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『あなたにだけは…』の瞬間

私は創業100年の旅館へ嫁ぎ、4人の子供を産み、子育てをしながら旅館の仕事をしてきました。独身時代コピーライターをしていた私にとって、旅館の仕事というのは、さほど興味のない世界。結婚前の夫は、ライターの仕事を続けていいと言っていましたが、そこは100年の歴史ある宿、周囲が許してくれる訳もありません。

葛藤の中、渋々コピーライターを辞めて、育児と家事と女将業に追われる日々を過ごして、気付けばもう30年超え。子供が好きで、家事が好きで、家で子供たちと過ごす時間は、私にとって最高に幸せなひと時…のはずでした。

旅館がひと段落して、家に帰り、子供を抱き、ソファーに腰を下ろすと、ちょうどのタイミングで大抵電話が鳴り、旅館からの呼び出し。どこかに隠しカメラでもあるんじゃないかと思うほど、絶妙なタイミングです。受話器の向こうで騒ぐ声に、冷やかに『そんなこと誰がやってもいいこと』『今すぐじゃなく、明日やってもいいこと』と内心思いながら、静かなる嫁姑バトルが始まります。抱っこしたばかりの子をベビーベッドに戻し、上の子たちへ「ちょっとお願い」と留守番をさせ、旅館へと走る。目の奥が全く笑っていない姑の笑顔は、当時の私から見たら『般若の面』でしかありません。

姑は自分で公言するほど家事と子供が嫌いで、家事は家政婦に、自分の子供は一人ひとりにシッターを付けて育ててきましたから、家事と育児と仕事の掛け持ちをしたことが無いのです。たとえ数メートルの距離であっても、子供だけでのお留守番は気が気ではありません。わき目も降らず必要な業務だけを済ませ、申し送りのメモを残して家まで走る。

「そんなに子供が心配ならシッターを頼め。そのお金を稼ぐだけの仕事をしろ。」

これが姑の持論です。しかし、私は『女将見習い』だから無給です。嫁いでから15年、無給で『女将見習い』を続けました。朝は4時半から、9時にはフロントへ、夕方まで事務所で経理、夕方お客様のお出迎え、夕食を提供して終了は21時。時には子供を事務所に連れてきて、時には1時間、2時間おきに家に戻る生活です。どれだけ働いても1円にもなりません。元々頼むつもりもないですが、シッターに払うお金など当然ありません。全てにおいて私の対極にいる姑は、私にとって天敵です。

あまりの価値観の違いに、時には感情的にぶつかり合うこともあり、そんな空気も私には大きなストレスとなって圧し掛かります。あまりにもダイレクトに来る姑の感情に耐え切れなくなった私は、夫に「間に入ってほしい」という頼み事をしてみると、まさかの返事。

「知らないよ、巻き込まないでくれよ。頭がおかしい奴らと話し出来るわけないじゃん。」

ならばと、舅に頼んでみるとこの一言。

「おかあさんは意地が悪いから。」

意地悪とわかっているならば、尚更その暴走を止めてほしいし、間に入ってほしい。姑の意地悪は私にだけではなく、舅や舅の兄弟、旅館の従業員にも同様だったようで、

「みんなと同じでね、あたしだっておっかない(怖い)んだよ。」

舅はそう言って逃げてしまいます。結局何も変わることなく、私はこの嫁姑バトルを繰り返す結果となりました。

四回目の出産を終えて、一か月が過ぎた頃だったでしょうか。長男は既に小学生、長女は幼稚園。裏庭で遊んでいた長女が、家の中に入ってくると、

「ママってさ、ダメなの?何がダメなの?カチクって何?ママってカチクなの?」

不思議なことをいう長女に、「どうして」と尋ねると、「おばあちゃんが言ってたから」と。

その夜、舅姑、夫を並べて、長女の言動とともに、私には何をしても言っても構わないが、子供にはやめてほしいと伝えました。それに対して姑は、目の奥が笑わないあの笑顔でサラリと言いました。

「嫁はみんな家畜と一緒、役に立たなきゃ意味ないだろ。」

この瞬間、私は熱くなっていた頭が冷めてすっきりと冴えわたり、自分の奥に溜めていた何かがスッと消えました。この人と闘っていた自分を情けなく思い、同じ土俵に立つことを止めました。私はこの人とは違う。この人には絶対負けない、姑が権力で支配するならば、私はもっと血の通った別の方法でこの人を超えようと誓いました。


あれから二十年が過ぎ、夫は社長に、舅は会長に、姑は現役を退きましたが『女将は譲らない』と。今でもこの旅館の女将さんは姑、五十を過ぎても私は未だ若女将です。若女将と言われていると『未熟』と思われる方も多いでしょうが、私は結構気に入っています。なんだか本当に自分が若い気がしますし、未熟だからこそまだまだ学びがある。

それに、舅がお客様や取引先の方にこっそりと私を褒める言葉を伝えて下さっていることを知り、ありがたいと思っています。

夫は四代目ですから、姑も私と同様旅館に嫁いだ身。違っていたのは、姑の嫁いだ時には両親がすでに他界していたことだけ。嫁として女将として必死に支えてきたこの旅館で、その努力の証でもある『女将』という称号は、誰にも渡したくないのでしょう。もしかすると姑は『嫁は家畜』と自身を鼓舞していたのかもしれません。私は、それはそれで一つの生き方だと思います。ポジティブに考えたら、私という存在が『女将』の脅威だったのかも知れません。今更仲良くはならないし、真意は分からないままでいいと思っています。

今でも姑との折り合いはよくありませんが、人生の最期まで女将でいてくださいと心から願っていますし、私はこの先も『姑流女将』とは真逆の『私流若女将』を楽しみます。頭も心も身体も見た目も、ずっと若々しくハツラツと過ごしてるからこそ、瞳の奥から笑う笑顔をお客様と従業員にお届けできるものですから。


#エンジンがかかった瞬間

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