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「普通の人」とどう付き合うか〜『教養としての歴史問題』を読んで〜


 この本を読むのと並行して、昔RTしたりいいねしたりしたツイートのスクショ(スクリーンショット)を見返していた。すると、東浩紀氏の以下のツイートが目に入ってきた。

https://twitter.com/hazuma/status/1168581833140817920?s=19

「バカの相手をするとこっちもバカになるだけだからやめたほうがいいぞ」とか言ってると世の中悪くなるだけだからあえて相手をするんだとか意気込んで、結局ミイラとりがミイラになっていくだけの残念な例がまわりに多すぎるので、ぼくは世の中悪くなるだけだろうがなんだろうがバカの相手はしない。

https://twitter.com/hazuma/status/1168582173902831616?s=19

300周ぐらい回って、いまは「バカの相手をしない」がもっとも有効かつ持続可能な戦略だと思う。みんな、目を冷ましてほしいな。

https://twitter.com/hazuma/status/1168582717862080512?s=19

この1ヶ月いろいろ考えて、冷笑系といわれようがなんだろうが、ぼくはそれ(バカの相手をしない)が正しいと確信したよ。

それと、このツイートを2020/08/31に検索したときに、春名風花氏のこのツイートも見かけた。

https://twitter.com/harukazechan/status/1168687977653886976?s=19

僕もクソリプさんの相手をする→しない→する→しない、のループを繰り返してきたけど、いまちょっと新しいターン「クソリプさんを丁寧に扱う」に入りました。大切にされた経験がない人は、他人を尊重することが出来ない。なら、みんなでその人に礼儀正しく接してみたら何かが変わるのじゃないかな?と

 バカとまでは言うつもりはないが、「普通の人たち」「(自分のことをよく知らない)一般人」「他人」にどう対峙していくかという問題は人生の中でも大きなウエイトを占める(と僕は思っている)。ちなみに、僕はクソリプ(主にツイッター上における、相手に対する敬意がなかったり、文意を読み取らなかったりして行ったリプライ(返信)のこと)が来たら大抵ブロックしている。僕のような取るに足らないツイッターユーザーに不満やストレスをぶつけるくらいならもっと有意義なことに時間を使ってほしいし、そのような者達に時間を割いて丁寧にリプライをすることは有意義とは思えないからである(但し、説明しがいがあると考えた場合には丁寧にリプライをすることもありうるかもしれない)。

 この本では歴史問題についてどのようなことが起こっており、またどのような態度をとっていくべきなのかが主に書かれている。前川一郎氏、倉橋耕平氏、呉座勇一氏、辻田真佐憲氏による稿が掲載されている。僕はその中でも、呉座氏と辻田氏の稿が特に印象に残った。
 
 この本の中には、(実際はそこまでではないのだが)一般の人を排除してが閉鎖的になり、「つくる会」に教科書市場を乗っ取られそうになった歴史学界の姿も少しながら描かれている。「国民の歴史(これは奇しくも西尾幹二氏の著書の名前でもある)」を学界やリベラルや左派が語れなかったこともこの問題に影響を及ぼしていると思う。
 学界が通史を知れる、読み応えがあるものをあまり作らなかった結果、『日本国紀』や『教科書が教えない歴史』、小林よしのりの『戦争論』などの歴史修正主義者たちの本が人々の通史になりかわってしまった感がある。『日本国紀』に関わった者たちは「左派も面白い通史を書けばいい」と言うのだが、左派が『日本国紀』のカウンターとなるような(目立った)ものを書けていないことは、確かに手痛いことだと思う。
 また、出版界での池上彰、出口治明、しばしばある歴史教師が書く通史本など、見取り図を描ける人、面白く通史を語れる人の希少性、重要性も指摘しておきたい(勿論、彼らの解説や説明の細かな誤りは枚挙に暇がない。また、簡易に面白く解説しようとして正確性がなおざりになってしまったり、トンデモな説を取り上げてしまうことも往々にしてある)。ともかく、彼らのあら探しばかりするのではなく、彼らを味方につけて利用するくらいの気概がなければならないとこの本を読んで感じた。
 
