深夜のデュッセルドルフ・ドライブ

9月末のことですが、デュッセルドルフ・トーンハレでのコンサートに行った折、知り合いのMSさんと会いました。

彼女はドイツ人、年齢は50歳代で、以前は地方自治体の議員でした。私は数年前、オペラで隣の席になり、そこで声を掛けられたのが出合いでした。
屈託がなくオープンで劇場インテンダントからクローク係まで、多くの人たちと言葉を交わしています。

9月末のコンサート後、
「私、今日は9時から働きっぱなしなの。喉も乾いたし、シャンペンに付き合いなさいよ~」
と言われ、近くのシュタイゲンベルガー・パーク・ホテルに連れていかれました。
ここでも、もちろん門番からウェイターまでみんな知り合い(に見える)のようです。
案内された場所の近くには50歳代の男性と30歳代の女性のペアがいて、彼女は挨拶をし、私も紹介されました。
案内された席に着くなり、小声で
「あの彼は婦人科医、彼女はロシア人で患者として出会ったらしいのよ。なんかすごくない?!最近、結婚したらしいわ」
と相変わらずオープンなお喋りです。

夜も更け、ホテルを出て駐車場に向かいました。

支払いをしようとすると、若い女の子3人から、
「この駐車場、24時間オープンだと思って入ったんですが、街中なのにとまっている車も少ないし、心配になりました。何時までかご存知ですか?」
と声をかけられました。

MSさん:
「入る時にちゃんと見なかったの?あと1時間しかあいていないわよ。これからどこに行くつもり?」

3人:
「旧市街に・・・」

MSさん:
「女の子だけで旧市街に行くなんて、お勧めしないわ。どこから来たの?」

← 夜の旧市街はまっすぐ歩けないほどの人込みで、酔っ払いが多く、とても足を踏み入れる勇気はありません。

3人:
「ゲルゼンキルヘンです」

← ゲルゼンキルヘンはデュッセルドルフから約50㎞、サッカーの内田選手がいたシャルケの本拠地です。ゲルゼンキルヘンからデュッセルドルフに行くというのは、イメージとしては東京近郊県から渋谷や六本木、銀座に行く感じでしょうか。

MSさん:
「じゃ、デュッセルドルフを知らないのね。私の車で案内するから乗りなさい!」

と、いつもの通り、有無を言わさず強硬です。
もちろん私には『自分だけ帰る』という選択は許されていません。


3人は顔を見合わせていましたが、ついてきました。
MSさんの車はクリーム色のジャガー。シートは外装と同じクリーム色の皮張り。3人はほーっとため息をつきながら乗り込んできました。

車に乗るなり、MSさんは助手席の私に10㎏はあろうかと思われる仕事カバンを渡し、10㎝のハイヒールを脱ぎ捨て、後部座席の3人に
「そこにあるドライヴィング・シューズを取って!私9時からハイヒールなのよ」。

3人:
「すごい、このハイヒールで・・・リスペクト・・・」
とつぶやいていました。

そして3人:
「私たちのこと、こわくないですか?」

MSさん:
「全然。あ、この人(私のこと)、日本人。柔道強いから」

← 柔道強いってウソウソ!

「コロナのこと?ちゃんとマスクをしなさい。私はこれまでPCR検査を18回受けたけど、すべて陰性だったから」

← いやいや、だからと言って、いま現在も陰性かわからないし、若者の方が感染させる危険が高いのですから。3人はその意味で言ったのだと思う。

MSさんは市街を走りながらデュッセルドルフの歴史と現在を教えます。旧市街の横を通り抜ける時には

「ほら、ごらんなさい。怖い男たちがたむろしてるでしょ!」

3人:

「オ~、イエ~・・・」と沈黙。

そして3人:

「有名人や大金持ちが住んでいるところはどこですか?」

MSさん:

「じゃ、そちらにも回るわね・・・」そして、
「ほら、この辺の家は数億円、過激派の標的にもなったことがあるのよ」

3人はライン河畔からデュッセルドルフ市街のパノラマを楽しみ、MSさんは最も有名なショッピング通りのケーニヒスアレーの最南端で車を停めました。そして、

「ここがケーニヒスアレーの端っこ。ここを1㎞くらい、まっすぐ歩いたつきあたりがさっきの駐車場だから、ここで降ろすわ。店はもちろん閉まっているけど、ここには世界の最高級ブランドが集まっているから、目の保養をしながら駐車場に行きなさい。あと15分で駐車場は閉まるから気を付けて」

と名刺を渡しました。

2人きりになったMSさん、私に

「3人で旧市街に行くなんて、とんでもない!いい餌食よ。あと15分だからこれから旧市街に行く時間はないし、あなたに付き合わせて悪かったけど・・・でも、2人だったからできたのよ」

というので、

「はい、理解していました。あなたは、良いことをしたと思う。リスク回避という人助けと教育、楽しませを同時にしたから」と言いました。

数日して、MSさんから電話がありました。

2日後に「あの3人からお礼の手紙が来た」とのこと。
← これって昨今では珍しいことです!ちなみに3人はギムナジウム(高校)の最終学年でした。

翌日には1人の女の子の母親から電話があり、
「娘が友人のところに行くというので、夜だし、車を使う許可を与えました。まさかデュッセルドルフに行くとは思いもよりませんでした。おかげさまで危ない目にも合わず、心から感謝しています」

ということだったそうです。

忘れられないデュッセルドルフの深夜ドライブでした。




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