彗星列車のベルが鳴る
2016年8月19日に投稿された曲「彗星列車のベルが鳴る」を紐解いてゆきたいと思います。
この曲はAfter the Rainの1stアルバムを引っさげた、初めての大きな舞台である両国国技館でのライブを記念して作られた1曲で、両国バンドメンバーによる生音源の曲です。ユニットを列車と表し、彗星をつけることで波に乗っている勢いのあるイメージにしたのではないでしょうか。この頃のまふまふさんは、まだライブや人前に出ることにあまり積極的ではなく、戸惑いや不安も大きかったように思います。そしてこの曲も、両国を終えて見えてきた自分の中の葛藤や期待を歌い上げたものになっていると思います。
「さよならの台詞もなく最後のページだ、もう列車のベルが鳴る」
これは、自分がさよならと言う間もなく(そんなことは関係なく)最終ページまで来てしまったことを言っているので、そのまま、あっという間に訪れたライブの終わりのことを意味していると思われます。
「この夜空で輝いた星も晴天の空では見落とすように」「幸せでは幸せだと気付けなくなっていた」
星が輝いていたとしても昼間の晴れて明るい空の下ではわからない。それと同じように、幸せなことだって何気ない日常に紛れて幸せであることに気付けなかった。そのまま解釈するとこうなります。意味としては通じますが、このままでは前後が繋がりません。
「そんな他愛のない日々がこの指の隙間零れ落ちた」
そんな他愛のない日々、はそんな、が付く事で前の「幸せ」に繋がりますので、幸せだった何気ない日常が指の隙間を零れ落ちるようにあっけなく過ぎて行ってしまったようです。
これらをまとめて考えると、両国に至るまでの時間や、アルバムが出来上がるまでの時間や過程を幸せな日々として、その時は他愛のない日々だと思われていたものが、過ぎてしまった今になって、幸せだったのだと気付いたということだと思います。アルバムを発売するまで、ライブに至るまで、楽しみでもあり不安な気持ちも大きかったことでしょう。もっと楽しめば良かったのにと少し後悔しているのかもしれません。
「終点もないような果てしない闇の向こう」
先の見えない未来への不安
「彗星の列車で もう君は帰る 行く宛てもなく」
彗星の列車はユニット活動のこと、行く宛てもなく帰ることは、まふまふさんの中で行く先がまだはっきりとは見えていない状態の表れで、この先どうしていきたいのかという迷いを感じます。
なのでここは、どこへ向かうのか行く先はまだはっきりとは決められていないけれど、ユニット活動は彗星の如く進んで行くんだ、という迷いながらも頑張って行こうという気持ちが表現されています。
「一度脈打ったら」ドキドキワクワクする気持ち
「この気持ちだって止まってくれやしないのに」もっとワクワクしたい気持ちの表れ
「言いそびれた言葉もあの夏の空の向こう側」両国の時に何か伝えたい言葉があったのかもしれません。確信を持てるほどの未来の約束をしたかったのかもしれません。
なのでここは、一度ドキドキワクワクした気持ちを知ってしまったら病み付きになってしまったのに、この気持ちや大切な言葉はあの時言いそびれてしまったな、となります。また、夏の向こう側などの言葉選びからも、後ろ向きな印象はまるでなく、むしろ前向きな印象さえ受けます。忘れてきてしまったというより、置いてきてしまったのではないでしょうか。そして、この言いそびれた言葉とは何の言葉なのか、この謎を抱えたまま2番へと繋がっていきます。
「世界中の星を集めても霞んでしまうくらい君は綺麗だ」
隣に立つそらるさんや、ステージから見える客席、そんなもの達が輝いて見えたのでしょう。
「羽のように眠るように寝息もたてずに」
輝く君とは対照的にひっそりと目立たない様子が伺えます。輝きを静かに見つめるまふまふさん自身のことを歌ったのでしょうか。敢えて対照的に表現することで、まふまふさんのなんとなく物悲しい心情が見えて来る部分だなと思います。
「夕陽が落ちるまで遊ぼう」
