オペラの話:《ラ・ボエーム》、ベルリン・コーミッシェ・オーパー(KOB)

こんな、とても面白く、ためになるビデオがあります。約25分足らずです。
https://www.youtube.com/watch?v=a-bv8f2XGcE

これはベルリン・コーミッシェ・オーパー(KOB)プッチーニ作曲《ラ・ボエーム》新制作(2019年1月27日初日)の説明ビデオです。

プッチーニがどんな作曲家か、《ラ・ボエーム》がどんな作品なのか、KOBがどのようなアプローチをしたのかなど、主に演出家(KOBインテンダント兼主席演出家)バリー・コスキー、同オペラのカペルマイスターでこの新制作の指揮をしたジョーダン・デ・スーザ、そして歌手たちの喋りで構成されています。
コスキーはオーストラリア出身、デ・スーザはカナダ出身で話は英語です。

何人かの友人・知人に薦めたのですが、言葉の問題もあり、「何が面白く、ためになるかわからなかった」という声がありましたので、ここで概要を少し翻訳・補足説明します。

まず映像は、劇場の裏からステージ下部(奈落)に向かうところで始まります。実際に観た方でないとわかりにくいかもしれないので全景の写真をご覧ください。

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歌手たちはステージの下(奈落)から登場します。これはパリの最上階、屋根裏部屋のイメージです。天井の戸板の開閉音は音楽とピッタリ合っていました。

歌手たちは自己紹介と《ラ・ボエーム》に関する自己体験や自分たちの学生時代について話します。

ちなみに「ラ・ボエーム」というのは「ボヘミアン」という意味です。詩人ロドルフォ、画家マルチェッロ、音楽家ショナール、哲学者コッリーネの、タイプの違う若い芸術家4人は、理想とプライドは高いものの、貧乏で、ロドルフォと恋に落ちるミミを助けることもできず、ミミは死んでいきます。

大ヒットしたクイーン、フレディ・マーキュリーの映画《ボヘミアン・ラプソディー》も連想してしまいますが、《ラ・ボエーム》は19世紀末に作られました。作品の舞台は1830年頃と設定されています。

さて、演出家のコスキーの話の重要な点をここに箇条書きにしますと・・・

・《ラ・ボエーム》は有名な作品で、多くの人たちがすでに観て知っている。すでに築かれたイメージが強く、演出家としては「(演出が)難しい」作品のひとつである

・《ラ・ボエーム》は『失われたもの』、『取り戻せない過去』、つまり『喪失感、ロスト・フィーリング』の話であり、これが年を重ねた人も、また(現在進行形の真っただ中にいる)若者にも共感をよぶ理由だと思う

・若者たちは、これまで出会ったことのなかった大事件、『(同世代のミミの)死』に直面してしまう。この『死』は18世紀、19世紀における『死』でもなく、ワーグナーがテーマにした「女性の犠牲(死)により男が救済される」といったものでもなく、ごく私たちの日常、身近にあるものだ

・プッチーニは ~ヤナチェクもそうだが~ 日々の普通の人たちの普通のトークを作品に採り入れている

世界初演は1896年つまり19世紀だが、作品は20世紀オペラ作品である。というのは、心理描写が精緻で巧みだからだ。
20世紀オペラの特色である心理描写は、ベルク作曲《ヴォツェック》に始まるとされているが、自分は《ラ・ボエーム》だと思う

・プッチーニが生きた時代、《ラ・ボエーム》の舞台になった時代は「ダゲレオタイプ(銀板写真)」が実用化された時代で、これは人間の生活に革命的な変化をもたらした。マルチェッロについては画家ではなく写真家として描いた

・舞台美術は19世紀のパリの様子だが、しかし自分自身は「歴史主義」にはまったく関心はない

・《ラ・ボエーム》は現在、あまりにセンチメンタルに演出されている。センチメンタリズムのために、スコアの指示を変えることも多い。しかし《ラ・ボエーム》はアンチ・センチメンタリズムだと思う。食べ物に例えると、ほとんどの演出は「ボロネーゼ」だけど、作品は「オッソブッコ」つまり、骨がある。ただ美味しい「ボロネーゼ」ではない

