うちの子育て方針
私の子育て方針を書いていきます。
我が家の子育ての方針
うちは共働き家庭で、私はフルタイムで働いています。
通勤は50分くらい、残業やや多めの部署での経験が多いです。
出産後一年間育休を取り、保育園の0歳児クラスからお世話になりました。
0歳児クラスの終盤の冬、息子の熱が1週間近く続き、結果的に入院して治ることができました。
タイミングが悪かったら、命にも関わったもしれないくらい、当時はたいへんでした。
小さい体に辛い思いをさせてしまったと強く後悔し、ただ毎日のタスクをこなすように子育てしていたら、あっという間に時間が過ぎ去ってしまうのではと感じました。
そこで、自分なりに考えて、子育ての主軸になる方針を固めました。
これは、私の親の考えもこのようなものであり、夫も割とこのような考え方でした。
私の父は生い立ちから苦労が多かったのですが、強い意志で乗り越えていく人生を送っており、その姿や言動は今の私にとても強く残っています。
もちろん、周りの人との調和はとても大切に考えています。
調和があってこそ、いろいろな物事が進み、交流を楽しむこともできます。
でも、時には、周りの流れとは逆行することになったとしても、自分が本当に納得できる人生を送りたい。
周囲に逆行することも厭わない、恐れないくらいの"勇気"を持てる人に、息子にもなってもらいたいと思っていました。
そして、15歳の今、私の想像を超えるくらい、そんな勇気をしっかり持った少年に育ちました。
私の方が、そんなの甘いよ。そんな考え方でいいの? と息子に諌められてしまうこともあります。
保育園に通っていた頃、3歳児クラスまで毎朝私との別れは号泣で、毎日辛い思いをしていました。
どちらかといえば大人しいタイプで、小学校低学年までそんな感じだったと思います。
中学年くらいから、自分の考えをしっかり話すようになり、それが周りと合っていないことがあっても折れたり巻かれることなく、自分の納得できる方法を自分で探していました。
高学年ではリーダーシップを取るようになり、先生にもいろいろ提案したりして、楽しいクラス作りになるように働きかけていました。
中学でも、グループの発表やイベントなどで中心になって、部活動では部長に選ばれました。
担任の先生には「あなたは本当に中三なの? 大人の考え方だね」と言われたり、歯医者さんには「こんなに治療しやすい子はいません! いい子ですね」と言われ、ある症状でお世話になった病院の先生には「すでに悟ってるね」と言われましたw
小学生の時に、お友達の家に遊びに行っても、「ともくんは大人だね」とそこのお母さんに言われたりしてました。
もちろん、まだコドモなので、もう少し落ち着いて考えてほしいところなどもありますが、着目点については私も勉強になるなと感じることもあります。
どうしてこういう子どもに育ったのか?
どうしてこういう子どもに育ったのか? というと、はっきりはわかりませんが、気質の遺伝はあるでしょうし、そのつもりで育てたのでそのように育ったのかな、としか言いようがありませんが。。。
本当に小さい時からでも、
というのをしつこく私が語りかけてきました。
そして、喋り始める前から、とにかく話しかけていました。
そうすると、話し始めるとどんどん言葉が進みました。
また、子ども扱いせずになるべく対等な立場で話し合うように意識しました。
あと、私たちの判断をみて、周りの人たちはこう動いているけど、こういう見方・考え方もあるので皆さんとは違うけどこっちのやり方をしてみよう、という姿を多く見せてきたから、自分もそういう考えもありなのだと思ったのでしょう。
今の彼は、勉強も友達との関係も自分で考えてうまく取り組み、楽しめているようです。
口もきかないような反抗期はないのですが、きちんと考えて夫や私に意見することもあるので、問題はないかと思っています。
まだ中学生ですが、基本的な子育ては終わったなと感じています。
あとは、これから独立するための総仕上げで、できる範囲のサポートや助言をちょこっとしつつ、片目ではしっかり見守ろうと思っています。
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