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移住後の子育て→わたしの幻想を手放す方法

だれの子ども?

みんなの子ども
みんなで一緒に育てます

でも 子ども&それにまつわる
関係性は うつし鏡・自分事

そんなコミュニティにいた。
それは、唄い舞うという共通の好みも合い
似た周波数の部分で繋がった人たちとの
暮らしを含めた生き様の学び・遊びの集い。


もちろん、それぞれ親の価値観に差や違いもあったけれど、

いつも集うと
子どもたちがわーっといて
楽しんでいて(楽しんでいたはず)
お母ちゃんたちが踊ったり唄ったりして
誰かの父ちゃんが子どもたちをみてくれて

誰の子かわからないようになったり
誰の親か分からなくなったり

また
お母ちゃんたちが自分の事に夢中になりすぎて子どもとの関係性に偏りが起きて、あり方を振り返るシーンも多々あったり

失敗しても大きな心で受け止めてくれ、時に叱ってくれるような存在をいつも感じたり

互いに打ち明けたり
言いにくい事も言い合ったり

いつも育ち合う、と捉えれば素晴らしい関係性。
コミュニティ自体も育ち、さまざまに移り変わるものではあったけれど

そんなところにいさせて貰った。

去年島へ移住してから
実際近くにいる子どもは少ないし
つまり近くに親も少ないし

いつもそばにいた仲間とは
やっほー!で触れ合えば、一瞬で消える不安やちょっとした心の隙間。
電話だっていつでもつながる時代、だけれど、わざわざ、になるとどうしても「まいっか♡」で飲み込んで忘れてしまう
日々のちいさな出来事。

これまでとのギャップを感じながら、
少なからずの孤独と大変さ

ひとりで子育て?
いざというときは?
ひなこも一人で可哀想?
わたしは寂しくて大変?

なんて湧いてきたのは嘘じゃない

だけれど

子どもとわたし
わたしと誰かの親
わたしと誰かの子

そもそも
人との関係性への
面倒や、怖さや、不安や

また

ピッタリの人たちじゃないと!
こんなところに来るんじゃなかった!

みたいに。笑

考え始めるとたちまち取り巻かれて
悲劇のヒロイン?
被害者妄想?
そんな感じになってくる。

(この感覚って結局全部、自分を信頼できてないからなんだろうけど、その辺りはまた)

そして
当の娘6歳はというと
わたしが思うほどは、日々寂しがってるわけでもないしね。
ちゃんと頼むと助けてくれる友達もいるしね。

渦に入ると色んなことがごちゃっとして
全体的に問題に見えちゃう。

こんな自分のつくったぐるぐるから抜け出していく時、どうしてるかな。

いつもその時の精一杯だけれど。。

--

まずは、

❶これは幻想だ
といちいち自分に話してあげる。

❷からだを整えて、ゆったり広がる意識の中で過ごす時間を増やす。

そして
やっぱりこれだなぁ

❸どんな時も
そのこと含め、誰かにシェアする。
安心・安全の中でシェアし合う。
そのフィードバックを素直に受けてみる。

超些細なことから
うっとおしいだろう繰り返しの話まで
聞いてくれる友だちや
その機会と場があるから
目も耳も感性も閉じず、目を逸らさず、全体をぼんやり見つめ進めているんだよね。

--

それにしても
幻想って、正体不明。

それをポイってする(本当にそんなもん笑)には
正体がわかることが大切。

わかっちゃえば
こっちのもの。

わかる瞬間はとても怖いかもしれないけれど
面倒かもしれないけれど

100%大丈夫よ。
これまでいつもそうだったから。

そうなれば
むしろ湧いてくる何もかも
迎え入れて
その事すら愛おしく心を開けてられる

楽。

そんな風に
わたしが楽にくつろいでいれば

どこに住んでいても
距離が離れていても
人数は少なくても
そんな関係性・場・チームはできる。

そしてわたしはそんな
くつろいで互いを生かせる場・チームをつくりたいって思っている。

--

わたしがひらけば
そんな世界が次の瞬間ここに広がる。

いつも話を聞いてくれる稀有な友達のように
どこでも仲間が出来るね。

失敗しても死なないしね。
失敗なんて無いしね笑


誰もが

わたし、アーティストなんで
勝手に描くの得意なんです笑

わたし、先見の明があるんで
うまくいくこと知ってるんです笑

でいけばいい。


こんな事に勇気がいるなんて
わたしってかわいいんです笑♡♡

って
まずはわたしを労るところから◎

--

この切磋琢磨もどこかで誰かの役に立つ。
そんなことがモチベーションにもなるんだよな。


さ、今日はここまで♡
          ♡
           ♡

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