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桜花ニ月夜ト袖シグレを紐解きたい

ここでは、After the Rainとしての始まりの曲であり定番中の定番曲、「桜花ニ月夜ト袖シグレ」について考えていきたいと思います。

ユニットの始まりの大切な1曲。恐らく代表曲ともなるであろう1曲。まふまふさんはこれまで、作る楽曲に様々なテーマや思いを込めてきました。辛いことも嬉しいことも、折角曲が作れるのだからそこに込めていきたいと話しています。

そんな彼にとって、大切なユニットの始動曲。どんな曲にしてどのようなメッセージを込めるのか、すごく考えたのではないでしょうか。作曲者としてのプレッシャーもあったことでしょう。

この曲は一見、袖しぐれという表現や、水面の月を求めたり、時間を巻き戻そうとしたり、実らない儚い恋のうたのようですが、これは恋のうたに例えたまふまふさんの思いそのものに感じました。これまで、まふまふさんの作る曲のほとんどが実体験や自分の中の燻る思いをのせたものでした。そうであるのに、このユニットの第1弾となる大切な曲がフィクションの恋愛曲というのは考えにくいものがあります。なのでこの曲もまふまふさんの何らかの気持ちが込められた曲であると推測します。ソロ曲であれば、社会への不満や不条理に対するもどかしさなどを歌うのもありでしょうが、これはそらるさんと歌う最初のユニット曲。そらるさんへの思い、ユニットへの思い、そこにある葛藤や不安、期待。そんなものがぎゅっと詰まった1曲になっていると思います。そんなことを踏まえて、この曲を紐解いてゆきたいと思います。


「桜の咲く春のため息になれたら、泣いてるキミ鈴の音をそっと揺らしてあげられる」 

ここでひとつ大前提として、この歌に出てくる桜や桜花はそらるさんのことを言っていると考えます。また、これはまふまふさんの作る曲を通して言えることですが、雨や雨上がりのような言葉は、ユニットのことを表していることが多いです。

ため息、については、先日発表された「夕刻〜」に4月のため息というフレーズが出てきており、どうやら疲れた時に吐くため息とは使われ方が違うようでした。ここでも、ネガティブなイメージのため息と言うよりは比喩表現で使用されていると考えた方がしっくりきますので、音なき声のこと、と考えます。ため息になるとは、代弁者のような役割で、まふまふさんにとって代弁する行為は歌詞を作り上げることだと思います。

鈴の音は良い知らせや良いことの前兆を意味しますので、それを揺らすということは、鈴の音を鳴らすこと、良い知らせを届けることなります。良い知らせ聞けば幸せな気持ちになれますよね。なのでここは

『そらるさんの中の言えない思いを曲にすることで、苦しんでいるあなたに幸せを届けることが出来るだろうか?』となります。

「どうしたってさ人目を惹く、黒い髪と華奢な肩は」

これはそらるさんのことで、『容姿もさることながら、有名になってきて行動が人目をひいてしまう』ということでもあるでしょう。

「指の間をするりと抜ける、どうやら見えないらしい」

『そらるさんは掴みどころのない人で、自分のこんな気持ちは見えていないようだ』

「わかってるそれでもその声を聞いてボクは救われた、キミで満たされてく」

ここで、きくが聴くではなく聞くと表現されているので、その声は歌ではなくそらるさんの言葉である可能性も高いです。が、おそらく両方を意味しているのではないでしょうか。

『そんなことはわかっているよ、それでもそらるさんの声を聞いて僕は救われた。あなたという存在で自分が満たされていくんだ』

「桜花キミに恋したようだ、催花雨に袖をひかれて、今日も傍にいていいですか」

桜花とはそらるさんのこと。恋したようだ、とはあくまで曲として成り立たないといけないので恋愛の曲にしたが故の表現だと思います。まふまふさんのそらるさんへの親愛の感情のことで、桜花と恋をすることは、ユニットを組んだことの比喩表現だと捉えます。したようだ、と曖昧なのは、この曲を作っている時点でユニットは実際始動しておらず、ユニットを組むことになったけれど実感を持てずにいたのかもしれません。催花雨は、花の開花を促す春の雨で、良い雨、待ち望んだ雨です。雨という表現と期待が感じられることから、ユニットの存在そのものや活動のことだと考えられます。袖をひかれて、は誘われることですが、強く引くような感じではなく、そっと静かに誘われる、背を押されるイメージです。また、この後の傍という言葉から、まふまふさんの控えめな、少し自信のない様子が伺えます。そば、という漢字には側もあり、この2つの違いはそばにいる人や事柄の関係性の違いです。側は対等な関係であり、傍は寄り添う側が脇役なのです。なので、控えめに傍にいてもいいかと聞いていることになります。

『そらるさんとユニットを組むことになったけれども、自信なんてない。AtRであるということを大義名分に隣に居てもいいかなあ』というまふまふさんなりの、確信を持てないながらも憧れだったそらるさんとユニット活動を続けていきたいという気持ちの現れではないでしょうか。

「千の夜に閉ざされても、理に叶わなくても」

千の夜とは千夜、たくさんの夜、降りかかる良くないことのことでしょう。理は筋道や道理のことなので、『明けない夜があっても、理不尽な目にあっても』

「キミに届け、月夜に袖シグレ」

月夜ということで、千の夜との対比で夜空に月が出てきました。なのでここでは希望的な意味合いを感じます。千の夜を照らしてくれる月とはつまり、自分にとってのそらるさんで、月夜とは今のまふまふさんの置かれている状況のことではないでしょうか。袖シグレは涙で袖が濡れることを表し泣いている状態ですが、この流れでの涙は嬉しい涙のことだと思います。