ここは、「」が付いていることから台詞であることが伺えます。夕陽が落ちるとは昼間が終わってしまうことで、終演を表すと思いますので、これはそらるさんの言葉で、ラストまで楽しもう、というような意味合いだと考えます。
「足跡がひとつ 立ち止まった」
2人居るのだから、本来ならば足跡は2つのはずです。しかし1つの足跡しかありません。立ち止まっているのはひとつです。この足跡はまふまふさんの物で、ふと立ち止まってそらるさんの足跡を見ているのでしょうか?終演まで楽しもうと言われた事に対して立ち止まっているので、終わりが来るのを拒みたい気持ちの表れだと捉えます。
「君をまだ好きしてる あの夏の向こうで何回だって恋してる こんな子どもじみた気持ちのままだ」
好きしてる、はオリジナルの言い回しです。これはその後の子どもじみた、にかけた言い回しだと思います。あの夏、は両国のあった夏のこと。恋してる、は、桜花の時と同じくそらるさんへの親愛とユニット活動を表すと思われるので、ここは…そらるさんのことが好き、と素直に伝えた後、あの夏が終わってからも、ずっと活動を続けたいと、ただ純粋に子どものように思っているということだと思います。そしてここで、あの夏という言葉が出てきますので、サビ部分で言いそびれた言葉というのは、ここの部分なのではないでしょうか?
「はいもいいえもない」→答えは出ない
「でも御伽噺みたいなワンフレームを」→ライブ会場に立つ自分たち
そしてその後、望んでは止まないような弱虫なボクでごめんね、と謝っています
なのでここは、ライブが怖い気持ちがまだあって、はっきりと続けていくとは答えられなかった弱虫なボクだけど、ライブが楽しくてもっともっとやりたい気持ちもあるんだよ、とそらるさんへのメッセージであると捉えられます。
「静けさを溶かして 朝焼けもまだ見ぬ空に 鐘は鳴る」
2番はまふまふさんの深い心情を吐露している流れですので、ここもそのように考えます。すると、朝焼けもまだ見ぬ空、つまり明けていない夜、迷いの中にあるまふまふさんの気持ちそのもので、それでも列車のベルが鳴るのです。この後に続く間奏がラストへ繋がる大事な部分で、かつ盛り上がったまま入っていくことから、この鐘は、終演のベルではなくて開演のベルである可能性が高いです。なので、まだ迷いの残る気持ちのままでいるけれど、ユニットの活動は始まったんだ、という前向きなメッセージでしょう。
「もう帰らなきゃ ぽつり 夢が覚めていく 行かないでよ」
一際静かになるここで、1人呟くように、終わってしまった両国ライブへの名残惜しさを歌っています。
ここからラストへ向けては、ライブでもよく顔を見合せながらハモって歌う姿が印象的で、先に解釈した通り、迷い不安に思いながらも今の活動がとても楽しくワクワクすることを歌い上げてこの曲は幕を閉じます。
この曲はソロのステージでも何度も歌われてきました。もちろんユニット曲の中では1人でも歌いやすいというのもあるでしょう。しかし、ユニットとして初めての大きな会場でのライブ。まだまだ、歌い手がと言われていた時代でした。そのような中、それに踏み切った時の不安ややり切った時の達成感、ワクワクした気持ち。そんなものをギュッと詰め込みみんなで作り上げた曲。それを大切に歌い続けることで、その時の気持ちを大切にしていきたいと思っているのかもしれません。
未踏の地を踏んでいく覚悟を決めよう、そんなきっかけともなったかもしれない1曲。リスナーである私たちにとっても、大切にしたい曲だな、と改めて思いました。
5年を経て、大きな会場でライブをすることが当たり前になった2人。怖かったけど、2人だったから立てたステージ、2人だったから踏み切れたこと。今、どのような思いでこの曲を歌ってくれているのでしょうか。残念ながらコロナでなくなってしまった小さな会場回りは、もしかしたらこの曲のように、ドキドキワクワクを望んではやまなかったあの頃の2人を拾っていくツアーになったのかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?