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なんか思ったの

先日、久々に父親と弟と
3人で食事して、飲んで
色々ガミガミ語って←
その後更に思い返して
考えたことを書きます。

ただ私が思ったことで
みんなにもこの考え方に
なってほしいとかは
一切ありません。
私は学者でもなんでもありません。
ただの28歳女子です。
興味ない人は読まないでください。

ただ少しでも何か感じたり
共感してくれる人がいたら
嬉しいなぐらいです。

では本題。

人生とは、1人の人間とは
【木】に例えられるのかなと思いました。
木の幹が自分自身
その幹から「家族(両親兄弟など)」
「家族(これから自分が作る)」
「仕事」、「趣味」、「友人」
「仲間」とか色々な枝が生えてくる。
その枝に自分が望んだ色の芽が出て
葉が生えて、花が咲く。

どんな木を育てていくかは自分次第。
けど必ず、真ん中に幹があってからの枝。
みんな復業とか趣味とか今の自分と
違うことをやろうとすると
真ん中にあるものを「すり替えなきゃいけない」という考えになってる人が多い気がする。(そう思ってるだけかもしれんけど。知らんけど。)

真ん中にある自分という幹は変えてはいけない。それが自分だから。自分の人生なんだから。真ん中に他のことを持ってきちゃうと自分の人生じゃなくなる。

自分が大切にしている【何か】の枝を太く長く、緑豊かに、綺麗な花を咲かすためには
まず自分の幹の下にある根っこから水、養分を補給しなければならない。
これは健康的に、【水、栄養】でもあるけど
【情報、スキル】なども補給しなければだと思う。
それらをしっかり吸い上げて、各枝へ送っていく。

木と人間の体ってどっちも生きてるし一緒だよね。こう考えると。小学校の理科。

その幹や枝の太さ、長さ、形は人それぞれでいい。こんな伸び方する?!って木だってある。なんとなく太陽に向かって伸びる方がいい雰囲気あるけどw

ただ【木】と違って私たちは足がある。車椅子、人の手でも何かの手段使ってでも動ける。
その木をどこに植えてどこで育てていくのか。
砂漠に木を植えても、水や栄養補給できる気がしない。
いい土地に植えて、更に同じような枝と枝が触れ合って、これ、手と手を取り合ってる状態。
そういう仲間が増えるのもまた楽しい。
彩り豊な森林が出来上がる。

私は幹がしっかりしていて
枝もしっかりして、綺麗な花咲かせたり
夏は濃い緑の葉っぱを生えさせたりする
桜みたいなのになれるといいなとふんわり妄想した。
んーでも枝細いかなー?クヌギだとカブトムシ寄ってくるなー笑

冬には第二波というか、また違うものなのか
何なのかパンデミックが起きると言われている
色んな話は、信じるか信じないかは、あなた次第。

だけど、冬に向けて、来年に向けて
あなたはどんな木を育てますか?
どんな枝を生やして、葉や花をつけますか?
どこに根っこを伸ばして、養分とりますか?

私は今持ってる情報を信じているし、それがその通りに行かないにしても、必ず未来には活きてくる。
今試されているとしか思えない。
でも楽しんでいる。

私はまだまだ、そこそこ幹の太さあるけど
枝や葉、花が豊な木ではないと思う。
だから本気で木を人生を育てる。

って感じの話でした。
だからってなんでもないです。
私の考えたことを書きたくて書きました。

あ、おうちの観葉植物ちゃんも
ちゃんと育てなきゃ〜

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