『そらるさんと一緒に活動ができていることが泣くほど嬉しい。それをあなたに伝えたい』この、サビのラストにも使われているタイトルこそが、この曲の最も伝えたいことなのではないでしょうか。

打って変わって2番は、やや不穏な雰囲気が漂います。

「この時計を左向きに回せたってそれぐらいさ、隣の世界じゃどれもガラクタで価値のないものらしい」

ここに関してはまふまふさんが歌ってみたの本で「世界が2つあるとして、片方の世界が時間を戻せるくらいの力があったとしてももう片方の世界では無意味なんだということを伝えたい」と話していましたが、その話を聞いたとしてもピンとは来ません。この世界とは何の世界のことなのでしょうか?ユニットを組む世界線と組まない世界線なのか、隣同士に存続するまふまふさんの世界とそらるさんの世界のことなのか。『昔に戻りたいと願ってもそれは叶わない、まるで意味の無いことだ』と自嘲すら感じられます。

「いつしか誰かと愛を紡いだって、泣きそうな夜は傘をさしてあげよう」

ここでの愛を紡ぐことは、今までの流れからすると桜花(そらるさん)が愛を紡ぐ(活動する)という表現です。傘をさしてあげようですが、ここはそらるさんに向けて言っているので、同じ傘の下に入ることは一緒に活動を続けていくことの比喩であると捉えます。

『例えばいつか他の人と活動するようになったとしても、なにか辛いことがあれば、僕はいつだってあなたと共に活動を再開させることが出来る よ』と、もしもの未来の話をして、まふまふさんの覚悟を伝えたワンフレーズになっていると考えます。

そしてここで道を分かつ未来への不安を歌っていますので、やはり1つ前のフレーズは流れ的にまふまふさんの不安な感情を表していると思われます。時計を左回りにして戻りたい過去はまふまふさんの世界で、そらまふとして活動していた頃(ただ楽しかっただけの頃)に戻りたいと思っても、そらるさんの世界はいつでも前に進んでいて、自分の不安や心配は意味が無いのだ、という解釈がしっくりくるように思います。

「桜花ボクは恋に落ちた、水面の月を求めた。だけど手遊ぶはガラスの色」

桜花と恋に落ちることは、そらるさんとユニットを組むこと。水面の月を求めるとは、手に入り難いものを求めること。ガラスの色、とは透明なことで

『憧れの存在だったそらるさんとユニットを組むことになったけど、実感がない』


「千の夜が瞬く間に闇夜を縫って君を隠す。行き場のないこの手は空を切る」

千の夜とは先の歌詞にも出てきた通りで、闇夜を縫って君を隠すとは、君を闇夜に隠してしまう、つまりは居なくなってしまうことを意味していると考えます。そらるさんが居なくなる、とは、自分の隣から居なくなることでユニットという関係がなくなることではないでしょうか。行き場のない手が空を切るとは、手を伸ばしているけれど届かない状態であると考えます。なのでここは

『いつこの関係がなくなってしまうかもわからない。そうなれば、僕が手を伸ばしてももう届かないだろう』

2番に入ってからは、ユニットを組んだが故の、それがいつかなくなってしまうかもしれない不安や焦りが表現されています。

しかし、タイトルにもあるようにこの曲の言いたいところは、ユニットを組めたことの嬉しさだと思いますので、この後のまふまふさんの高音のパートからラストまでは、前向きな思いが綴られてゆきます。

「ねぇ見えなくたって構わない、好きだって言わせてよ。いつまでもここにいるんだ」

見えない、とは物理的に何かが見えないというよりも、これまでの流れ的に心や気持ちが見えないと言っているほうが筋が通るのでそのようにとらえます。また、ここにいるの「ここ」とは、AtRのことだと思われますので

『自分の気持ちが伝わっていなくても構わないよ、自分が親愛の情を伝えられる場所に居られる のだから』

「桜花 隣にいるのになぁ」

これはそのまま

『そらるさんの隣にいるよ』

「遥か遠く遠く遠く咲き乱れる。ボクは幸せだ泣かないから」

遥か遠くとは、先の歌詞で、時計を巻き戻してみたりしていることからも、距離ではなく時間のことだと考えます。咲き乱れるとは、桜花にかかる言葉だと思うので、そらるさんが華々しく活躍している様子のことでしょう。なので

『ずっと先の未来で、そらるさんと大成功をおさめたい。その時のことを思うと幸せだ』

となります。ラスト千の夜に~からは、先の解釈と同様で、ユニットを組めたことの嬉しさを歌っています。そんな前向きな気持ちを込めてこの曲は終わりを迎えるのです。


以上が、私の個人的な桜花ニ月夜ト袖シグレの解釈です。まふまふさんにとって、ユニット曲はどれも、彼のその時の思いが込められていると思います。そして、この曲こそがこれから世に送り出されることになる数々の名曲たちの最初の曲なのです。ユニット始動に対する不安や嬉しさ、心配や期待など、一際まふまふさんの気持ちが込められているのではないでしょうか。

5年経った今も大勢のリスナーに愛され続けている一曲であり、また2人にとっても特別な曲である、と大切に歌われ続けてきました。この曲を紐解くことで、更なる愛着が湧き、今まで以上に大好きになりました。

After the Rainのお2人、5周年おめでとうございます!



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