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私が自己表現してみようと思った理由~私の言葉でしか伝わらない人がどこかにいるはず~


 いきなりですが、

 私は自己表現が苦手です。


 許されるならば、

 静かな空間でずっと黙り込み好きな世界に浸っていたい

 と思っています。


 いえ、思っていました


 とはいえ、

 生きていく上では人と関わる必要性は必ず出てくるし、

 自己表現しないと他人はエスパーじゃない(笑)ので、

 私の思っていることは伝わらない


 そんな、人と出来うる限りの距離を取り

 出来れば自己表現しないで生きていけたら楽と願う私が

 noteで自己表現しようと思った理由を書いていこうと思います。


 お時間のない方は、まとめを良ければご覧下さいね^ ^


1.自己表現が苦手な理由


 私が自己表現が苦手な理由を一言で言えば、

 『人から何か言われるのが怖いから』

 という、かなり自己防衛本能満載な理由です。


 性格口調思考ゆっくりのおかげか(?)、

 社会の猛スピードに生きる方会話に上手くついて行けず

 基本的には相手の自己表現聞き役だし、言われっぱなしでした。


 自分で何か言おうとしても、

 頭でゆっくり意見をまとめているうちに、

 既に話題は別のものに移っていて、

 発言すると会話が噛み合わず相手を苛つかせ、

 さらに相手の自己表現を強く聞くことになる。


 HSP気質も手伝ってか、

 そんな人の一挙手一投足に過剰な反応をしてしまい、

 必要以上に傷つく


 だから、人と接するごとに心の傷はどんどん増える。


 傷つかないように心を強くしようと、どんな本で実践しても、

 そもそもが気質だから治せない


 そして、


 二進も三進も行かなくなった私は、

 いつしか人前では自己表現をしないようになりました。


 子どもの頃はまだ自己表現していたはずなのに、

 自分の思っていることなんて人に伝えなくてもいいや

 と思うようになり、


 自己表現を放棄していたのが最近までの私でした。


2.自己表現をしても良いという可能性


 ただ、自己表現が苦手なだけで、

 自分の意見がないわけではありませんでした。


 むしろ、

 人一倍考えて自分なりの意見を確立しながらも、

 人に言っても仕方がないと諦めて、

 自己表現を心の奥に隠して生きていました


 それは職場の方は勿論のこと、

 友だちに対しても変わりませんでした。


 友だちと会っても基本的には聞き役で、

 ひたすら『ふんふん』と相づちを打ちながら、

 話を聞くだけでした。


 そんな中、

 相談事に関しては、

 頷いていれば良いというものではなかったので、

 偶に私の意見を求められることがありました。


 そんなときは、

 『私の考えだからあくまで参考程度に……』

 と前置きをして思ったことを伝えていました。


 そもそも、私の考えがその人にとって、

 プラスになるのか、マイナスになるのか、

 判断するのはその友だち自身で、


 さらに言えば、

 悩みを解決するのに私の考えでも選択肢が増えるのは良いことよね、

 くらいの捉え方をしていたから、

 人から求められた自己表現に対しては、

 そこまでの抵抗がなかったこともあるかもしれません。


 そして、

 聞き役に徹し続けたおかげか(?)

 友だちの相談に控えめな自己表現をしていく中で、


 『ありがとう!そういう視野で考えたことなかった』


 とお礼を言われること徐々に増えていきました。


 その頃から、

 『あれ?もしかして、私の考えも人に対して言っても良いの?』

 と思えるようになったのですが、

 それも人となりよく知る友だちに限っての話


 まだ、

 SNS見たこともない方に発信するほどの勇気

 ありませんでした。


 ただ、

 人の話を聞いて自分の視野を広げ

 その中から『生きていく上でどうやったら生きやすくなるか』

 と考えることが日常だった私の中に、

 静かに、それでも確実に自己主張の根が深く伸びていました。


3.自己表現しようと思ったきっかけ


 そんな中、何気なくラジオを聞いていたとき、

 米津玄師さんの、リスナーさんへの相談の答え

 はっとさせられました


 リスナーさんの相談は、

 『SNSで自分の意見を発信したいけど、

  人を傷つけないかなど、いろいろ考えてしまって出来ない

 というような内容だったのですが、


 米津さんはそれに、


 『表現してみないとそもそも何も始まらない』


 というような趣旨のことを答えておられました。

 (ぼぅっと聞いていたので、きちんとした表現が

  思い出せないが申し訳ないのですが……汗)


