沈んでゆく海の底から見えたもの
2018年5月に投稿された、After the Rainの夏の定番曲といっても過言ではない「マリンスノーの花束を」、今回はこの曲について考えていきたいと思います。
爽やかでキラキラしたメロディー、ウキウキ弾けるような歌詞、実際に海の音を録音して取り入れるなど工夫もされており、夏にぴったりのとても耳馴染み良い爽快感のある1曲です。
しかしこの曲には、作曲者であるまふまふさんの後悔と決意が込められており、メロディーやMVからは想像できないような切なさを感じるのです。
投稿から遡ること3か月ほど前、そらるさんが活動を休止してしまいます。リスナーにとってもまふまふさんにとってもまさに寝耳に水。休止後しばらくは自己嫌悪からインフォさん以外の人とは連絡をとれなかったと、後にそらるさんは自身のブログで語っています。生放送ではそらるさんを待とうと気丈に語っていたまふまふさんですが、この時のまふまふさんの心情はどうだったのでしょうか?
同年3月に開催された「ひきこもりでもライブがしたい」ではゲストとしてそらるさんが出演しています。復帰後初となる2人で並ぶステージで歌い始めた時に、まふまふさんは泣いてしまいその曲のほとんどを泣いたままで終えました。またそらるさんとこの景色を見られると思わなかったから、と語っています。まふまふさんはこのままそらるさんが帰って来ない未来を想定してしまったのでしょう。(ちなみにそらるさん休止中にxyzバレンタインライブがありそこで共演していますが、休止中のそらるさんは気まずさもあってか俯いていることも多く、一緒に歌っていてもまふまふさんの方をみることはほとんどありませんでした。まふまふさんがとてもテンション高くそらるさんの分まで頑張ろうとしている印象なのに対し、そらるさんの方は終始テンションが上がることはなく、笑顔も少なかったです。あんなそらるさんを見たのは後にも先にも1度きりで、歌うことが大好きだったそらるさんのあのステージを目にしたからこそ、そらるさんが戻っては来ないのかもしれない、と危惧したのかもしれません)
そしてこの曲は、まさにこの時のまふまふさんの心境を余すことなく吐露し、2度とこんなことが起きないようにしたいという決意の曲となっています。
それでは、「マリンスノーに花束を」を紐解いてゆきたいと思います。
イントロはCコードから始まりCaugへと繋がるような、音階が少しずつ上がっていきとにかく明るくて前向きな印象です。これから何か楽しいことが始まりそうでワクワクします。
「初夏のパレード 潮風の背 海のクレープ はじけた夢」と、言葉選びも夏の楽しいイメージのものばかりです。
潮風は海から陸に向けて吹く風のことです。その背(が見えている)ということなので海に背を向けて陸の方を向いている状態です。海のクレープやはじけた夢は、波が砂浜にぶつかってはじけている様子が浮かんできます。なのでここは、海を背に陸の方を向いて浅瀬あたりに立ち、波がはじける様を初夏のパレードのように楽し気な気持ちで見ている景色が浮かびます。
「ちょっとだけ得意げに君を誘うんだよ」
陸にいる君を、誇らしい気持ちを持って海へと誘っています
「飛沫あげて飲み込む夏が ラムネによく似たこの味が」
飛沫をあげるという表現から、君と海に飛び込んだことがわかります。ラムネはまふまふさんの楽曲には度々登場し、子どもの飲み物です。童心や子供でいたい気持ち、子どものようなワクワクを表すアイテムとして用いられています。
「恋だなんて呼ぶことに はにかんだワンシーン」
恋、は一貫してユニット活動の比喩表現だと思われるので、そらるさんとのユニット活動が始まり楽しくて良好であることの現れでしょう。
上記のことをまとめて考えると、この曲での海は、1歩踏み込んだアーティスト活動のことではないでしょうか。MVに文字のみで出てくる「波が幾重にも重ねってはじけた、海へ行こうよ」にもあるように、歌い手として色々な活動を重ねてきてまさに今、陸にいるそらるさんを半歩先行くまふまふさんが一緒に飛び込もうと誘っています。こんなに楽しいことが待っているんだ、と子どものようなワクワクした気持ちを持って。そしてその誘いによって2人で飛沫をあげて海に飛び込んだのです。
飛び込んだその先に待っていたもの、それは何だったのでしょう。
「描きかけの未来 砂の城」
波にさらわれたら簡単に壊れてしまう未完成な関係性の表現
「ずっと言い出せずいた後悔も ココロの満ち引きに流されて消えてゆく」
何か言いたいことがあるのに言えなかった過去。ココロが満たされている時と物足りなくて欠けている時、そんなことの繰り返しでなんとなく後悔もうやむやになってしまった。
なのでここは『ココロが物足りなさを感じて欠けている時は、未完成の未来について語り合おうとしていたけれど、そのうちにココロが満たされる時間もあり、核心に迫るような言葉はいつの間にか消えてしまっていた、それを後悔している』となります。
「星空のキャンパスをトレースして この世の銀河をバケツで零してみたい 冷たい深海の君にも見えるように」
深海にいるのは君だけです。自分は星空も銀河も見えるもっと浅い場所にいるようです。星空や銀河に共通するのは溢れる光で、ペンライトの波や希望ある声援の比喩表現だと思われます。それらをトレースしたり君に届くように零してみたり、伝えることに必死さすら覚えます。
実際、星空をトレースや銀河を零すなど、ここではとても壮大なことを言っています。君に届ける為なら何でもしてやろうという気持ちをひしひしと感じます。
『暗い海の底にいるように周りが何も見えなくなっている君に、こんなにも君を待っているものがあることを何としてでも伝えたい』と読み取れます。