1986年冬、学生だった私はオーストラリアからヨーロッパに旅をした。ベルリンに来て、チェックポイント・チャーリー(筆者注:ベルリンが分断されていた頃、ここを通って東西の交通が可能でした)を通過して、旧東ベルリンに入った。KOBでハリー・クップァー演出《ラ・ボエーム》を上演していたので観てみた。クップァーはセンチメンタルと真逆、心理を緻密に描いていく。《ラ・ボエーム》はそれまで観たことはあったが、このハリー・クップァー演出はそれまで観たことのないコンセプトで、自分にとって決定的だった。(筆者注:映像ではベルリンの旧チェックポイント・チャーリーからKOBまでの道を早回しで映しています)

・当時、KOBのこともよく知らなかった自分が、それから30年後、KOBのインテンダント兼主席演出家としてクップァーの後任になるなんて・・・!(筆者注:その間にはアンドレアス・ホモキ、現チューリヒ・オペラ支配人がいます)

・《ラ・ボエーム》のリハーサルには8週間かけたが、これほど時間をかけられるのは容易ではない

私の祖母マグダレーナ・レヴィは若い頃ブダペストに住んでいて、ウィーンにもオペラを観に出かけていた。当時のブダペストには著名な音楽家が来ていた。祖母は音楽家のサインを集めていて、たとえば、R.シュトラウス、バルトーク、シャリアピン、カルーソー、マリア・イェリッツァなどのサインを持っていた。そのコレクションを18歳の私の誕生日にプレゼントしてくれた。その中に祖母の頼みに応じて、プッチーニがヴィアレッジョから送ってきてくれたサイン入りポートレートがある。日付は1924年10月8日。

・プッチーニが私の演出を気に入ってくれるかどうかなんてわからない。でもこのプッチーニのサイン入りポートレートがこのプロダクションのお守りだと思っている


また、このプロダクションを指揮したデ・スーザは音楽的なことに触れています。

・いろいろなアリアを分析すると、簡単な音階からできている。しかしそれにつけた音楽はほとんど即興、アドリブ的に、信じられないほど表現がとても自由で豊かである

音楽はほとんど会話であり、イタリアの伝統ロッシーニ的なものではない。ボーイトやヴェルディの流れを汲むものだ

対話的音楽は内面的でかつ香りに満ち(ドビュッシーから得たと思う)、たとえば、場面や状況が変わると、音楽により、その部屋の温度も一瞬にして変わる

・炎のようなエネルギーに満ちており、自分にとっては「最高のミュージカル


ざっとこんなところでしょうか。

ちなみに、コスキーの足元にかしこまっているのは、コスキーの愛犬です。


これは《ラ・ボエーム》プレミエのカーテンコールです。

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カフェ・モミュスのシーンで使われている小道具です。このメニュー(お品書き)も当時のものを再現したと聞きました。
オペラの観客からは見えない部分ですが、このような細かい仕事とその取組み、モチベーションが公演の質に出てくるのだと思います(神は細部に宿る)。

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私が上記のコスキーの話で感銘を受けたのはハリー・クップァー関連の話です。クップァーはドイツ・ムジークテアーターの大御所で、KOBのインテンダント兼主席演出家を1981年から2002年まで務めました。

クップァーは、この《ラ・ボエーム》の次の新制作《ポロス》の演出を手がけました。
2019年3月16日、KOBでの《ポロス》プレミエのパーティーです。コスキーの右側に立っているのがクップァー。

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クップァーの仕事はこの《ポロス》演出が最後になりました。クップァーは2019年12月30日に84歳で逝去しました。

なお、上記ビデオのステージ映像は下記リハーサルのものが利用されています。画面に出てくる劇場用語を少し説明しておきます。

・2019年1月17日   Klavierhauptprobe(HPK)ピアノ・メイン・リハーサル。HPKでは、まだ演出家が自由にストップさせて手を入れることができます。

・2019年1月23日 Orchesterhauptprobe(HPO)オーケストラ・メイン・リハーサル。ここではオーケストラと一緒にリハーサルをしますので、演出家がストップさせて、あれこれ手を入れるのは憚られます。ところがすべての問題点が一気に噴出するのもHPOです。
この後 Generalprobe (GP)ゲネラル・プロ―ベ(総稽古)と続きますが、GPでは本公演と同様に行います。
つまり、HPOはすべてのセクションが、かなりナーバスになっており、 外部の人をシャットアウトすることがほとんどです(GPには関係者などの見学を許可することも多い)。

以上、少しはお役に立ちましたでしょうか?

FOTO: すべて©Kishi

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