状態。
愛おしい人たちのことが、愛おしくて、たまらない。好きだ。
あの報道が出てから、今の今まで、私は一貫して彼らのことが大好きだ。それは一度も揺らいでいない。本当に、一部の人からしたらアホみたいに見えるかもしれないくらい、ずっと大好き。そりゃもちろん、私だっていろんなことをたくさん考えた。それでも、これまでの私の人生の中で、私の一番近くで、ただそばにいてくれたのは、彼らの歌だった。それは、事実だから揺るぎようがない。そしてその事実がある以上、私は彼らのことを好きだと思う以外、感情が動きようがない。もちろん、人によってそうではないのはわかっていて、私の場合は、の話。インタビューの中で藤くんも言っていたように、私たちはみんな「BUMPの歌を真ん中にして」集まっているだけで、普段はそれぞれ別の人生を生きて、別々の過去と未来を生きている。だから、同じ事象に対しても捉え方や感情の動き方が違うのは当然だと、私も思っている。
藤くんは今回のインタビューの中で『(BUMPリスナーのことを)ちゃんとわかっていなかった。わかっているつもりでだったけれど。』と言っていた。それは、私もそうだったと思う。でも、今回のことがあるまで、私もBUMP OF CHICKENのことをわかっていなかったと思う。なんていえばいいのかなぁ、BUMP OF CHICKENは私が思っていたよりも大きかった。
BUMP OF CHICKENは、私の中で、私の人生の中で、とても大きい存在で。私は彼らにめちゃくちゃ感謝している。極論に聞こえるかもしれないけれど、何をされても許す可能性が高い。ていうか、許す許さないの土俵にさえ上がらずにスッと受け入れる自信がある。これを盲目的だと言われたとしても、私はすでにこんなに好きで大切な存在に出会えたこと自体を「幸福」と捉えているので、もはや外野から何を言われようが気にならないくらい、圧倒的に好きだ。だから、なんて言えば良いのかな、私の世界の中であまりにも大きかったBUMP OF CHICKENという存在が、エゴサしてまでリスナーの声を聞きにきていたことに衝撃を受けた。
わかっていたはずだった。彼らがリスナーのことを好きだということも、大切にしてくれているということも。私のことを救ってくれた彼らが、とても人間臭い普通の人だと言うことも。でもあの時、エゴサしていたのか、と驚いた。これまで私は、私の声は彼らに届くと思いながらも、私の声なんて彼らに届きませんようにと願っていた。それでも、エゴサなんてされたら私の声が目に触れることもある。私は怖くなった、余計なことを言って彼らを不快にさせてはいなかったかと。ちゃんと伝わる形で愛と感謝を声に出せていたかと。彼らは優しいからトゲトゲした言葉でさえもその裏にあるものを察して受け止めてくれるかもしれない。でも、そうではないかもしれない。だから、私はちゃんと言葉の棘なんて全部取り除いてつるつるでつやつやのあったかい言葉を届けたい。今も今までもできている自信はないし、しょっちゅう暴走してしまうけど、暴走したらちゃんと自分で始末をつけていきたい。
彼らがエゴサまでしてこちらのことを知って、いろんな人とたくさん話しをして結論を出したことに、感謝している。そういう誠実なところを尊敬している。正解とか不正解なんて私にはわからないけれど、BUMP OF CHICKENらしいなと思った。やっぱり好きです。そういうところが好きです。
彼らは今、曲を作っているそうで。なんっっっっっっと嬉しいことか。
あわよくば、あわよくばね、4人で作っていてくれたらなと思ってしまうけれど、そうは問屋がおろさないらしい。私はもう良いと思っているけれど。私は、もう、良いと、思っておりますが。4人の音を聴きたいと思っておりますが。もう良いんじゃないのと思っている人が!ここに!おりますが!!!
彼らのことは彼らが決めることだと思うので、彼らが決めたことならば私はなんでも「はい、そうですか、良いと思います、好きです」と全力で受け止める所存。でもね、私の声が彼らに届くことがあると知ってしまった以上、私の気持ちだって叫びたいと思うのです。彼らに受け止めてほしいわけじゃない。ただ、世界の隅にはこういう人間もいるということをそっと主張したいだけ。ねぇ、エゴサして見つけてくれてもいいんですよ?
私は4人の音を聴きたい。3人で奏でる音楽も、そりゃ、どんなんかなって気になるし、インタビューを読んで、えっっ!?藤くんがベースを!?!?!?!?って、正直めちゃくちゃ興奮した。3人で奏でた音楽が世に出てきたら、全力で、
はじめましてこんにちは!私の新しい宝物ちゃん!私の人生にようこそ!!!これからよろしくね!!!大好き!!!!!!
ってなるんだけど。これはもう、99%確定なんだけど。
それでもね、私は4人の音を聴きたい。
決着点なんて私にはわからない。なにがどうなったら「終わり」にしていいのかわからない。でもね、「終わり」にしたとしても、4人がまたステージに揃ったとしても、彼らは今回のことを無かったことにはしない。私だってなかったことにはしない。彼の、彼らの、そして私の未来は、必ず、今回のことの延長に存在する。それは、ずっと後悔して生きろとか、ずっと反省するべきだとか、そんなんじゃなくて、ただ、事実として、過去はなかったことにはできないということだ。だから、もう、それで良いじゃないかと思う。もう、私は、良いと思うよ。もう、良いよ。
どうなったら「終わり」なのかなってずっと考えてきた。社会が許したら?仕事仲間が許したら?メンバーが許したら?リスナーが許したら?でも、そんなん、一人一人の人生とその人生で育んできた価値観が違う以上は「全員が」許すなんて無理だ。「終わり」の条件がわからないからこそ、私はもう良いと思うんだと声に出すことは大事なんだと思っている。ちっぽけだけど、私はもう良いと思います!って声を上げていれば、彼が帰ってくる時間をほんの少し縮められるかもしれない。少なくとも、何もしないよりは私は気が楽だな。
彼らがこれだけ誠実な対応をしてくれているんだ。私だって私なりの全力の誠実を差し出したい。
ちゃま、私は今日もあなたの奏でたベースを聴いて、力をもらっています。
あなたが奏でる音をいつまでもずっと待っています。
いつもありがとう、大好き。
最後に、BUMP OF CHICKENを続けることを選んでくれてありがとう。