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アカシアのブーケによせて

私はたぶん「寂しくないの?」って聞かれるのが好きじゃない。
私は約1年前に結婚した。でも、夫と一緒には暮らしていない。
誰かにそう言うと、ほぼ100%「寂しくないの?」って聞かれる。その度に何とも言えない気持ちになる。

結論から言うと、寂しい。とても寂しい。
それでも、寂しさよりも大事なものが私たちにはあったから、私たちは離れて暮らすことを選んだ。「仕方なく」離れているわけではない。一緒に暮らそうと思えばいつだって一緒に暮らせるけど、あえて、そうしないだけ。
一緒に暮らさない理由は、色々な状況を総合的に判断してのことだから、決して一言では言えない。私は彼が選んだ仕事の邪魔をしたくないから、彼が私の住む街に安易に来ることを良しとしない。彼が仕事を諦めるくらいなら、この寂しさと付き合っていく方がずっといい。彼も同じように考えていて、私がやりたいことを自分のために諦めてほしくないと言う。
お互いにお互いのことが大切で、お互いがお互いのやりたいことをできる環境を望んでいる。お互いに、自分の寂しさよりも相手の仕事と人生を優先したいと考えている。
その結果が、別居婚。だからお互いに寂しいけど、この状況を選んだことに後悔なんてひとつもない。

イレギュラーな結婚だから仕方ないし誰も悪くないんだけど、しょっちゅう言われる「寂しくないの?」という言葉。
「さみしーです」って言えば話はすんなりいくんだろうけど、そうとは言いたくない私がいる。だって、「寂しい」を強調してしまったら私たちの判断が間違っていたみたいに、どちらかが薄情であるみたいに、私たちが「かわいそう」みたいに思われてしまわない?絶対にそんなことないのに。お互いに、相手が自分の人生の中にいることがしあわせだと思っているのに。とはいえ、「さみしくない」って言うのは嘘になるし、冷たいやつと思われるのも癪だし、いやもうこんなんどうしたらええねんって普段使わない関西弁で言い放ちたい気分になる。

逆に考えてみてほしい。一緒に暮らせなくて、こんなに周りを困惑させてしまうような状況になることをわかった上で、私たちは結婚した。周りからどう思われようとどうでもいいやって思えるほど、互いに他の人のことなんて考えられなかった。私は彼以上の人にこの先出会えるとは到底思えないし、彼も私以外は考えられないと言ってくれた。だから結婚した。
それだけの人に出会えたことはとてもラッキーだと思うんだ。しあわせだと思うんだ。だから、「寂しくないの?」って言われるのが仕方ないことは重々承知の上で、それ以上の想いが私たちにはあるってことを伝えたくなってしまう。いつもうまく言えないけど。そろそろうまく言えるようになりたいんだけど。
はじめましての人とたくさん出会う昨今、そんなことをつらつらと考えてはうまい言葉を探している。

今日も私は左手の指輪を見ては頬を緩める。

ここまで読んでくれた人は勘付いているかもしれないけれど、この文章は悩んでいるふうに見せかけた盛大な惚気です。この先、あなたが私たちみたいな決断をした人に出会ったらぜひ、「どうして?」って聞いてあげてほしい。壮大な惚気を聞けるかもしれないから。惚気を聞きたくない人は「寂しくない?」って聞いて、そして、うまい答えが返ってきたら私にその模範解答を教えてください。

余談だけど、フォトウェディングの時に私が手にしたブーケはアカシアでした。運命。