 確かに、

 自分の中でひたすら思っていても、 

 それがどう人に影響するのかは分からない


 時には、

    人を傷つけるかもしれないし、

    人から非難されることもあるかもしれない。

 でも、

    人を助けることが出来るかもしれないし、

    人を笑顔にすることが出来るかもしれない。


 私も、友だちに自分の考えを言うまで

 自分の考えが人にどう影響するかは、分かりませんでした。


 ただ、

 自己主張したら『人に何か言われそうで怖い』というのは、

 マイナスの面しか見ていなくて、

 プラスの面も大いにあるんじゃないかな?と

 思い始めたきっかけでした。


 しかし、

 私は『石橋を叩いて、叩いて、叩き割って、結局は渡らない』

 くらいの慎重派なので、すぐに踏ん切りはつきませんでした。

 (米津さんや大元のことわざには申し訳ないの一言です……汗)


 ただ、しばらく考えた後、

 やってみないと何も始まらないという思いも確かにあったので、

 とりあえず自己表現を初めて見ようと決めて、

 以前から気になっていたnoteでゆるゆると始めることにしました。


 noteなら、ブログのように書ける上にイラスト音源載せられる

 自由度が高いのもnoteで始めようと思った要因の一つです。


 しかし、

 何を書いていいのか

 そもそも私の書いたものを読む人がいるのか


 そんな不毛な自問自答を繰り返しながら、

 何となく数ヶ月続けていたある日


 とあるものを私は発見したのです。


4.私の言葉でしか伝わらない人


 パソコンのデータを整理中、

 自分の過去の読書メモを発見したのです。


 何かあるとすぐに、

 自分の不足を補うためにへと走っていた


 発見したのは、

 読んだの中で重要だと思ったものメモとして

 残していたデータ、でした。

 (何故そうしたのか覚えていない程、存在自体を忘れていました……)


 さっそく暇つぶしにそれを読んでみるうちに、

 ついつい笑ってしまいました。


 そのデータ自体約十年前のものでしたが、


 十年前に重要だと思ったポイントと、

 ここ数年で読んだ本の、重要だと思ったポイントとが、


 『ほぼ同じだった』のです。


 十年前からもしかして全く進歩してない(笑)⁉

 とも思ったのですが、


 ただ一点違うのは、

 十年前の私はそこを重要だと思いながらも、

 その後もあまり変わらない日々を過ごしていたこと。


 そして、 

 十年後の私は、過去とは別の人の本読み

 人生観すら変わった体験をしたばかりでした。


 何故、本質的には同じ事を言っているのに、

 十年前十年後とでは、私の受け取りが違うのだろう。


 勿論、

 私が精神的に成長した部分もあるでしょうし、

 私の受け止める熱量が前より強くなったこともあるでしょう。


 しかし、


 そのとき私が思ったのは、

 『私にとっては、今のこの本の作者さんの言葉でないと

  伝わらない何かがあったんだな』ということ、

 でした。


 本質的には同じ事を読者に伝えていても、

 私には十年前の作者さんではなく

    今のこの本の作者さんの言葉だからこそ伝わったんだ、と。

 (十年前の作者さんの言葉が分かりにくいと言うことでは決してありませ

  ん。)


 その事実に、はっとされられました。


 そうであるなら、

 『私の言葉でしか伝わらない人がいるかもしれない』、と。


 私が言っていることはありふれたことかもしれない。

 同じ事を言っている人も沢山いるかもしれない。

 

 けれど、


 もし、

 私の言葉でしか伝わらない人がどこかにいるなら、

 その人のために自己表現してみてもいいかもしれない。


 また、

 自分の言葉がどこまで届くか知ってみるのも面白いかもしれない、と

 そう思いました。


 だからこそ、

 ゆるゆるとしたスローペースでも、

 私は今日もnoteで自己表現をしています。


 『私の言葉でしか伝わらない人がどこかにいるはず』だから。


5.まとめ

 

 『私の言葉でしか伝わらない人がどこかにいるはずだから

  その人のために

  また、

  自分の言葉がどこまで届くか知るために

  noteで自己表現をしているよ』、

  というおはなしでした。

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