「サファイヤより深い光彩のひとつもない小景」
サファイヤは青く輝く宝石で、そらるさんの色のことでしょう。そらるさんの色のなくなってしまった景色のことを表しています
「宛名もないいまま沈んだ向こう 君に見せたい星空になったんだ」
行くあてなどないままに沈んでいく向こう側に、君に見せたいと思える輝きがあったようです。
「水縹からるり色の下」
明るい青色から濃い青色にかけて、その下ということなので、海の深いところにいるようです
「マリンスノーに見惚れていた」
そこからマリンスノーが見えたのでしょう。マリンスノーは海中に見える白い粒子のことで、夜空に輝く星空のようにも見えます。沈んでゆく海の底から見えたマリンスノーに見惚れてしまいます。
そして、「もう2度と君のこと手放しはしない」と決心するのです。
そらるさんが活動を休止してしまった。連絡も取っていない。そんなそらるさんの輝きがなくなってしまった活動や日常にひどくショックを受け、もしかしたらそらるさんがもう戻ってこないかもしれない未来を想像して、一度は一緒に海に沈んでしまおうか(活動を休止してしまおうか)と思ったのかもしれません。でも、そんな気持ちになって見上げてみれば、マリンスノーのようにキラキラしたものたち(声援や今までの自分たちの軌跡)が見え、それに思わず見惚れてしまい求めてしまったのでしょう。それをそらるさんにももう一度見せなければならないと、もう2度と手放さないと覚悟を決めて共に浮上してゆきます。
「そしてステップandスキップ」足取り軽やかに進んでいきます。
「水彩の水平線」水彩に描かれた水平線ですから、はっきりとした境目はなく、ぼんやりと滲んでいる水平線です。
「ふたりで歩いて行こう」海の底から浮上し、2人で歩いて行こうと誘っています。
ここは、『まだはっきりとした道のりが見えている訳ではないけれど、2人で気楽に歩いて行こうよ』と軽やかな気持ちで伝えているのです。
そしてこの後、ラストに向けてまふまふさんは、今回のことを経て感じた思いを切に語ります。色々あって出した答え、納得いくものではないけれど、今はそうしていくしかないんだと自分に言い聞かせるように。
「叶わないなら夢より御話でいい」
〈何か〉が叶わないのなら、夢を追うことよりも御話を語ろう
「消えてしまうなら恋に満たなくたっていい」
〈何か〉が消えてしまうなら、恋=ユニット活動にならなくてもいい
この〈何か〉はこれまでの流れから考えて、そらるさんそのものであり、そらるさんと共に歌う未来のことではないでしょうか。
なのでここは『そらるさんと共に歌い続ける未来が叶わなくなるくらいなら、そらるさんがまた(この界隈から)消えてしまうくらいなら、ユニットとして大きくなる夢を無理に追うよりも、2人でささやかな御話を語り合っていたい』となります。
そしてこの後の「未熟な感情の重さで沈んでいく」という気持ちに繋がります。
まふまふさんにとってこの選択をしたものの、それはやはり納得できるものではなかったのでしょう。それを大きな懐で受け入れられるほどまふまふさんの感情は成熟しておらず、仕方ないとはわかっていてもそれが胸につかえて落ち込んでいる様子がわかります。そしてこの葛藤は、現時点(2021年7月)での最新曲MOUAに至るまでの間、まふまふさんの胸奥に燻る切ない感情であると思います。
「どれだけ深いセカイ系の暗闇だって」
セカイ系は所謂、主人公の行動によって世界が変わってしまうような壮大なストーリーのことですが、ここではそうではなく、AtRの楽曲達のことでしょう。
「泡沫のなぞる天体の相」
泡沫とは水面に浮かぶ気泡のことで、儚く消えやすいものの例えに用いられます。天体の相とは天体の形、様子のことです。
セカイ系の暗闇とは2人の活動が暗闇に包まれてしまうことの比喩表現であると思われますので『活動が暗闇にのまれてしまうようなそんなつぶれてしまいそうな時だって、泡沫が形どるような儚いものではあるけれど』としたところで、『君に見せたいと思える星空になったよ』と伝えています。
そしてラスト『君のもとへ届いたらいいのになあ』と静かに呟くようにしてこの曲は幕を閉じます。
この曲は、歌詞には載らない言葉がMVの中に出てきます。
「空を見上げて沈んでいったら水泡が星空みたいだった」
「ああ この景色を君に見せたかったなあ」
と、そらるさん休止中に思ったことを伝えようとしています。
また、この部分のセカイ系という言葉は、いつも通りの恋という言葉でも良かったと思います。敢えてセカイ系というわかりやすい表現にしたのは、そらるさんに、もしかしたら自分たちのことなのかもしれないと気付いて欲しかったからかもしれません。
以上が、私の個人的な「マリンスノーの花束を」の解釈となります。
この曲を作っていたのがいつのタイミングなのか、正確にはわかりませんが、そらるさん休止中に思ったこと、後悔やこれからどうしていくべきなのか、そんなことを深く考えるきっかけとなった曲だと思います。
それと共に、やはり自分はそらるさんの隣で歌うことが幸せなんだと再認識したのかもしれません。
ノーそらるノーライフ、そらるさんはまふまふの日本一…数々の名言を残すまふまふさんですが、この曲には、そんなそらるさんを大切に思う気持ちが余すことなく込められています。
足並みが揃わないこともあるでしょう、雨の日だってあることでしょう。しかしそんな時も、2人で御話をするように活動を続けていってくれたら、それだけで幸せなんだということを改めて感じさせられました。
末永く2人が楽しく活動を続けてくれることを願って、この解釈文も幕を閉じたいと思います。
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