 また、この本は政治の本ではないが、先日(2020年8月28日)辞任を発表した安倍晋三政権の支持にも言えることだと思う。安倍政権がなぜ7年8ヶ月も続いたのか、なぜ選挙に勝ち続け、何故若者から支持を集めたのか、それが完全に分かる者は少ないだろう。左派・リベラル陣営は安倍総理の支持者に対して壁を作りすぎ、右派・保守陣営は安倍総理に情が移りすぎて正しい評価ができなくなっているからだ。僕もなぜ評価されているのか本当のところは分からないが、自分なりの考えをまとめてみたいと思う。
 僕たち若者が物心がついた頃は、小泉政権、そしてその後の毎年のように総理が変わった時期であった。小泉政権は強かったし、色んな改革を行ったが、彼の新自由主義的な色彩がある改革は非正規雇用の増加など問題も含んだものであった。その後の「今年の漢字」「流行語大賞にノミネートした一発屋芸人」のように毎年変わる首相の姿を見て、少なくとも僕は日本を情けなく感じた。不祥事が続き、大臣や事務次官が次々と辞め、サミットで端の方に立ち、首脳間の談笑にも混じれずに不景気にも対応できない首相の姿。政権交代に期待するも、交代したらしたで外交のアマが日本を振り回す始末。普天間基地問題について首相が「トラストミー(私を信じて)」と言ったとしても「宇宙人」「ルーピー」などとdisられる様を僕は更に情けなく思った。そのあとの活動家上がりの政治家は震災の時に日本をどん底にまで追いやった(異説もあるが、事故直後で混乱していた福島原発に単身乗り込み東電を慌てさせた)。その次の総理は若干マシで民主党政権の中で一番長続きしたが、最後ヤケになって解散の主導権を自民党に握られてしまった感がある。
 その次の選挙を経て首相になったのが安倍首相である。「日本を取り戻す」というスローガンは(少し噛み気味で「トレモロス」と聞こえたこと以外は)センセーショナルに響いた。中国や韓国と対峙し、かつ(一時期は関係を著しく悪くはしたものの)朴槿恵大統領と慰安婦合意を結び、(くまのプーさんのような微笑の)習近平主席と握手するなど、隣国と互角に渡り合っていく姿は頼もしく思えた。(一回だけだったが)靖国神社参拝を強行したのも、集団的自衛権行使を(一部)容認したり安保法制を通したりしたのも良くも悪くも強さを感じた。アベノミクスで景気が爆上がりする感じはしたし、実際に景気は良くなった気はする。僕が(お世辞にもあまり偏差値は高いとはいえないが)国立大学に合格できたのも、(あまり給料は高くはないが)今の職場に内定をとらえたのも安倍政権下の出来事であった(但し、一番行きたかった旧帝国大学に不合格したのも安倍政権下であった)。拉致問題も北方領土問題も憲法改正も進みそうな感じはした。安倍政権には公文書を改ざんしたり、統計不正や日報隠しをしたりした問題やモリカケサクラ疑惑・河井夫妻疑惑もあったが、それが比較的些細な問題に思えるくらい僕は安倍首相に「強さ」を感じた。また、安倍首相を「かわいい」と称する若者も存在することは書いておきたい(DailyWiLLOnline(初出:『WiLL』2020年7月号)「安倍首相? かわいくていいよ――ゆきぽよ(モデル・タレント)」URL:https://www.google.com/amp/s/web-willmagazine.com/social-history/isQxh.amp )。これは、温水洋一や地井武男などのおじさんを「かわいい」と称する文化がここ十数年で日本に根付いたことに関連すると考える。おじさん達が活躍する「半沢直樹」「シン・ゴジラ」「おっさんずラブ」のヒットも記憶に新しい。

いささか話が飛びすぎた。安倍政権が終わってもなお、左右陣営は共に安倍旋風を総括しきれないと思う。左派・リベラルは安倍首相の政策に不満を持つ層にリーチできておらず、右派・保守の主張は安倍首相を(ライトに?)支持している若者層から必ずしも支持されているとはいえない(やや古い調査ではあるが、2015年に日本経済新聞が行った調査によれば、20~30歳代の若者は選択的夫婦別姓賛成が52%で、反対の39%より多かったという(『選択的夫婦別姓制度「反対」52% 世代間の溝、鮮明』URL:https://r.nikkei.com/article/DGXLASFS27H1W_X21C15A2PE8000?s=3 )一方で、2019年9月の日本経済新聞が行った調査によると、憲法改正の国民投票には18~29歳では賛成が72%に上り、反対は21%だったという。(『改憲国民投票に賛成、18~29歳は7割 若年層ほど高く』URL:https://r.nikkei.com/article/DGXMZO49770580T10C19A9EA2000?unlock=1&s=3 ))。安倍首相をなぜ支持しているか、本当のところはどんな論者にも分からない。我々は極端な右や左ではなく、真ん中の近くにいるような「普通の人」の声にもっと耳を傾けるべきなのかもしれない。

 そして、時には「普通の人」と「専門家」との架け橋となる努力も必要なのだと思う。昭和史、戦後史を身近なものにしたという点で、そして、貴重な証言を数多く後世に残したという点で、半藤一利、保阪正康両氏の功績は無視できるものではないであろう(恥ずかしながら、私は両氏の本のうち半藤一利氏の『日本のいちばん長い日』しか読んだことはないのだが)。また、国会内の書店で(2017年時点で)上念司氏や三橋貴明氏の本が売れているという話もこの本に載っていた(参考:産経ニュース2017.5.16『なかなか行けない国会議事堂にある書店の売れ筋は?「評論家は上念司や三橋貴明」名物店主が政治家の教養低下に喝!』URL: https://www.google.com/amp/s/www.sankei.com/premium/amp/170516/prm1705160002-a.html )。国会議員をはじめとする国会関係者の間でこうした経済評論家の本が人気がある(なお、上念司氏も日本経済の歴史についての本を出している)と聞いて、専門家と一般の読者の間にいる著者による真正面からの啓蒙も重要なのだと思った。面白くデフォルメされたものは分かりやすいが、デマはいけない。(NHK『チコちゃんに叱られる』で、「肉じゃがはビーフシチューが元祖」というデマをそのまま放送したことが2020年8月問題になった。参考リンク:2018/3/15 dragoner「肉じゃが発祥の地」をめぐる真相 URL:https://news.yahoo.co.jp/byline/dragoner/20180315-00082767/)一昔前は司馬遼太郎や松本清張が担っていたような、社会や歴史に対する興味への窓口となる役割を持った作家や著者が現代にももっと増えると良いなと思う(とここまで書くとお前がやれよなどと言われそうだが、ご覧の通り僕にはあまりにも文章力がない。またこれは私見ではあるが、池井戸潤辺りがかつての司馬が担っていた役割を担いつつあると思う。)。

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